Posts Tagged ‘猫’

さよなら

2019 年 5 月 27 日

隅田川

今朝は珍しく霧が出ていました。

どう切り出していいかわからないときの常套句、時候の挨拶ですかねえ。。。

最期の一匹だったキジトラの猫はついに姿を消しました。

11匹と思っていた当初の数は、改めて病院へ連れて行った書類から12匹だったことが判明。

2018年にかなりまとまった金額が町会に下りて、それを資金に手術を済ませ、さらには地域猫として世話をする資金に当てられました。

具体的な数字は控えますが、かなり、本当にかなりまとまった金額でしたので、ネコ達は結構幸せに生きていました。

流行した猫エイズがなければもう少し長生きしたんでしょうが、それでもほぼほぼ寿命に近く生きたのかもしれません。

そんなわけで私のスタジオジオへ水を飲みに来ていた猫は全て消えました。

町内からも猫の姿は消えました。

飲食店ばかりが増えて、住む人が減ってきている人形町は、これでネズミが跋扈する町になることでしょう。

何年かすると、ネズミ問題が勃発することでしょう。

人の手で自然に手を突っ込んでなにか変えようとすると、必ずしっぺ返しが来ます。

自慢げにネズミの死骸を見せに来られるのはあまり嬉しくなかったですが、生きて跋扈するネズミを見せられるのはもっと嬉しくないです。

まあ仕方がない、みんな人間のしたことですから。

以上報告でした。

 

 

悲報

2014 年 1 月 21 日

ねこ

一時期はこんなにスタジオの裏に遊びに来てのんびり過ごしていたネコ達が、ネコの跋扈するのを嫌がる町民の訴えで、おとり篭を設置、全てのネコに不妊手術を施しました。
それから六、七年経って、今はもううちの裏へは一匹しか来なくなりました。
それでも、来ないけれど近くにはいた二匹のうちの一匹がネコエイズにかかったらしく、涎を垂らして元気なく歩いていましたが、餌も食べず、とうとう姿を消しました。

なんて悲しいんだろう。
野良猫が一匹死んで、涙が出るとは思わなかった。

ねこ

のらくろ

ほんとうに悲しい。

別れはいやだなあ。

挫折

2012 年 5 月 27 日

朝の散歩に佃島を目指しました。

ところがその入り口で、浜町公園のボスと目が合っちゃって。

わたしの方へ向かってくるから、しかたなくこちらもご挨拶。

そこでしばらく遊んでいたら、佃まで行くのがおっくうになって
ま、途中で「佃島を望む」に変更。

臨機応変、変幻自在、当意即妙、自由自在、優柔不断 、右顧左眄、意志薄弱、ま、言い方はいろいろありますが、要するに行き当たりばったりなわけです。

錬金術

2012 年 2 月 17 日
のらくろ

4S

内閣府の原子力委員会がようやく「核燃料サイクル」を無限連鎖的に行う事は無理だと認めたようですね。

私は科学に詳しいものではありませんし、豊富な知識を持ち合わせているわけでもありませんが、普通の頭脳で先入観なしに考えれば、核燃料が無限連鎖的に利用できると考える方がどうかしています。それは熱力学の大原則に反しますし、過去に散々失敗している、錬金術に他ならないからです。

豊富な科学的知識と経験のある学者が、学問的判断を捨てて、政治的にことを判断することを何十年も続けてきたことの罪は重いと思います。

もうひとつ、地震の予知。
これも占いと同等で、「人は必ず死ぬ」というのを予知と言いくるめているような無理があります。予言と予知を混同しているような所がありはしませんかねえ。
東大地震研もそろそろ、予知は不可能と認めるべきではないでしょうか。
それともここにも、政治的な力が働いて、純粋に学問的意見を言えない土壌があるんでしょうか。

科学的土俵で予知という場合フィールドによって単位はさまざま変わるのでしょうが、少なくとも地震における予知をいうなら何年何月何日、御前か午後、位まで明確にしなければ、予知とは言えないでしょう。またそのぐらいの精度がなければ、逃げることも避けることもできないでしょう。
それは不可能だと認める時期に来ていると思うんですがねえ。

閑話猫題

2006 年 7 月 1 日

「なんの新しい出来事もない」ので、猫にご登場願うわけです。上のフレーズ、立原道造の詩の一節ですが、この立原道造の直筆の書簡を手にとって何十通も読んだことがあります。わたしが毎夜アルコール消毒をする店が実は1970年に開店しました。学生時代に一緒に事務所を開いていた友達のお姉さん夫妻が道楽で始めた店でした。ご主人の関係で当初は日本哲学界の先生方が多かった。それから、法曹界、特に最高裁判所の判事や調査官が大勢見えていました。その後われわれのような半端者も出入りするようになり、今に至っているわけですが、この店が工事中から目を付けていた人がいます。柴岡亥佐雄という建築家。ご存じの方は少ないでしょうが、日本にはじめてダイニングキッチンというものを紹介した人です。おじいさまが勝海舟の咸臨丸の御殿医。そして東大建築学科で立原道造と同期。仲が良かったらしく、立原からの手紙が何十通も。某出版社が立原道造全集を出すことになり、柴岡先生(わたしはそう呼んでいました。ときどきイサオちゃんとも)がその店に持ってきて、「あした出版社に渡すから、渡してしまうといつ戻ってくるか分からないから」と言って、見せて下さったのです。むさぼるように読みました。生の文化、歴史になっている生の文化に直に触れた最初でした。感謝しています。面白い人でした。平塚らいてうの若いツバメが作った指輪を常にしていました。男物にしては大きな青い石のついた指輪で、その石の部分がくるっと回転すると、ハンコになっているものでした。ある時指に指輪がないのを不審に思って訊ねると「ベッドと壁の間に落っこちちゃって、取れない」というので、それを拾いに伺ったこともあります。部屋があまりに汚いので掃除と片づけに行ったこともあります。汚いんじゃなくて未整理なんだと言ってましたが。50年も前の壁紙のサンプルなんかも取ってあるんです。どんどん捨ててゆくと「かざまくんは気前がいいね」と褒められました。そこにいるだけで文化がにおってくるような人でした。晩年少しアルツハイマーがすすみ、先生のご自宅からその店まで500メートルぐらいの距離を「今日は、ちょっと道に迷っちゃって、

ここまで来るのに、50分もかかってしまいました」なんて仰っていました。一人暮らしは危ないというので、妹さんの所へ引き取られたのですが、二年ほどして亡くなった、と風の噂。なんでも散歩の途中で、崖下へ落ち、そのまま幾日か発見されずにいたそうです。美しいと思いました。涙があふれましたが、なんて美しい死に方なんだろうと、思いました。美学は生活の中に実現できて、初めて完結します。わたしの忘れられない人の一人です。

で、猫ですが、ある日の一日です。郊外の一軒家に住んでいれば、縁側に出した籐椅子に終日座って、過ぎ越し日々を思ったり、庭に来る鳥を眺めたりしながら、コーヒーを飲み、本を読んで過ごすんでしょうが、下町のコンクリートの囲いの中で、手を伸ばせば左右の家に指が届く環境では、そこに集まる猫を眺めることぐらいが関の山。敵意のある目もあれば優しい目も、無関心な目も。梅雨の晴れ間に我がぼろスタジオの裏へ、何が面白くて集まってくるのかは知れませんが、こうして集まってくれるのは嬉しいことです。吉田兼好のように方丈の庵を結ばなくとも、すむところがすでにそんなものなので、ここで死ぬまで暮らせば「詩が生まれ、絵が描ける」かも知れませんね。今日は夕方からティアラ江東と言うところへ、モダンダンス鑑賞。 以前書いたことのある友達のお嬢さんが出演するので、それを見に行きます。

さて、話も尽きてきましたので、ここらでお開き、ということに。わたしが暮らす詩的で文学的な生活を、最後にこの猫が感想を言ってくれました。

さて、話も尽きてきましたので、ここらでお開き、ということに。わたしが暮らす詩的で文学的な生活を、最後にこの猫が感想を言ってくれました。

だ、そうです

雨やどり

2006 年 6 月 16 日

猫が雨宿り やどり、っていうのがどういう意味か分からないけれど「雨やどり」の意味はみんな知っている。宿借りが縮んでヤドリ、なんですかねえ? このタイトルの名曲もありましたが、映画のワンシーンにも詩の一節にもよく使われる言葉。温帯モンスーンの日本の田園、村、里、町のにおいまでもが伝わってくるような言葉。誰が使い出したかは知りませんが、もの凄いセンスの人がいるものですねえ。

写真はコンデジの限界見本ではありません。昨晩の雨の中、よくうちの裏に来ているきじ猫の三兄弟。はじめは排気ダクトの下に三匹が折り重なって寝ていたんですが私がそれに気づいてバッグからカメラを取り出したり、傘を斜めにしたりして構えているうちに三匹バラバラになってしまいました。ここは雨が当たらないんでしょうか、雨の日には良くここに猫がいます。ホームレスといわれる人たち、テントなんかも無い人たちは雨の日はどうしているんでしょうか。猫だって、みんなどうしているんでしょう。気持ちのいい暖かで穏やかな日には、それこそなにからも束縛されず天地の間に己の身ひとつをのんびりと遊ばせていればいいわけで、その至福の代償が雨やどりの場所探しなんでしょうか。そうすると人は安心と平穏の代償に服従や忍耐を受け入れているわけ? それが生きるということなら、生きることの意味は? でもその服従や忍耐の日常に、愛情や友情がしみこんできて人に勇気ややる気を起こさせているんでしょうね。一体、この宇宙や人や生きものをつくったデザイナーはどんなセンスの持ち主だったんでしょう。アメリカの一部のキリスト教原理主義者はダーウィンの進化論を認めない。すべては神が作ったと言ってはばからない。そればかりかそういう教科書をつかう州がいくつもあるとか聴きました。ほんまかいなと思わされますが、科学者の中にもダーウィンの進化論の「適者生存」をまゆつばと言う人もいるらしい。でもそれは実証的に反論しているのではなく、論理的に反論している。元々進化論そのものが実証的じゃ無いんですから。猿を何億年眺めていても人間にはならないだろうな、という素人の予感みたいなものは私にもありますが、その人の言うのは違う。地上に降りた猿がすなわち人類の祖先。猿は人に進化した、と、ここに矛盾があるというわけです。猿は樹上生活者です。ここで適者とは樹上にもっとも適するものが上位です。木から下りるものはむしろ敗者です。その敗者が人に進化したというのはすでにダーウィンの進化論はうちに矛盾を抱えているという指摘です。この論理はダーウィンを打ち砕くほどのインパクトはなくとも、苦笑させる程度の圧力はありそうな気がします。論理学や哲学は科学の進歩に伴って、大きく変貌します。科学哲学というような学問さえあります。ただ哲学は宗教と違って絶対的な真理などは提示しません。宗教ほど大胆でなく自信に満ちてもいません。もっと臆病で緻密なんですね。ですから科学の進歩という現実に柔軟に対応していく。言葉を代えれば日和見的なんですね。このあたりのことがわかりやすく、歴史を物理学というたて軸で解説している本があります。山本義隆の「磁力と重力の発見」。全三巻の大著ですが、私が教わった物理の中で、私が習った歴史の中で一番面白かったと推薦できます。みすず書房刊。毎日出版文化賞もとったので、ご存じの方もあるでしょうが、お奨めします。

で、なんの話しでしたっけ。ともかく雨やどりの猫たちを見て人間一般のと言うより生きものすべてのものの哀れを感じた、と言うお話し、でした?