
上は今年の年賀状です。
何年か前に隅田川を散歩していて、川の中に突き刺さって突出していた鉄の棒杭に浮いた錆を撮影したものです。
川底を浚渫した時に出るヘドロを運ぶ砂利運搬船を係留するための頑丈な棒杭でした。
砂利運搬船といえば、私が子供の頃は隅田川沿岸にたくさんの荒木田やさんがあってそこに良くその運搬船が留まっていました。
そこで遊んでいて、乾いた砂に滑って、隅田川に落ちたこともあります。
先日の「ブラタモリ」でこの運搬船をガット船と言ってましたが、違いますね。
ガット船というのは東京では焼き玉やなんかエンジンの付いている、自航式の運搬船をいいます。
曳航されるの専門の船は砂利船、汚わい船、はしけなどの類。
いかだもたくさん隅田川には浮いていました。
曳航されていなくても筏は川を遡ることが出来ます。
船頭さんが川底まで届く長い竹棹を肩に当てて、筏の上を川下に向かって歩くんです。
作用反作用の法則で筏は川上に移動する。
それを二人の船頭さんで代わる代わる筏の前から後ろへと順繰りに歩くんです。
夕日を浴びて、きらきら光る川面に長い影を引いて川を行く船頭さんと筏が浮かぶ隅田川は、子供心にも風情のあるものでした。
みなさん、今年も元旦から半畳記をお訪ねいただき感謝いたします。
今年こそは繁盛記になるように頑張りたいと思います。
今年一年、またどうぞよろしくお願いを致します。

iPhone
皆さん元日の朝の写真を載せていますから、私は元日の夕景を。
新年一発目の失敗は、さる御婦人に白紙の年賀状をお出ししてしまったこと。
「二人の関係を白紙に戻そう」てな意味なら色っぽいんですが、単純にミスった。
プリンターがたまに二枚同時にくわえることがあるからそのせいだろうと思うんですが、やはりチェックは必要ですね。
チェックはとても無理、というほど出すわけでもないですしね。
年賀状といえば、だんだん減らそうと前年元日に届いた人を優先に、
こちらが出したものへの返信と思われる四日以降のものは省いて出すと、
その中の人たちが今年は元日にくれたりで、なかなかうまくいきません。
互いに気を使って、イタチごっこになるからキリがない。
いっそ一年さっぱりとどこにも出さないでみようなどとも、考えるのですが、
「死んじゃったの?」と思われるのがオチでしょうしねえ。
変わりゆく浮世の中で変わらないのは優柔不断か怠け者ということでしょうか?
はは、今年も偉大なるワンパターンで参ります。
着ぶくれて浮世の風に首すくめ 頑人坊

今年のカレンダーは完売いたしましたが、その後もご注文をいただきます。
今年の年賀状で、来年以降はこのスタイルは今回限りとお知らせしましたが、
ありがたい事にリクエストが案外多いので、完全予約制で制作を続けることに致しました。
例年、こちらから「今年はお入用ですか?」と伺っていた方々へも今年は一切ご連絡をいたしませんでした。
種々理由はあるのですが、こちらからお電話を差し上げるとどうしても先方で義理で購入されるニュアンスが感じられましたために
今年は一切の、連絡をいたしませんでした。
案の定、大半の方はわざわざコンタクトを取ってまで購入の意思は無かったようで、
注文数は半減いたしましたが、それでも、わざわざ欲しいとご連絡をいただいた方も半数はあるわけでして、
その方たちへは、今後もお作りするのが礼とわきまえまして、制作を続けることと致しました。
そこでお手数ですが、来年以降もカレンダーが必要な方は夏ごろまでにご予約を頂きたいと思います。
一度のご予約で毎年十一月末ごろにはお送りいたします。
尚、必要なくなった場合も、お手数ですが事前にキャンセルをお知らせください。
方針がくるくる変わってまことに恐縮ですが、よろしくお願いを致します。

栗城さんのブログより
昨日のNHKのドキュメンタリー「セブンサミット」ご覧になりましたか?
この本の著者栗城史多さんのセブンサミット単独無酸素登頂の記録でした。
セブンサミットというのは七大陸のそれぞれ最高峰をまとめてそう呼ぶんだそうです。
とりあえず栗城さんのブログはここです。
彼の登山スタイルでユニークなのは、登りながら自分撮りをしていることと、それをネット配信しているところが
これまでの登山家にはない新しいスタイルで、しかもニートから脱出してセブンサミットに到達した経歴が
多くの人に感動と勇気を与えているらしいのです。
で、彼のことはググッていただけば山ほど出てきますから、そこで読んでいただくとして、
私が興味を引かれたのは、写真の彼の初著作のタイトルです。
つまりこの本のタイトルと同じ言葉を以前に別の登山家から聞いたことがあったので、「ははーん」と思ったわけです。
NHKのドキュメントの中でエベレストは200人以上の登山家の命を奪い、なおかつここに単独で無酸素登頂を果たしたのはただ一人しかいない、
とナレーションで言っていましたが、それはあのラインホルトメスナーですね。
そうしてそのメスナーと並び称される日本の登山家長谷川恒男さんに聞いた言葉が、この本のタイトルを見たとき
わたしに「ははーん」と思わせたのです。
栗城さんの単独無酸素は映像で見る限り、すべて夏場の登山ですが、長谷川恒男の単独行は冬期です。
ヨーロッパ三大北壁冬季単独登頂は世界初。
ま、そういうことはググれば分かることですから紹介を省きます。
ここではググッても出てこないお話を。。。
私は昔、山道具のカタログの撮影を何年かしていまして、その頃、長谷川恒男さんが長谷川恒男モデルと言う登山靴をプロデュースしました。
その撮影で長谷川さんにお会いしたのですが、撮影後の打上で飲んでいるときに長谷川さんの口から出た言葉です。
「良く、マスコミでは引き返す勇気っていうでしょう」
「はい、良く聞きますね」
「引き返す勇気のある登山家って、大したことないんですよ」
「……」
「この一歩、踏み出すと、死ぬかもなあ、て思うときがあるんですよ」
長谷川さんも私も打ち上げですから、多少酒が入っています。
でも酔っているというほどのことはありませんでした。
長谷川さんは私の方は見ずに、下を向いてぼそぼそと、まるで独り言のように話していました。
「死ぬかもしれないなあ、て思ったその一歩を踏み出せる者が登山家で、そこで引き返す勇気を持っている様なやつはただの人ですよ」
実際はもっと厳しい言い方でしたが、これは結構、衝撃でした。
なぜ長谷川さんが、山などやったこともない私に、そんな話をする気になったのか、分かりませんが
ともかくその言葉は私に今までとは違う価値観を植えつけました。
生きて帰ることが一番、という今までの私の価値観を打ち壊しました。
無茶や無鉄砲に突進しろと言っているわけではない事は、私にもわかりますが、
それでも生きて戻ることを第一に考えては、初登頂などはできない、ということもわかりました。
「死」に向かって突き進んでいくようなモチベーションがなければ出来ないのが登山だと長谷川さんは言っている、と私は理解しました。
植村直己、加藤保男、森田勝、日本にはすごい登山家が沢山いますが、そういう人達の
山に向かう態度にそれほど違いはないのでしょうから、
みんな「死」に向かって一歩々々歩いていたんでしょうね。
すごいことだと思いますし、なぜ登るのだろうという疑問も更に湧いてきますね。

今月の二十日に発売になる岡林信康のアルバムです。
岡林が美空ひばりに提供した歌謡曲に「月の夜汽車」というのがあります。
古いふるーい感じの前奏で始まる曲で、中々いいんですがそれ以来、
依頼から三十五年経って美空ひばりの詞に曲をつけたらしいのです。
それに、美空の曲を岡林がカバーした数曲を交えて、アルバム化。
特に最後の曲、今回できた「レクイエム 麦畑の鳥」は久々いいです。
岡林が昔よりいいです。
昔よりこの岡林がいいと感じるのは多分私が年を取ったからかも知れません。
それに参加している山下洋輔のピアノが、、、
予約しました。
CDを買うのは実に十年ぶりぐらいです。
最後は確かギドンのピアソラだったような。
この曲の出来る経緯と曲の一部は先日情熱大陸で放映されたのですが、
そのまた一部が ttp://www.youtube.com/watch?v=jP0etw1rZjI ここにあります。
ところで、東京地検と小沢一郎、全面戦争ですね。
去年の三月の時にも、形式犯に逮捕はおかしいと書きましたが、
今回も世論に逆らって、検察批判を、って程じゃないんですけど。
鹿島に強制捜査もかなり強引、野党時代の献金からあっせん利得や収賄を引き出すのは不可能ですから、
これは相当強引ですし、目的がはっきりしません。
マスコミは私の目にする限り、日経以外は検察リークをそのまま書いているような感じですし、
事がお金にまつわる話なので、いかにも正義の報道みたいに見えますが、
これは大本営発表とほぼ同じで、マスコミとしては危険な兆候です。
検察は小沢一郎の説明不足を強制捜査の根拠に上げていますが、
捜査の目的を明らかにしない強制捜査は違法ぎりぎりじゃないんでしょうか。
なぜ検察がそれほどまでして、小沢一郎にこだわるのか?
その真意に、興味がありますねえ。
捜査は強制でも起訴は在宅、小沢一郎は立件できない、と言うのが私の読みですが、
この読みが当たれば、検察の目的も読み通りということに成るのかも知れません。
その読みはあまりにも時代がかっているので、ここでは言いませんが。
自民党のはしゃぎぶりにもヒントはあるかも。
はは、戯れ言でした。

観てきました。
ttp://www.iwanami-hall.com/ ここに詳しいことはあります。
アンジェイワイダがどうしても作っておきたかった映画、です。
事実を元にした映画で、しかもその事実というのは1989年の東西ドイツ間の壁の崩壊、ソビエト連邦崩壊まで
ソ連が隠蔽し続けた、ポーランドの将校大量虐殺ですから、テーマが重いのです。
映画は観ていただくしか、お伝えしようがないのですが、真正面から捉えた演出で、アンジェイワイダの気持ちが良く分かります。
戦時中、戦後と独ソのプロパガンダに散々利用された事件ですから、映画もまたプロパガンダにならないような配慮があります。
それが行き過ぎて、無用と思われる挿話があったりと感じられますが、これは観る側の私の感想ですから。
まだ日にちがあります。
重いですが、観たあとは決して胸に澱の残るようなことはありません。
おすすめします。
いやあ、びっくりですねえ。
急転回、予想大外れ!
検察の狙いはなんなんでしょう?
今朝の朝日はロッキード並みの扱いですし、なんか展開が今までと違いますねえ。
本を書いた人がいるんじゃないんでしょうか?
守秘義務を犯してまでの異常なリークも妙ですし。
逮捕した数時間後に供述内容がリークされるなんて事はかつてありませんでしたから。
老兵はしばらく静観を決め込みます。
追;メールを頂きました。
私の想像が根拠のないものであることは自明ですが、その想像は経験からの類推でして、でたらめを言っているわけではありません。
この事件について私に近い感想を持っているなあと私が思ったのは、鈴木宗男氏と郷原信夫氏です。
郷原氏はオンライン日経ビジネスで、昨年三月の逮捕劇からこの件について発言していますから読んでみてください。
ttp://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100112/212110/

iPhone3G
iPhoneで自分撮りはレリーズの位置が悪いのと片手でホールドしにくいので、いつもブレブレ。
暮れから昨日までに町内で折れ口が二つ。
いずれも告別式でなく通夜に行きましたが、そこで気のついたことで、ひとくさり。
もう前から、通夜に行くと気になっていたんですが、近頃は通夜にも喪服が当たり前になっていますね。
しかしこれは、近頃のマナーの先生はどう教えているか知りませんが、失礼に当たることだってご存じでした?
私の服装見てください。グレーのスーツにピンストライプのワイシャツ、ネクタイだけが黒です。
昨日の通夜ではこんな服装の大人はひとりも見かけませんでした。みなさん喪服。
学生の頃仲の良かった友達が亡くなって、通夜から寐ずのお守りと言うことで、うちを出る時喪服に着替えていたら、
「あんた、それ着ていくの?」とお袋。
そこで教わったのが、通夜に喪服を着てはいけない、ということでした。
お通夜からきちんと喪の衣装を着ていくのは急な死に対して用意していたようになるので、嫌うのだと言うんです。
お袋は芸人ですから、芸界にはまだ昔のマナーが生きていたんですね。
確かに、芸界の折れ口に出かけますと、女の人も銀ねずの着物に薄紫の帯を着けていたりして、
それが翌日の告別式になると皆さん黒の紋付き、今でもそうです。
通夜に喪服を着ているのが恥ずかしくなるくらい、見事に皆さん通夜に喪服は着ません。
でも、最近テレビなんか見ていると、亡くなった芸能人の通夜に出ているお仲間の芸能人はみなさん喪服ですよね。
私は思うんです、芸能人は芸能人であって、芸人ではないなあ、と。
ついでに申し上げますと、通夜に持って行く香典はピン札は避ける。
これも用意して待っていたようになるからです。
告別式に持って行く場合は、ピン札。
まあ、くだらないお話で、マナーは時代と共に変わるので、今風で構わないんですが、
私は通夜に喪服を着るのは気持ちが悪いので、着ません。
そうして通夜に喪服を着ていない人を見ると、「ははーん」と思うわけであります。
ところで、マスコミの風向きが変わってきましたね。
検察リークにはしゃぎすぎたことを多少反省して居るみたいです。
ちょっと異常でしたからね。
逮捕数時間後に被疑者の供述が洩れてくると言うのは。
「疑わしきは罰せず」これは徹底しないといけません!
一連の私のマスコミ批判に友達が情報をくれました。
同じようなことを感じている人は居るもんです。
http://ameblo.jp/aratakyo/

東芝EMI レクイエムCDジャケットより
岡林信康の新CD、昨日、発売日に届きました。
岡林自身がジャケット付属の冊子の中で書いているとおり、相当きつい、と言うのが感想です。
岡林が既に昔のように声が出ないことと、矢張り何より美空ひばりをカバーすると
どうしても美空ひばりと較べてしまいますから。
彼も書いていますが、ひばりの唄は低音から高音まで音域が広いだけでなく、唐突に高音に飛ぶ歌が多いいんですね。
自分では唄がうまいと思っているらしい小林幸子なんかもひばりをカバーする時、ここで大概ずり上げるような歌い方をします。
ひばり自身もそういう歌い方をするものが幾つかありますが、大概はいきなりその音にぶつけます。
これが出来る歌手は少ないですね、クラシックでも探り当て、みたいな歌い方が多いです。
岡林もここは全て逃げています。
ただここを逃げると歌に緊張感が無くなってしまうんですよね。
ですから、いろんな意味で勇気のある一枚だと言うほかないですね。
美空ひばりの亡くなったあと、堰を切ったようにみんなひばりをカバーしましたが、この頃はすっかり誰も歌わなくなりましたね。
それほど圧倒的に歌唱力が違うことに歌ってみて気がついたということでしょうか。
1980年代の美空ひばりを聞くとそれはもう、うまさに涙が出てきますから、本当に希有な歌手ですね。
こう書くと、余程私はひばりファンだと思われるでしょうが、実はひばりファンじゃないんです。
丸ごと美空ひばりはちょっと辛いです。
うまさの部分で美空ひばりが好きなんです。
美空ひばりと芳村伊十郎、日本が生んだ最高の歌手がこの二人じゃないでしょうか。
伊十郎さんは長唄の唄い手、ひばりも勝東治さんの弟子ですから二人は接点があったはずです。
伊十郎さんは私は親しくかわいがって貰いましたから、よく知っていますが、レコードの残っていないのが残念です。
ご存じの方は、あるあるって、突っ込まれるでしょうが、実は残っているレコードはみな踊り用なんです。
ですからゆったり歌っていて、緊張感がとぼしいんです。
生は凄かったですよ。
どこまでも伸びる高音と、唄に艶と色気があって、役者で言うと花柳章太郎でしょうか。
ま、古い話はこのくらいにして。
悲しき口笛とレクイエムに山下洋輔が参加しているんですが、この山下洋輔がいいんです。
特に悲しき口笛の山下洋輔。この編曲でこの山下洋輔のピアノで美空ひばり自身が歌っていたら、、失礼にも思ってしまいました。
岡林信康の勇気に敬意を表したいと思います。
感じはいいです。
買って損した、というアルバムではないことを老婆心ながら付け加えておきます。

東芝EMI レクイエムCDジャケットより
このところ、新聞は一斉に民主党の、報道のあり方、検察の捜査情報漏洩の調査に反発しています。
検察OBも口を揃えてリークなどあり得ないと強調しています。
これは検察OBもマスコミもそう言わざるを得ない事情があるからなんですね。
不法行為というのは全て日本国民が等しくしてはならないことになっていますが、
公務員には更に不法行為を見たり聞いたりしたら、それを告発するように法律で義務づけられています。
従ってマスコミサービスであるリークも、厳しく言えば捜査情報を部外者に知らせたと言うことで、守秘義務違反になります。
すると、リークした当人だけでなく、その周囲でそれを知っていた者、まあほとんどの捜査担当者になりますが、
彼らはリークした者、つまりは広報、なりマスコミ担当を告発しなければならなくなります。
ですから、口を揃えて「リークなど考えられない」と言います、心情としては分かりますが。(笑
マスコミも取材源の秘匿はこれを堅持しなければ、報道が死ぬと言って、そう言う検察の片棒を担ぎます。
そうなるのは、日本の取材体制がクラブ取材体制であるからなんですねえ。
検察リークがなければ、菅谷さんのえん罪や、オーム事件の河野さんなども生まれてこないはずです。
この二人に関して、事件発生当時にただの一社も疑問符をつけた社はないのですから。
何故そうなるのかというとクラブ体制で取材していますから、検察は顔を見ればどこの社の誰かみんな知っています。
そこへ捜査方針に沿った情報を流して、勿論都合の悪い情報は秘匿しますが、マスコミを操縦します。
では記者は、リークを元に何故独自の解釈に至れないかと言いますと、
捜査方針に逆らう記事を書くには、その後のクラブ内でリークをもらえないばかりか、
クラブ体制の利点の全てからオミットされることになるからです。
捜査情報ばかりでなく、日常のいちいちについて情報をもらえなくなります。
何せ日常的に会って顔も知られていますし、時には一緒に飲んだりしますからね。
外へ飲み行くのがまずいような時には「社内で一杯」やりますから。
ですから村八分が怖いために、担当記者は捜査方針に沿った検察リークを捜査方針に沿った記事に仕立てるわけで、
従ってどの新聞を見ても、解釈に僅かな違いはあっても事実関係においては、全社すべて同じということになります。
おかしいでしょう、事実関係に異を唱える社は現れないんですから。
これは交通事故なんかでも、警察情報の丸写しをしますから、様々な誤りが起きます。
粘り強い被害者が独自に調査をして、判決をひっくり返すようなことが起きていますが、
またそういうことが起きると、鬼の首を取ったようにマスコミは正義の筆を振り回して警察批判をしますが、
事故直後にはなんの疑問も抱かず日常業務の延長として警察情報をそのまま記事にしていたのにそこはほっかむりです。
リークの仕方には色々ありますが一番多く行われるのが、あうんの呼吸と言う奴で。
「被疑者が本日何時何分にこう言った」と言うような露骨なリークをする者はさすがに居ませんが、
質問を誘導するという形で、リークは行われます。
記者に「吐いたんですか?」と質問させて、被疑者が喋っていなければ明確に否定しますが、喋っていれば無言か、目でうなずく。
次に「何時頃です? 午前ですか午後ですか?」と言った具合に徐々に時間を狭めていきます。
つまりどこまでも自分の口から事実関係を詳細に記者に喋ると言うことはないわけです。
これをリークなど無い、という言葉の根拠にしているわけです。
リークという言葉の意味をを限定して、それはないと言うわけです。
言葉本来の意味に立ち返れば明確にリークなんですが、彼は自分の口で喋っていないということで、
万一法廷で争うようなことになっても、事実関係では喋っていないという事実をつくっているわけです。
まあ、テクニックは色々ありますが、何せクラブ取材制度は長い歴史がありますから、
そのテクニックも洗練されて、当事者達にも「これ、おかしいんじゃね」と思わせないほど文体が整理されています。
ですから検察OBがマスコミ上で「リークなど断じて無い!」と言う時のリークという言葉は
極めて限定的な意味で使われているという所に注意をしないと行けません。
これも高等テクニックですが、一般常識より極めて狭く言葉の意味を定義しておいて、その狭い言葉を否定するというのは
役人や政治家がよく使う手で、記者が一言「その場合、リークという言葉の意味は?」と質問すれば
核心に迫れるのですが、現に昔はそうした記者が居たと言うことも聞きますが、
近頃すっかり記者も行儀が良くなって、ここでも草食なんでしょうか?
おしまい。

iPhone
私的には東京で一番おいしいと思っていた立ち食いそば屋が、閉店してしまいました。
唐突に閉店です。
やめるなんて話は聞いていませんでしたし、店もはやっていたのに、なんでだろう?
オヤジが倒れたとか、良くないことを考えてしまいます。
近所のオヤジサラリーマン、大型トラックの運ちゃん、タクシーの運ちゃん、私みたいな得体の知れないじじいとかで
凄くはやっていたそば屋でした。
朝は七時から夜も七時頃まで、開けていたそば屋。
残念だなあ、私はマキシムやらエバンタイユやら行きませんから星を貰ったレストランが閉店してもちっとも寂しくないんですが
B級グルメ店の閉店は、けっこう寂しがります。
前にも書きましたが、私は立ち食いそばには一家言がありまして、私の一家言を満たす立ち食いそば屋は少ないんです。
まず立ち食いそばは、そばやうどんやパスタがあるように立ち食いそばというジャンルがあるとわたしは思っています。
決してそばを立ち食いさせる店なんかじゃなく、立ち食いそばを出す店なんです。
ですから、立ち食いそばを唱いながら生そばなんか出すのは邪道です。
立ち食いそば屋は蒸しそばでなくちゃあいけません。
俗に言う伸びたようなそばです。(汗
それから、めんつゆが甘くなくちゃあいけません。
そう弁松の弁当のように。
大袈裟に一家言と言いましたが、必要且つ十分な条件はそれだけなんですが。
これが中々無いんですよ、第一蒸しそば使ってるところが少ない。
みんなこまっちゃくれた生そばまがいのものを使いたがる。
希に蒸しそばにあたって喜ぶと、今度はおつゆがそば屋の真似をして辛いつゆなんぞ使ってます。
なんでそうなるかなあ、なんて内心怒っちゃいます。
人形町にだって立ち食いそばは何軒もあるんですが、私はわざわざ自転車に乗って、浅草橋まで食べに行ってたんです。
ふぐが食べたくなると飛行機に乗って下関まで行くと言ってたタレントが居ましたが、気分は一緒です。(笑
あははは、ほんと、しかし残念だなあ、想像すると幾らでも話が作れそうなやめ方ですが、
今日の処は想像を交えずにお知らせだけ。
ああ、ほんとうに残念だ。
![]()
見ました。
字幕版の3Dで見ました。
ストーリーは陳腐です。
アメリカ人は戦いが好き、空を飛ぶのが好き、みたいな感じです。
そして相変わらず新天地を求めていく、ニューフロンティア精神に訴える作りで、
部分部分のアイデアはスタジオジブリのパクリや、ロボコップからイタダキだったりします。
見ていて、いいのかなあ、と思うほどでした。
では、3Dはどうか?
行く前に色々聞いていましたので、期待過剰で出かけたんですが、飛び出します。
一番立体的だったのは字幕というのがちょっと皮肉ですが。
日本に四館しかないIMAXで見ないとほんとのすごさは分からない、ということですので
まあ、そんなもんなのかなあという感じでした。
驚愕! と言うのにはほど遠い。
じゃあ全然つまらないかと言えば、それはそんなことはありません。
ただ、CGに物凄いお金と時間がかかっていることは分かりますが、
どうしても大もとのストーリーが大人の鑑賞に堪える様に出来ていないので、高揚する気持ちがそがれてしまって
なんか凄いんだけど感動しない、みたいな感じで帰ってきました。
戦い好きだけで終わってはいけないと思ったのか、とってつけたように自然破壊はいけませんみたいなわざとらしいメッセージがあります。
時間設定は最後のシーンで映画の中のコンピューターモニターに2154年8月24日と出ていました。
主人公の誕生日だそうですが、それがストーリー上出てこなければならない必然性はありません。
なんかこのところ、小沢問題でもAVATARでも世論に逆らうような文字ばかり連ねているようで
気が引けるんですが、仕方ない、これが私の正直な感想です。
ただCGの出来はそれはもう、凄い凄い、ですよ。
さて、話は変わるんですが、思わぬ所から検察批判が。
この検察批判の意見というのは既成の新聞、テレビではほとんど記事としては見かけません。
記者個人の中には変だと思っている人が居るようなのですが、記事としてはそれが上がってこない。
盛んに変だ変だといっているのはネットマスコミばかりですね。
そこに自民党から検察オカシイと声を上げた人が居ます。
ご存じ河野太郎さん、お父さんも反骨の人でしたが、というより自民党の政治家としては一般人と常識が重なる人でしたが、
そのお子さんだけにDNAを受け継いで居るみたいです。
政治家のブログって読んだこと無かったんですが、驚きました。
文章がくだけているんですね。
小沢問題は自民党にとっては攻めどころなのに、検察批判をしています。
まあ、それほどにこのところの検察はひどいと言うことです。
接見した弁護士が被疑者は喋っていないというのに、新聞では自白したと記事になります。
これはもうリークされた内容を書いていると言うより
明らかに検察の手先ですよね。
同一人物に会った二人の人の内の一人が「彼はAと言った」と言い、
別の一人は「Bと言った」と言っている場合、裏取りをしなければいけませんね。
それをせずに一方の言い分だけを記事にするのは、プロパガンダです。
日本の報道は死に瀕しています。
今月の6日に長谷川恒夫さんの話を書きましたが、きのうテレビを見ていましたら
NHKアーカイブスに植村直己さんが出てきたんです。
懐かしくて、

スキャン
じっと見ていたんですが、そこで外国の冒険家(名前覚えられませんでした)にインタビューする植村直己の口から
「命が一番大事で、いつも生きて帰ってこようと思うんですが、、」時々うっかりすることがあるというような話をしていました。
相手の外国人は植村直己の話に頷きながら、
「でも、命をかけない冒険なんてあり得ない!」と断言していました。
長谷川さんだけじゃないんですね。
登山家や冒険家はみんな死に向かう一歩を躊躇しないんですね。
私に出来るだろうか?
出来ないから、冒険家じゃないんですよね。
彼らは言葉で詩を紡ぐのではなく、行動で詩を表現するんですね。
だから私は彼らに感動します。
ありがとう。