またまた最終日に行ってきました。藤森武さん(土門拳のお弟子さん)が10年に以上にわたって、親しくお付き合いをしながら撮影された熊谷守一の日常です。非常に興味深い写真で守一の超俗な生活が生き生きと活写されています。この展覧会で展示されていた写真は、右の通り世界文化社から出版されており、今も書店で入手可能ですから是非ご覧になって下さい。この展覧会が催されていた「熊谷守一美術館」というのは、藤森さんの写真にある守一の居住とアトリエのあった跡地に、お嬢さんの榧さんがお建てになったもので、普段は熊谷守一の作品が常設で置かれています。
私は熊谷守一の板絵が好きなんですが、美術館にはその板絵を元にシルクスクリーンをおこしたものが売られていました。これは私にも手の出る値段でしたが、やはり板絵とは全然別物になってしまっていて、絵画と言うよりはイラストと言った方が適切なような感じに仕上がっていました。板絵の方はちょっと手が届きませんから、まあちょくちょく展覧会に出かけて見ることにします。52歳でこの池袋の千早町へ越してきてそれから亡くなるまで、ほとんどこの家を出なかったそうで
この80坪程の庭と家とが彼の40年間の世界だったわけです。文化勲章を辞退したと言って思い出すのは、大岡昇平と大江健三郎とこの熊谷守一なんですね、私は。そうして、先の二人に比べて熊谷の場合は明確な裏付けがあって断ったと言うよりも、イヤだった、と言うだけで断っちゃったみたいなところがあって、そこがまた何ともいいんですね。それが絵に現れています。いやなことはしないで、好きなことだけしている人生、どうすればそうできるのか、私には皆目見当がつきませんが、無理なくそれが出来てしまうところが熊谷守一なんでしょうね。いい絵描きです。
朝刊に(8/5A)京都がアライグマに迷惑している記事が載っていましたが、私の周囲でもアライグマに住みつかれて大おうじょうした人がいます。当時某大手の建設会社部長だったんですが、田舎の実家の留守宅にアライグマが住みついて大弱り。まあ、それはナントカ解決したんですが、その間に彼は昇進、その後に別の某大手の建設会社と合併。財閥系同士の合併ですから一時新聞を賑わせました。大勢のリストラが出たんですが彼はまたまた昇進して、専務。会社が大きくなって昇進ですから、言うことなし、と思っていましたら、つい最近その大手の建設会社の社長になってしまいました。ですから、動物が住みつくと縁起がいいのかもしれません。
なんていくら前フリで縁起の良さを強調しても、中々納得してもらえないのが「地域猫」問題らしいのです。猫は夏で、今みんなやせていますが相変わらず元気です。STUDIOの裏ではこんな案配です。
みんな仲がいいんです。ここではリラックスしています。私は別に餌をやるわけではありません。たまに鰹を1本買ってきたようなときには内蔵を生であげますが、そんなとき以外は餌ほしさにここへ来ているわけではないようです。猫は餌場、寝る場所、昼寝の場所と決めてあるそうですが、きらわれるのが便所の場所。これが不思議と猫嫌いの人の家の周囲が便所になるみたいです。考えてみれば彼らに安住の地はないのです。24時間緊張に身を包みながら暮らしているわけですから、ここは安全という場所があればそこに集まります。STUDIOの裏は特別のことがない限り餌をもらえるわけでもなく、猫のための特別ななにかを用意しているわけでもありませんが、猫が集まります。ただそうは言っても、心がけていることはあります。ドアを開けて、そこに猫がいれば必ず声をかけます。「お、いたのか」とか「みんな、仲いいねえ」とか、それだけですが。でもこのそれだけが、24時間緊張を強いられている身には何ともリラックスのもとらしいのです。ですからここへ集まる。集まればここは猫たちの場所ですから、きれい好きな猫はその近辺で糞尿はしなくなります。猫のテリトリーは50m
から100m位だそうですが、下町ではもっと小さくてだいたい2ブロックぐらいで1グループを形成しています。左の写真のクーラーの上にいる猫がこのグループのボス猫です。以前はふてぶてしい態度で、人が脅したってなかなか逃げたりはしませんでしたし、時には向かってくる姿勢さえ見せていたんですが、このごろはここにいるときは穏やかな顔をしています。そうして人間には反抗的なんですが、他の猫にはたいそうやさしくしていますから人望もあるようです。ところがここに問題勃発です。
右の家、新築です。出来てまだ1年たちません。下町には珍しく、色のセンスも形もいい、デザインされたおうちなんですが、そこにこのブロック。まだセメンも乾いていませんが、「デザインなんてどうでもいいのよ!」といった風情。.....これが下町の下町たる由縁なんですが、デザイナーが見たらなんと思うでしょう。目を覆いたくなるのは私だけでしょうか。猫よけにしては、あまりに猫を知らなさすぎます。ご近所なので多くは言いませんが、かなり感情的になっているご様子。こちらが大いに画策されて、町内世話役、町会長、果ては役所まで動かしての猫対策。結局、トラップを仕掛けることになったようです。仕掛ける人はSさん。この人不思議な人なんです。私が町内で唯一フランクに話が出来る人。釣り好き。フライからウナギ取りまで何でもやります。隅田川をウナギが下って行くことも、浦安では青柳を釣り竿で釣ることも、みんな彼から教わりました。彼の仕事場にも(紙の断裁をしておられます)猫が集まります。仕事が早く終わったときなぞ、彼はその集まった猫をフライで釣っています。もちろんフックはないんですが、先に手製の魚がついたフライを振ると猫が追っていきます。それをじらすようにリトリーブして、猫が針掛かりすると寄せてきます。猫は遊びだと分かっているんでしょうね、
疑似餌をくわえてはなさいまま引きずられています。通りがかりの人も足を止めて見ています。不思議な魅力のある人なんです。この人も時々残り物があるとやっているようです。ですから私は素人の仕掛けるトラップに猫が、しかもねらった猫だけがかかるもんかと、お手並み拝見を決め込んでいたんですが、仕掛ける人がSさんだと知って、これはやられるな、と思いました。一週間ほど前、「風間さんの裏に昼間猫がたまっているみたいなんで、これちょっとかけさせて下さい」と言われました。どうぞと言ったんですが、翌日から猫の姿が減った。そうして昨日様子を聴いてみたら、「雌が三匹と思って捕まえたんだけど二匹でした」ですって。すでに避妊手術完了らしいのです。「それから大きいのがいるでしょう」と言われて思ったのは私が「親分」と呼んでいるボス猫。アア、あいつも去勢されちゃうんだ、あの迫力はなくなってしまうんだ、とちょっと感傷的になりました。しかし恐ろしいのはSさんです。動物を知り尽くしています。まあそんなわけで近いうちに猫はまた戻ってくるでしょうし、あちこちオシッコで迷惑をかけるんでしょうが、強制的に始末されることもなく、寿命を全うできるらしいことはいいことですが、子供はもう出来ませんから、いつか淘汰されてしまうんでしょうね。いいのか悪いのかわかりませんが、人間に邪魔なら排除してしまおうと言う考え方はまるでアメリカのようで、私はちょっと嫌いだな、と言う感想でした。猫たちが無事に戻ってきたら、また写真でご報告します。これが下町でこれが下町人情です。雑誌には中々載らないでしょう。良くも悪くもこんなもんです。...............下町通信でした。JOAK....。
自転車で大島のユニクロまで行く途中、「山利喜」の前に開店前から人が並んでいました。森下の交差点際にある煮込み屋です。またテレビに出たんでしょうね。だいたいテレビに出た次の土日はこんな風になります。ちょっと前まで(でも十年ぐらいにはなるかも)は近所の人とよほどの酒好きしかいなかったんですが、今はこんな有様です。写真の手前二三軒先には「みの家」というけとばし屋があります。前はこっちへ行列ができていたんですが、今日はそっちはすでにのれんが出ていたんですが、まだまだ席に余裕がありました。入ったわけじゃありません、のぞいたんです。いつも愛用のユニクロのノースリーブTシャツが三枚990円、をネットで見つけました。でも送料が550円。じゃあ行こうということで、電話をしたら在庫あり。それで出かけた途中です。買い物を済ませて帰ってくると、もうのれんは出ていましたがまだ並んでいる人がいる。行列を見るといつも思うんですが、「食べたいときが旨いとき、飲みたいときがうまいとき」なんです、わたしは。だから今飲みたいのに、それを我慢して30分一時間と待つと、せっかくの体の欲求を裏切ってしまうんですね。そういうことを続けていると体が反乱を起こして、だんだん味覚がおかしくなる。私ならさっさとほかへ行きますね。煮込みはこのあたりどこでもあります。定食屋でもそば屋でも。でもそれじゃあ駄目なんでしょうね。待つのが楽しめる人はゆとりがあるんでしょうね、私はとても駄目です。

で、表題ですが。人のホームページからお題を頂戴する例によってのいい加減さですが、これは是非まだお読みになってない方に紹介したいので敢えて取り上げてみました。「
ほぼ日刊イトイ新聞」に再録されているコラムです。山下洋輔カルテットとタモリ、糸井重里で表題のコンサート兼トークショーみたいなものがあったらしいんです。それを記事におこしたものなんですが、どうしても文字では分かりにくいところは音が聞かれるようになっています。これが実に分かりやすくて的をえ(射)ています。JAZZの基本が平明な語り口の中で見事に説明されています。音楽理論の教則本というのは実に分かりにくくて、あれを読むとたいていの人は音楽が嫌いになってしまいます。昔ある人に、そう私のホームページの表紙にあるロゴマークを書いてくれた人、わたしはタダオキチャンと呼んでいますが、この人が教えてくれた本が「実用ジャズ講座」。
渡辺貞夫の著書ですが、これが実に分かりやすい。いっぺんで音楽が好きになります。学校ではなんでこういうふうに音楽を教えないんだろうと思っちゃいました。これがリニューアル改訂されて十年程前に出たのが『ポピュラー音楽理論』。これも名著です。で、このタダオキチャン、タモリと同級生。学部は違ったようですが同じ早稲田のジャズ研。タモリが一時彼の所に寄宿していたこともあったそうです。そんなわけでタモリがデビュー直後、まだブレイクする少し前ですが、みんなで麻雀をよくやっていました。私は麻雀を知らないので、一度も同席をしたことはないんですが、一緒に打った連中はみんな口をそろえて、「おもしろい奴がいるぞ!」でした。麻雀を打ちながら四カ国語麻雀のネタをやっていたそうです。それを面白がって山下洋輔や坂田明があちこちと連れ回しているうちに大ブレークしたというわけです。話を本題に戻しますが、この「はじめてのJAZZ」の中でまあ山下洋輔のいうことは当然ながら分かりやすくてうんちくがあるんですが、タモリの説明と批評がふざけていながら、音楽家にはとても痛烈で快哉を叫びたくなります。彼がただものでない所が随所に現れています。「アメリカにはJAZZ以外文化はない」と言う皮肉は文明批評とさへ言えます。直リン禁止と書いてないから構わないんでしょうが、ここは礼儀として表紙へリンクをしましたから、行ったら、ずうっと下の方へスクロールして下さい。すぐ見つかると思います。この話の中に新宿の「J」が出てきます。やはり早稲田の、彼らの先輩がやっていたジャズクラブです。この話の中では糸井重里がタモリの店のように言っていますがそれはちょっと違います。この先輩のやっていた「J」が火事を出したことがありました。そのとき、タダオキチャン達が発起人になって「Northwest Enterprise」(都の西北、をもじったんですね)という組織を作ってその頃すでにブレークしていたタモリを広告塔に、寄付を集めて、当時貴重だったジャズのライブクラブを守ったんですね。またまた余談ですが、ある時ここで飲んでいるとき、赤塚不二夫がグデングデンに酔っぱらって6人掛けくらいのテーブルを一人で占拠して誰もそばに近寄らないということがありました。その時、オオトリでテナーサックスの中村誠一が吹いたんです。赤塚の泥酔なんか吹き飛んでしまうような猛烈な迫力で、さすが中村誠一、という感じでした。赤塚さんも大喜び。この時中村誠一が連れていたのが背の小さなアルトサックス奏者。中村誠一の後ろで控えめに吹いていたんですが、さんざん吹きまくった中村誠一がソロを彼に譲ったとたん、その場の空気が一変しました。やかましかった赤塚さんも沈黙。とにかく凄かったんです。音の大きな中村誠一の音が小さく聞こえる程、猛烈でした。吹いて吹いて吹きまくったんです。凄い人がいるもんだなあ、と感心して、隣にいたタダオキチャンに「今の人誰?」って訊いたら、「ヨシ、マルタ」ですって。「ホント?」「ほんと!」で、それからしばらくしてその人も大ブレーク。名前は「マルタ」だけになっていました。でもテレビで聴いたマルタはあのときのヨシマルタとはちょっと別人。このあたりむつかしいですね。脇道、それ道で今日もまた、まとまりのない話になってしまいましたが、「はじめてのJAZZ」読んでみて下さい。
今日行ってみましたら、表紙からリンクが消えていました。致し方なく直リンクです。ここへ行けば読めます。
風間様ご無沙汰しています。
仙台の遊び人尾苗 清、です。
表紙に書かれていた時間に二度程訪問致しましたので何かのトラブルではないかと思います。
それ程心配される程ではないかと思います。
私、Jazzにはかなり思い入れがありますので楽しく読ませて頂きました。
高校生の分際で神保町のジャズ喫茶「コンボ」(残念ながら現在はありません)には学校をさぼって良く行ってました(笑
パコもスーパーギタートリオのみですが数枚持ってます。
本当に素晴らしいギタリストですね。
「ヒートアイランド東京」の夏場は寝苦しいでしょうが
お体に気をつけて御過ごしください。
尾苗 清
返信
尾苗様
そうですか、アクセス解析もレンタルなので
何かの事故だったんでしょうね。
わざわざお知らせいただきありがとうございます。
尾苗さんがパコ好きなのは頼もしい限りです。
私は詳しくないんですが、音楽は好きなんです。
ジャンルは何でも、でも演歌は美空ひばりしか聴きませんねえ。
このへんタモリと一緒です。
いつもありがとうございます、反応があると安心します。
でも新藤さんのように反応ありすぎるのも大変でしょうが。
暑い夏をお互い元気で乗り切りましょう。
もう、立秋ですから。
では。
昨日、新宿にあるJazz Spot J に行って来ました。
10日前にある所で飲んでいて、初めて話した方とこの J の話題が出て一週間前にネットで調べたところ増尾好秋ライブの告知があり行った訳です。
このお店に行ったのは12年振りです。「増尾好秋’93」という東京・大阪・小倉のツアーのリハーサルが J であって以来行っていませんでした。
増尾好秋(guitar),ケニー・ドリューJr.(piano),鈴木良雄(bass),バディー・ウイリアムス(drums),ルディー・バード(percussion)と渡辺貞夫(alto sax)というメンバーでした。
古い話ですが、30年以上前から J には行っていまして、その頃すでに増尾好秋はN.Y.に活動の場を移して、ソニー・ロリンズやエルビン・ジョーンズ等のグループに参加していましたが、年に一度のペースで来日し J でセッションをしていました。
その情報をこのホームページに出て来たこともあるタダオキチャンから得て、当時ミキサーの駆け出しだった私は、これ幸いに録音機材を持ち込んで何度か録音をしていました。
当時、こういうミュージシャン達と一緒に仕事が出来るといいなぁと思い、20年後に夢がかなったと感慨深いものがありました。
昨日はギタートリオですので、音の厚みや変化の面で同じ様に聞こえてしまうのではと懸念していましたが、さすが一流で、あきるどころか溢れ出るメロディー・リズム、ギブソンのフルアコのギターで繊細な音で円熟期に入ったと思わせる素晴らしいものでした。
最前列で見ていましたので、2m先の彼の指使いに見とれていました。
2部の何曲目かに飛び入りで若いテナーサックス奏者と3曲セッションがありましたが、良かったですよ。マルタに似た衝撃を受けました。
彼は宮崎悟?と言ってた様で、25歳前後に見えました。
熊本の天草出身で、15才の時渡辺貞夫のCMを見て、島に2件しかないレコード店に行ってLPを買い、吹奏楽部に入ってその後東京に出てきたそうです。
増尾氏は「渡辺さんは私も影響を受けましたが、こうして色々な人にも影響を与えていますなぁ」とコメントしていました。
客はほぼ満杯の50人程度いたでしょうか、拍手鳴り止まずアンコール3曲終了後、「もう終り、おやすみなさい」でやっと終わりました。
心地よいサウンドが頭を駆け巡る中、ほぼ終電で家路につきました。ズージャはいいね。
返信
本職からお便りいただいて恐縮です。
増尾好秋と言えば私も十年程前に、頼まれてボランティアでリハーサルから本番までを撮ったことがあります。リハーサルは、どこからどう撮ってもいいと言われていたんですけど、そう言われてもねえ....... 増尾好秋を知っている人ならおわかりでしょうが、彼はカメラマン泣かせのギタリストなんですよ。何せ演奏中はズ-------ッと下を向きっぱなしですから。この時はオーボエの宮本文昭とセッション。楽屋で音あわせの時、全員がDATを自分の楽器へ繋いで、演奏を始めたのは初めて見る光景で、演奏後に増尾好秋に訊いたんです。「なんで、みんなリハーサルを録音するの?」って。そうしたら増尾さんが教えてくれました。「いつ、音楽の女神がおりてくるか分からないから」ですって。感動したなあ。リハーサルでもみんなそう言う気持ちで音楽に向かっている。このとき、宮本文昭さんが「クラッシックではこういうことしないんですよねえ」って、うらやましそうに言ってたのが印象的でした
で、まあナントカ写真は撮ったんですけど、舞台は暗いわ、増尾は下を向いてるわで、セレクションに相当苦労したすえ、なんとか打ち上げの時に御本人に渡すことができました。奥さんが喜んで「どうもありがとうございます」って言ってくれたんですが、本人は「あ、そうですか」って素っ気なかった。もっと喜んでよ、と思ったんですが、ぱらぱらと見ただけ。奥さんが気の毒がって「増尾はあんまり写真がないから、嬉しいわ」ですって。それでも本人は笑っているだけ。あんなに下向いてちゃ写真は少ないでしょうね。スタッフから演奏中もう少し上を向けってアドバイスされてたんですけど、演奏始まって五分くらい上を向いてただけ。演奏に身が入ってくるとずうっと下向き、ひたすら下向き。とにかく撮りにくい人です。
広告屋は政治と宗教の話はしないものなんだそうです。それはたぶん自分の立場を鮮明にしないことによって、あらゆる立場の仕事も引き受けられるようにという職業的配慮なんでしょう。いいか悪いかはそれぞれの判断ですが、そういうのってたぶん日本的発想なんだと思います。今日は十日で衆議院解散日は八日、つまりその翌日は九日になるんですね。60年前のその日、長崎へ原爆が投下された日です。今年TBSが特番を組んでいました。8/5放送「ヒロシマ」ーあのとき、原爆投下は止められた。いま、明らかになる悲劇の真実ーというサブタイトルが付いていました。番組の内容はさておき、一つ印象的だった場面があります。被爆者二人と原子爆弾を開発し、それを実際に使うことを進言した科学者、アグニュー博士との対面場面です。被爆者のお二人は終始抑制のきいた態度と言葉で番組の企画に付き合っておられましたが、最後の最後に「一言博士から、謝罪の言葉が欲しかった」と絞るように仰いましたが、博士はその被爆者に向かって「Remember Pearl Harbor !」と言ったんです。イアン・ブルマというオランダ生まれのイギリス人(だったと思います)がその著書の中で「日本人は被害者意識ばかりが強すぎる」と書いています。確かに被爆のことは毎年毎年繰り返し言われますが、そうなったおおもとのことや近隣諸国で日本の軍部が行った蛮行はあまり言われません。それにしてもです、「Remember Pearl Harbor !」と言う言葉は日本の政治家や軍部やそれに協力した者に向かって投げつけられるべき言葉であって、被爆者に向けて発せられてはならない言葉です。かつて、その人はすでに亡くなった被爆者ですが、「原爆を落とした者への恨みは忘れることはできないが、それを許すことはできる」と言ったのを聴いたことがあります。被害を受けた者の人格がその被害によって高まりその被害を与えた加害者の人格が
萎えてしまうのはよくあることですが、この場合はあまりにもひどいものでした。そんな言葉を浴びせられた被爆者は言ってみればセカンドレイプにあったようなものです。それでも最後まで博士をののしることもなく、掴みかかることもなく、ただ「残念だ」とばかり仰っていました。以前に「
東京大空襲」の所でも書きましたが東京大空襲と広島、長崎の原爆投下は明らかにジェノサイドです。そういう意識を持った上で「Remember Pearl Harbor !」と言われればまだこちらの耳にも届くのですが....。Yes or Noのどちらかしか選べない文化ではそれを望むのは無理なんでしょうね。私は一時期その生活の糧のほとんどをアメリカに於ける写真の売り上げで成り立たせていたことがありますから、アメリカから恩恵も受けておりますし(何より我々は『ララ物資』によって育った世代ですから)「アメリカの自由」の良いところも享受しております。それでもやはり「是か非か」しかない文化にはなじめないですね。是でもないけど非でもない、是だけど非でもある、と言うニュアンスはやはりコーカソイド、と言うよりはアメリカには通用しないんでしょうね。わたしは「是か非か」だけの判断基準というものには非常な違和感を覚えますが、違和感と言えばこの看板。九日の夜。さる地下鉄の駅を下りて階段を上がって地上に出たところに置かれていました。設置の場所としてはこれ以上ない絶妙な場所で、イヤでも目に入ります。ただその看板に書かれていることは、解散した日だからもう選挙を意識しているんでしょうが、なんとも党が押しつけがましい。たぶん田中さんという有力者が亡くなって、その方は自由民主党の党員か代議士か有力な後援者で、だから自民党としても葬儀を行いたいということで、合同葬、なんでしょうね。脇がゴミ置き場で反対側は町会の案内掲示板。町内地図も置かれていまして、よけいなことですが通りの向こうに灯りが見えるのはチェーン展開している天丼屋。車もたくさん走っている東京の中心ですが、たまたま画面にその走る車が写っていないと、田舎の国道沿いに葬式の捨て看板、みたいな感じになりますね。これで看板が薄汚れて、あちこち破れたりなんかしていると映画の冒頭シーンに使えそうでもあります。今日は言いたいことと写真とその量的バランスが無茶苦茶になってしまいました。やはり広告屋は政治を語らない方がいいんでしょうか..................
追伸:なんだか三日続けてアメリカの悪口になりましたが、決してアメリカに敵対しているわけではないんです。でも、アメリカ的ものの考え方が嫌いなことは確かですが、JAZZは好きだしキャパもベンシャーンもワイエスも好きなんですけどねえ。ベンシャーンと言えば彼の描いた第五福竜丸、ご存じですか?
8/11 AWZ様よりメール
2週間くらい前のニュースで、原爆を落としたパイロットが「我々は正しい選択をしたと
今でも思っている。」と放送してました。たぶん、戦争を終了させた英雄だと死ぬまで、
思っていたいのでしょうね。非を認めたからってだれも勲章を取ったりはしないって。
数年前、ハワイ旅行した時に真珠湾に行ってきました。今でも Remember Pearl Harbor
と書かれていて日本人が行くとチョットいやな気分になります。そこで、ボランティアで
働いている立派な体格をし、軍服を着ている老人がいました。戦艦アリゾナの生き残った
方です。真珠湾に来た観光者に戦争の話をしてました。僕が興味を持ってずっと聞いてい
るので、その人は僕にちょっと待っててくれと言い、奥の部屋からアルバムを持ってきて
写真を見せるんです。この写真の人たちがゼロ戦のパイロットで、アリゾナの戦友を何千
人も殺したんだと説明されました。僕はかなり参りました。何も言う言葉なしです。その
後に、終戦後50年経ってからその人は日本に来てゼロ戦のパイロット達と会ったそうです。
そしてその人は「今はゼロ戦のパイロット達とは親友さ、手紙のやり取りもしている。あ
の時は国の命令で戦っただけで恨みも憎しみも何もない。」周りに人が大勢いたけど、僕
一人だけオイオイ声を出して泣いてしまいました。
去年、日本のニュースでもこの人が亡くなったという事を伝えてました。
「寛容」と言う言葉がアメリカにはないみたい。
これはアメリカ人にないんではなくて、
アメリカの政治システムにないみたいですね。
アメリカに限らず、人を殺すための道具を毎日毎日、
自分の学んだ知識と経験の全てを賭して考えている人がいるというのは
ある意味テロリストより恐ろしいことです。
少なくともテロルに走るには、その元になった恨みがあるんですから。
恨みも怒りもなく、冷静に人殺しの方法と効率を考えている人って壊れていますよね。
博士と肩書きがついていても。
日本にも阿部英博士というそんな人がいましたけど。
返信
親しい友人にマリリンと呼ばれる女性がいます。北海道のご出身でしかも北海道の方しか知らないかもしれない、雄武の産。
本題に入る前に海外に長くお住まいの方のためにタイトルの説明を。1968年から1976年まで講談社の少年マガジンに掲載されたボクシングに題材をとった漫画「あしたのジョー」。高森朝男の原作に絵がちばてつや、テレビ化されたときの主題歌の作詞が寺山修司、歌が尾藤イサオ。スポコン(スポーツ根性ものの略)漫画の典型。主人公のジョーが明日を夢見ながら次々に現れるライバルと戦う中で、ボクシング技術と人間性の成長を勝ち取って行くドラマ。倒されるたびにセコンド役の片眼のオヤジ丹下団平から「立つんだ、ジョー!」と叱咤される。学生運動の絶頂期からその徹底的な敗北後までの間連載され、時代の閉塞感と若者の挫折感に絶妙にフィットして大ヒットした作品。ちばてつやの絵のうまさも評判になりました。主人公の生涯のライバル力石徹が漫画の中で死ぬと実際に葬儀が行われ、原作者など制作に携わった人たちも参加して話題になりました。
さて、そこで本題ですが、そのマリリンさんがちょっと早いお盆休み(旧で)をとって雄武へ帰ったと思って下さい。そのお土産がこれ。羆(ヒグマ)の缶詰やらエゾシカの缶詰。昨日鹿の話が出たあとなので絶妙のタイミング。右がヒグマの缶詰を開けたところ。大和煮です。味は大和煮の味しかしない。鹿のみそ煮も頂いたんですがこれも味噌の味しかしない。頂いといてこう言うのは失礼ですが、中身が何でも同じ味がするみたいです。一座の人々興奮して口に運んだ割には、ビミョーな反応。これなら信州のセミの缶詰の方がインパクトあるなあ、なんて思いながら頂きました。
さて、このマリリンさんが実家でくつろいでおられたある昼過ぎ、居間の方でガターンという大きな音がしたそうです。てっきりお父様がいすから仰向けに倒れたと思って、あわてて居間へ走り込んでみると全然そんな気配はない。ただ庭に面した大きな窓の所にご両親と弟さんが寄ってしきりに外を見ておられたそうです。「どうしたの? 今の音」と訊いても誰も振り返らずに外を見ているんだそうです。しかたなく彼女も窓に近づいて外を見てみると、なんとカラスが一羽窓の外で仰向けにひっくり返っていたそうです。

そう、窓にぶつかってきたんですね。本州なら硝子を破ってしまうでしょうが、北海道では冬に備えて厚い硝子を使う。しかも二重硝子。さすがのカラスも気を失ってしまったようです。仰向けのまま羽をゆっくりと羽ばたかせて、いったい自分に何が起きたのか分からないという風で、目をぱちくり、ぱちくりさせていたそうです。瀕死の状態にも見えたそうで「だめかねえ」とどなたかが言ったそうですが、誰もそれに返事をしない。カラスはずいぶん長い間そうしていたそうですが、そのうちあたりが騒々しくなってきたと思ったら15,6羽のカラスがその倒れているカラスのそばの柏の木の上へ集まってきたそうです。そうして盛んに鳴いて件のカラスを励ましている様子。「立て、たつんだ!ジョー」みたいな感じ。マリリンさんが弟さんへ「もしだめだったら、誰が行くの?」弟さん「・・・」無言。庭の松の木の下には兄弟が幼いときにかわいがっていた犬が埋められているそうです。マリリンはあのときみたいに、誰かがそのカラスを庭のどこかに産めてやらなければならない、と考えたんでしょうね。でもそのカラスの様子と柏の木の上のたくさんのカラスを見るとけっこう恐ろしくて、弟さんは何も答えられなかったみたい。そうこうしているうちに柏の木の上のカラスたちが不思議なことをはじめたそうです。めいめいが柏の葉をクチバシで千切って下のカラスのまわりに落とし始めたそうなんです。何枚も何枚も、まるで葉っぱの雨が降るみたいに。そのうちにようやくカラスは仰向け状態を脱して地面に立ち、庭の石の上に上がろうと羽ばたきながら飛び上がるんですが相当ダメージがあるのか、中々上がれないでつまずいたようになっていたそうです。その間も柏の葉の雨は降り続き、カラスは何度も何度も石に飛び上がり、いつしか部屋の中の全員が「立て、立つんだ!ジョー」となっていたそうです。始まりから30分ほども経ってようやくカラスは石の上に立ち、やがて何事もなかったように飛び去ったそうです。もちろん、柏の木の上のカラスたちも。そうして庭には数限りない千切られた柏の葉っぱが落ちていたそうです。カラスが何故そんなことをしたのか、その意味はナンなのか? 動物学者でも明快な答えは出せそうにない不思議な話でした。ヒグマとエゾシカを肴に熱燗を飲みながら聴いた北海道ならではの話。何よりのお土産でした。当のマリリン曰く、「カラスの足の裏って、初めて見たわ」ですって。ちなみにいくらかピンクっぽい感じがしたそうです。
2005年8月14日 昨日の渡御
昨日14日は深川富岡八幡の本祭り、以前に
書きましたが深川には120基の神輿があります。そのうち56基の大神輿がこの日一斉に渡御(とぎょ、と読みます)します。平たく言えば練り歩くわけですね。これが午前11時から午後5時にかけて清洲橋と永代橋を渡ります。これが見ものなんです。これぞ江戸っ子、これぞ祭りという雰囲気です。この時ばかりは深川の連中は深川に生まれて良かったと思うんです。上はもう大神輿の渡御がすんで、こんな可愛い奴が。これも宮入寸前で、「差せ、差せ!」と声がかかっているところです。片手で神輿を支え、もう片方で担ぎ棒を叩くのがきまり。このあと、三本締めでお開き。
三本しめるのは一本目自分たち、二本目来賓、三本目祭りそのものと地元へ、ということらしいのです。近頃結婚式などで三本締めの音頭を来賓に頼んだり、また頼まれた来賓が音頭を取ったりしますが、上の意味合いからもそれは間違い。こういう「達引き(たてひき)」を心得ないと野暮といわれる。三本締めの前に「イヨーォ」と掛け声が入りますがこれは「祝おう」が訛ったという人がいますが真偽は不明。最近プロ野球のキャンプの打ち上げで「では一本締めで」と言って、イヨー、ぽん、とやる奴がありますが、あれは間違い。中尾彬がテレビであれを散々こき下ろしていましたが、それも言い過ぎ。昔からあるんです、あれも。関東一丁締めと言います。一本締めはですから3・3・3・1と打つのが正しいのです。これを三回やるから三本締め。でもこういううんちくは何種類か言われていますから実際どれが正調かは分からないものなんでしょう。ちなみに関西の三本締めは、歌舞伎の大阪巡業などで行われる、例の間延びした奴。江戸っ子はあれじゃあ締まらない。
永代橋、午前中から神輿を待つ人たちがいる
清洲橋、早くも川を渡る神輿
仲町の交差点、茅場町から日曹橋まで自動車止め
消防が水を用意しています。昔はこれはなかった
午前中にはこんな稚児行列も
参道はこの人だかり
こんな人たちもいます
まあこんな具合で、祭りは賑やかに・・・えっ、気が付かれました? 千貫神輿がない、神輿行列がない、なんでだ!ってえことですよね。話せば長いことながら、短く言いますと、寝坊したんです。そうです、朝ちょっとジョギング、その後自転車で深川を一回り、午前中の祭りの様子を撮って、いったん帰ってからビールを一杯。そうしましたら急な睡魔が襲ってきまして、目が覚めたら5時。しっかり寝てしまいました。それから駆けつけたんですが、大みこしの渡御は終わってました。とんだ与太郎で、お詫びのしようもないんですが、また三年後という
ことでご勘弁を。何しろ昨日は暑かったんです。午前中ずっと日に当たっていたら、軽い熱射病で。冷たいビールを流し込んで体を冷やそうとしたんですが、なぜか昏倒。正気に戻ったのが午後五時。いやあ無事に正気に戻って良かったって、言ってもらえませんか? そんなわけで、肝心の勇壮な神輿の写真のない、変な日記になってしまいました。でも皆さんもお参りできるようにこんな写真は撮ってきましたから、どうぞ合掌を。ではまた三年後に................
私にとっては真に斬新な江戸っ子の祭りの様子を解説付きで、カナダで味あわせてもらえて、風間さんのDiaryに合掌。暑い中ご苦労様でした。3年後、千貫神輿、楽しみにしてます。
本当はもう少しお祭りの全容をお知らせしたかったんですが、残念です。
去年ほどではないにしても、連日30度Cを越す暑さ。でも今日は走っていても時折秋の風が吹き渡り、季節は確実に秋に向かっているんでしょうが、生き物はもっと敏感。浜町のイチョウ、見上げればなんとすでに銀杏が鈴なり。皆さんの所でもきっともうこうですよ。銀杏は昼間は見にくいんですが、夜見上げると幽かに発光しているようで、闇の中に黒く沈んだ葉の間で白く目立ちます。詳しいことは知りませんし、これを書くに当たっても何も調べない、例によってのいい加減さですが、銀杏は確かに夜目立つ。これ、詳しい方がいらしたらご教授下さい。ところで、深川のお祭りですが、私のいい加減な報告にもかかわらず、あちこちからお便りいただきました。総じて好意的なのがありがたかったんですが、次が三年先では中々、何があるか分かりませんからその前にも訪ねてみて下さい。永代通りを茅場町の方から行きますと橋を渡って左側にお不動さんと八幡様がわずかに間を開けて並んでいます。この八幡様の縁日が毎月1、15、28。露店がたくさん出て昔の下町の縁日の名残が感じられます。あと第1第2の日曜日、日の出から日の入りまでが骨董市。第1が西洋骨董、第2が東洋骨董の市が立ちます。みそもくそも一緒というのは、まあ常識。靖国神社でも第三木曜日に骨董市が立ちますがここも同じ。なぜか北関東の人が多い。目利きには相当おもしろい物がおもしろい値段で手に入るみたいですが、大体はだまされます。知ったかぶりは相手の思うつぼ。むしろ、
手ぐすね引いて、そういう人を待っています。我々は子供時分からこういうのには慣れていますから、素直に懐に飛び込みます。すると相手が用心するんですね。あんまりしつこく訊いているとしまいには怒り出す人もいます。「知らねえよ、俺は。そんなことは脇へ言って訊いてくれ!俺はただ品物並べて売ってるだけなんだから。いる物がなかったらあっちへ行ってくんな!」なんて言われちゃいます。縁日では、家へ帰ると書けない万年筆や、鳥の羽が一枚入っているだけのレントゲンの機械や、油粘土にメンタムをまぶしただけの煙発生器など、散々だまされて買ったもんです。これが今は骨董という名で大人向けにおこなわれているんですね。でも全部がちょぼいちってわけでもありません。それとこう言うところのルールですが、決して「インチキ」と言う言葉を使ってはいけません。ほんとに喧嘩になります。インチキじゃありません、本物っぽいんです。落語にも出てきますが「義経が牛若丸と言っていた頃の頭蓋骨」などが平気で売られるんですから。まさか今時そんな物はありませんが、似たものはいくらでもあります。でも我々の感覚から言うとデパートでガレのまがいもんをショウケースに入れて売っているのと、この縁日を比べれば、向こうがインチキと思ってしまうのが下町堅気。そうしてガレやラリックをジャポニズムとは言っても、盗作とは言わないですよね。ジャコメッティーなんか、まんまですけどあれも盗作とは言わないで、「影響を受けた」と言うんですね。ですから下町のこういう商売をあまり目くじらたてずに楽しんで下さい。そうしてだまされたときは、それを笑い話の「タネ」を一つ買ってきたと思って下さい。テキ屋に寅さんみたいな人は滅多にいません。みんなずるいんです。でもずるさが衣を着ていませんから、そのまんま、するいんです。これを面白がるか、怒ってしまうかで楽しみ方が変わります。ともかく無理をしないで、知らない物は知らない、つまらない物はつまらないと言うことが大事。つまらないと思った物を面白がると、ひっかかります。こう言うのになじめない人は、遠目にこういう人たちのやりとりを見ているだけでも面白い。大人になってもまだだまされる人がいるんですよ。慣れているつもりでも、あたしも時々やられます。