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既に亡くなった友達の子息が路上で、、、

2019 年 4 月 7 日

今の人形町の私のスタジオを作ってくれたり、名刺や請求書、領収書に使っている私のロゴマークを描いてくれた友達のご子息がギターリストになって、路上でライブを続けています。

スタジオミュージシャンやバンドに入るとかしないで路上にこだわるその理由は訊いたことがありませんが、彼のこだわりが奇跡を呼びました。

こういう事が起きるのですね。

訃報

2014 年 2 月 27 日

テレカ

パコ・デ・ルシアが死んだ。

公演先のメキシコで心臓発作を起こしたらしい。

私の一番好きなギターリストだった。

初めて聞いたのは車の中で、ラジオから流れてきたライブ音源だった。
ギターデュオの演奏でその二人の演奏がものすごかった。
ものすごいテクニックで(ホントはあんまり詳しくないので、テクニックまではわからないんですけど)ともかく速弾きでその速弾きのほんとに細かいフレーズまでピッタリと合っている二人、まさに超絶技巧だった。
特に左チャンネルから流れてくるギタリストの音は今まで聞いたことのないものだった。
なんと形容していいかわからない、ともかく聞いたことのない演奏だった。
速くて、怪しくて、ビートが心臓に突き刺さってくるような演奏だった。
車を止めてその演奏を聞きました。
演奏が終わって 演奏者の名前を聞き逃すまいとしたんですけど、それはアナウンスされなかった。
後日、音楽に詳しい、本当に詳しい友達にその話をしたら「曲名がわからないからなんとも言えないけど、風間さんがそう感じたならそれはパコ・デ・ルシアだと思うよ」

まさにそのとおりでした。

Friday night in San Francisco」というそのCDの一曲目が私の聞いた演奏でした。

話せばいくらでも話はあるんですが、まあ止めておきます。
多分詳しい人達が沢山解説するでしょうから。

「しかし、今まで聞いたこともない演奏だったよ。怪しいんだよ、妖艶」
「スパニッシュで一番大切なものは、技術じゃない。デュエンデなんだよ」

その友達は僕の聞いたパコの怪しさをそう説明してくれました。

スパニッシュに名手はたくさんいますが、パコのデュエンデは私には特別でした。

ほんとうに残念です。

そしてもっと残念なのは、日本ではあまりデュエンデを感じる演奏に出会えなかったことです。

リンク先の一曲目が、私が衝撃を受けた曲です。

書き忘れましたけど、パコの凄さはリードしてる時もそうですけど、バッキングに回った時の凄さなんです。
サッチモもそうでしたよね。
リードはあたりまえだけど、バックに回ると、リード奏者が普段演奏しないような演奏を引き出させる。
ああ、もったいないなあ。死ぬと全部持って行っちゃうんですからね。。。

久しぶりに

2013 年 11 月 23 日

庄司紗矢香

チャイコのヴァイオリンコンチェルト ニ長調op.35

260万ビューを越えていますが、さもありなんです。

久しぶりに涙腺が刺激されました。

自分の見つけた道に才能があって、しかもそれが花開いたのを見るのは気持ちいいですね。

残念です

2012 年 10 月 3 日

以前にもなんどか書いたことがありますが、好きな歌手やダンサーや演奏者の中のひとつに「優歌団」があります。
木村充輝の声と内田貫太郎のギターが作り出す独特の世界。

そのバンドのドラマー、島田和夫が自宅の前で倒れていたのが見つかったらしいのです。
既に死亡していたとか。。。

密かに願っていた再結成はもう二度とできなくなりました。

残念です。

どうぞやすらかに。。。

らいぶ+てんらんかい

2012 年 8 月 20 日

初台でギターリストのDaniel Coughlinさんの路上ライブを聴いたあと、サントリー美術館へ行きました。

「おもしろびじゅつワンダーランド展」
タッチパネルのパソコンが何台もあって、お皿に定番の模様を自分で自由に配置して、デザインを楽しめたり、六曲一双の洛外図屏風が実物と巨大なタッチパネルとで展示されていて、タッチパネルの方ではさわると、その部分が拡大できるようになっていたり、と、ほかにも大人も子供も楽しめるような展示でした。

サントリー自慢の薩摩切り子がありったけ並べられていたのは、得した気分。

しかも「ノーフラッシュなら撮影自由」というのは日本の美術館では珍しい。

ライブも展覧会も面白かった。

アドリブ

2005 年 11 月 11 日

両国岡林信康の歌に「私たちの望むものは」というのがあります。あの頃1967~1972、3年位の間に岡林や拓郎の作る詞には不思議にシンパシーを刺激される歌が多かったんです。彼らの後に出てきたこうせつやさだのいわゆる軟派フォークには当時の気分としてはなじめないものを感じていました。今となればどれもが懐かしく、どれも口ずさめるのでなんだかんだ言いながら、やっぱり聞いていたんだろうと思います。この岡林の「私たちの望むものは」は特に当時デモへ良く出ていた人たちの心を刺激しました。「私たちの望むものは、けっして私たちではなく、私たちの望むものは、私であり続けることなのだ」というフレーズに、そうだそうだと賛同したものでした。そうしてこの個人主義はいわゆる今の超個人主義的傾向とは違って、「連帯を求めて孤立を怖れず」という個人主義でした。でも岡林はある時からこの歌を歌わなくなりました。以後絶対に唄わないのです。そうしてその歌を泉谷しげるにあげてしまったのです。ですからこの歌は今は泉谷が唄っています。
いきなり何を言いたいのかって言いますと、なんだか急にそんなことを思ったんです。そうしてその後に、アドリブが聞きたいと続いたのでした。「アドリブ」いわゆるインプロビゼーションのことではなく石黒ケイの「アドリブ」というアルバム。石黒ケイは16年程前に突然唄わなくなり市井の人となりました。それが今年の初めに復活したらしいのです。1年程前に急にこれを聞きたくなって探したんですが見つかりませんでした。私はLPを整理してしまったので。中央区の図書館にもありません。中古CD屋にリクエストを入れたんですが1年たってもヒットしませんでした。それが今日ひょんなことから墨田区の図書館で検索をかけたら、あったんです。奇跡に近い。それですぐに墨田区のあずま図書館へ出掛けました。墨田図書館はどこでもそうであるように在住か在勤の人が利用できます。でもほかの図書館とちょっと違うのが、隣接する区の住民にも開放されて居るんです。つまり墨田区の図書館は中央区、台東区、江東区、葛飾区、江戸川区の住民も利用できることになります。相当な太っ腹です。で、すぐに出掛けました。もちろん自転車。我が家から向島まではおよそ30分、写真はその途中の両国、緑二丁目の鰻やさんです。昔は普通に周囲になじんで、ただ小ぢんまりした鰻やさんだなあ、位の感じでした。食べることはできなくてテイクアウト専門。それがまわり全部がビルになって、うなぎやさんは等価交換とかもしないでそのままですからこんなとってつけたようになってしまいました。でもお父さんは元気! 一坪あるかないかのまるで屋台みたいに見える店舗で今日も元気にうなぎを焼いておりました。両国橋を渡って亀戸方向へ少し走った緑二丁目の交差点左手前角です。応援したくなる店構えです。そこを後にしてしばらく走って、途中一度お巡りさんに道を聞いて、無事にあずま図書館へ行き着きました。初めてであることを告げると若い親切な館員がカードを作ってくれて一通り説明してくれます。墨田区の図書館は来週から工事で、自宅のパソコンからもリクエストが出せるようになるそうです。今は検索のみ。ちょっと遅れています。で、さっそくリクエスト。でも石黒ケイは書架には置いてなくて、書庫にあるそうでわざわざ取りにいってくれました。借りてきて聞いてみました。いいですねえ、懐かしいですねえ。トゥーツシールマンスのブルースハープがむせび泣いています。アートペッパーもメロウです。北村英二が吹いてます。”ポンタ”になる前の村上秀一が叩いています。なんだかみんなすごいジャージーで石黒ケイの声もジャージー。でも歌は演歌。これが絶妙にフィットしています。プロモーションが五木寛之、ってなんか変なアルバムなんですけどクセになりますよこれ。このあと石黒ケイは色々出して居るんですけどこれ以上のものはありません。「アンダートーン」がいいって人もいますが。実に再びこの声を聞くまで1年以上かかりました。絶版で、あまり売れてなかったアルバムは探すのに苦労します。でもまあ今日は大成功。これが今日あったいいこと。悪いことは展覧会がボツったこと。これはちょっと残念でした。じつはPARCOで企画展の話しが進んでいたのですが、結局ボツ。一言で言えば私の作品はPARCOに合わないということでした。もっとポップではじけてないと、ということらしいのです。でもこればかりはキャラクターですから如何ともしがたいですね。ウーーン、残念でした。出版もからんでいただけによけい残念でした。まあ打たれ強いのでめげてはいませんが、惜しかったなあという気持ちは絶大です。こんな夜は呑むしかないかなあ…..。では。