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浅田真央引退

2017 年 4 月 12 日
桜

浜町 中之島公園の桜

真央ちゃんが引退会見の日、昨日までの寒い雨が上がって、晴れやかな春の日和になりました。

まだ散り残る桜のもとで爽やかな笑顔の会見でした。

人々に愛された選手でしたね。

お疲れ様でした。

こわいはなし

2005 年 9 月 17 日

浜町にまたこんな大きなビルが出来ました。テナントと共同住宅と1階には店舗が入ります。大丸ピーコックなんて下町らしくない店も進出です。大丈夫なのかなあ、なんて私の心配は杞憂でした。今日行ってみましたら会員カードの受付に大勢並んでいましたから。21日の開店前に会員カードを貰う、っていうことがどんなメリットがあるのか私は知りませんが。で、わたしは何をしに行ったかたといいますと、お恥ずかしい、いつも500円以上のトイレットペーパーが1階に入ったドラッグストアで198円。これに釣られたわけです。300円ちょっとの倹約ですが、半分以下って言う言葉が私を駆り立てます。天トレを一回でびりびりくしゃくしゃにしてしまえばその何倍も捨てたことになるのに、生来の貧乏性なんでしょう。でも、お一人様お一つ限定とレジでは言うのに、自転車に三つもくくりつけて帰るお母さんが居るのは、アレどんな手を使って居るんでしょうか? 逞しいなあ、いつ戦争になって買い出ししなくちゃならなくなったって平気だろうな、あのお母さんの居るうちは、なんて思いました。
さあそこでタイトルですが、何が恐ろしいかと言えばこのビルです。いえ、これだけでなく臨海部にある全てのビルが私には恐ろしいのです。地方でよく地震の時にその土地の一部分だけが異常に液状化してその上に乗っている建物がおじゃんになってしまうのを耳にしたり目にしたりしますが、あれ地元に昔から居る人に訊くと大概、「ああ、あそこは昔、沼だったからねえ」なんて言ってます。昔ってどのくらい昔かって言うと明治とか新しくても昭和の初め頃とか、大体50年100年経っています。私の居る人形町や深川の一帯なんかはみんな江戸時代の埋め立てで出来た土地です。ですからこの人形町でビルを建てるとき凄く深く基礎を打ち込みます。私のスタジオの裏に20年程前にビルが建ちました5階建て。スタジオ崩れちゃうんじゃないかと思う程揺れましたが、そのとき工事の人に訊いたんです「随分長い杭を打ってるけどどの位迄打つんですか」って。そうしたら「30メートル」って言いました。耳を疑う数字です。「30メートルで土に当たる」って言うんです。5階建てのビルに30メートル杭を打って、それで岩盤でなく土に当たる。そこまでは砂っていうんですから恐ろしい。でもこのあたりは埋め立てて400年近く経っていますから地盤は沈下しませんが、それでも危ないことこの上ありません。埋め立ててすぐ建物を入れた関空なんて沈み続けているでしょう。NHKのドキュメンタリーで、コンピューター制御の油圧ジャッキで土地が沈んでも建物が沈まないようにしている仕掛けを放送して、日本の技術力の高さを謳ってましたが、ディレクターどうかしてるんじゃないかと思いました。技術という言葉をあの場面で使うなら、土地の沈下がおきない埋め立てが出来た時に使うべきであって、その対処に対して使うのは本末転倒。
東京で地盤がしっかりしているのはもとNHKのあった愛宕山だってはなしを聞いたことがありますが、まあ下町はどこも危ない。そこで思うんです。湾岸、臨海地区に豪華なマンションが建っていますけれどあそこはみんな東京オリンピック以降に埋め立てたところです。ゴミを捨てていっぱいになったから盛土をして土地にした。そのゴミの下は砂です。まさに砂上の楼閣! あそこを買う勝ち組と言われる方々がそれを知らないわけはないのに、なぜ? 一昔前湾岸地区に出来る集合住宅は高潮の際の地上に置いた波消しでみんな海の方を向いて建っている、首都圏を守るための消波ブロックだなんて言われたことがありますが、それは航空写真を見るとそうとばかりも言えないようですが、この今の埋め立て地に建つ豪華高級億ションは、ちょっとこわいかも。隅田川の堤防も6メートルありますが、実は荒川で現在の堤防が出来る前からある線路と鉄橋のために4メートルの部分があるそうです。そこで決壊すれば下流の6メートル堤防は意味をなさない。深川だけでなく下町全域水没だそうです。勝ち組は下町へ来ないで山の手へ行った方がいいですよ。今日は恐ろしい下町のはなしでした。

気が付いてます?

2005 年 8 月 17 日

去年ほどではないにしても、連日30度Cを越す暑さ。でも今日は走っていても時折秋の風が吹き渡り、季節は確実に秋に向かっているんでしょうが、生き物はもっと敏感。浜町のイチョウ、見上げればなんとすでに銀杏が鈴なり。皆さんの所でもきっともうこうですよ。銀杏は昼間は見にくいんですが、夜見上げると幽かに発光しているようで、闇の中に黒く沈んだ葉の間で白く目立ちます。詳しいことは知りませんし、これを書くに当たっても何も調べない、例によってのいい加減さですが、銀杏は確かに夜目立つ。これ、詳しい方がいらしたらご教授下さい。ところで、深川のお祭りですが、私のいい加減な報告にもかかわらず、あちこちからお便りいただきました。総じて好意的なのがありがたかったんですが、次が三年先では中々、何があるか分かりませんからその前にも訪ねてみて下さい。永代通りを茅場町の方から行きますと橋を渡って左側にお不動さんと八幡様がわずかに間を開けて並んでいます。この八幡様の縁日が毎月1、15、28。露店がたくさん出て昔の下町の縁日の名残が感じられます。あと第1第2の日曜日、日の出から日の入りまでが骨董市。第1が西洋骨董、第2が東洋骨董の市が立ちます。みそもくそも一緒というのは、まあ常識。靖国神社でも第三木曜日に骨董市が立ちますがここも同じ。なぜか北関東の人が多い。目利きには相当おもしろい物がおもしろい値段で手に入るみたいですが、大体はだまされます。知ったかぶりは相手の思うつぼ。むしろ、手ぐすね引いて、そういう人を待っています。我々は子供時分からこういうのには慣れていますから、素直に懐に飛び込みます。すると相手が用心するんですね。あんまりしつこく訊いているとしまいには怒り出す人もいます。「知らねえよ、俺は。そんなことは脇へ言って訊いてくれ!俺はただ品物並べて売ってるだけなんだから。いる物がなかったらあっちへ行ってくんな!」なんて言われちゃいます。縁日では、家へ帰ると書けない万年筆や、鳥の羽が一枚入っているだけのレントゲンの機械や、油粘土にメンタムをまぶしただけの煙発生器など、散々だまされて買ったもんです。これが今は骨董という名で大人向けにおこなわれているんですね。でも全部がちょぼいちってわけでもありません。それとこう言うところのルールですが、決して「インチキ」と言う言葉を使ってはいけません。ほんとに喧嘩になります。インチキじゃありません、本物っぽいんです。落語にも出てきますが「義経が牛若丸と言っていた頃の頭蓋骨」などが平気で売られるんですから。まさか今時そんな物はありませんが、似たものはいくらでもあります。でも我々の感覚から言うとデパートでガレのまがいもんをショウケースに入れて売っているのと、この縁日を比べれば、向こうがインチキと思ってしまうのが下町堅気。そうしてガレやラリックをジャポニズムとは言っても、盗作とは言わないですよね。ジャコメッティーなんか、まんまですけどあれも盗作とは言わないで、「影響を受けた」と言うんですね。ですから下町のこういう商売をあまり目くじらたてずに楽しんで下さい。そうしてだまされたときは、それを笑い話の「タネ」を一つ買ってきたと思って下さい。テキ屋に寅さんみたいな人は滅多にいません。みんなずるいんです。でもずるさが衣を着ていませんから、そのまんま、するいんです。これを面白がるか、怒ってしまうかで楽しみ方が変わります。ともかく無理をしないで、知らない物は知らない、つまらない物はつまらないと言うことが大事。つまらないと思った物を面白がると、ひっかかります。こう言うのになじめない人は、遠目にこういう人たちのやりとりを見ているだけでも面白い。大人になってもまだだまされる人がいるんですよ。慣れているつもりでも、あたしも時々やられます。

一千坪の庭

2005 年 2 月 10 日

市場通り(新大橋通り)と清洲橋通りの交わる交差点の角に画廊があります。そこにおよそ千坪ほどの庭があり(猫の額を一坪とすれば)、白梅が植えられています。今日そこを通ったらちらほらと花が咲いていました。春はそこまで来ているようです。この画廊の左となり、明治座側においしい中華料理屋があります。あまり露出しません。そのうちにご紹介します。

梅の木

青いテント

2005 年 1 月 20 日

新大橋から浜町側を望むと青いテントが沢山見えます。上を首都高がはしっていて、まっすぐ降る雨には庇が出ている格好になって雨よけが出来るからでしょうか。ここにはちょっと前(十年ほどでしょうか)にはテントはなかったのです。川をもっと上って浅草の方まで行かないと見られなかったのですが、段々に川を下ってきました。浅草の方の人達が移ってきたとと言うわけではなさそうです。向こうはむこうで増えているんですから。と言うことは失業した人達が増えていると言うことでしょうね。見ているとみんな勤勉です。テントのまわりもきれいに整理されていますし、不法行為とされてはいますがアルミ缶などの回収やそれをつぶして袋づめの作業とか熱心にやっています。仕事に就いていたときもきっと勤勉な社員たちだったのだろうと想像できます。ちょっと気が利かなかったり、ちょっと周りと合わせることができなかったり、ちょっと人がよすぎたり、ちょっと、とたぶんとるにたりない差でここにいたりするんだと思います。
思えば就職まで内定していた大学を中退して、写真に入ったときからいつも覚悟はしていました。食べられなくなるかもしれない、そんな恐怖を押しのけて僕を写真へ駆り立てたものは一体

ナンだったのだろうと思います。人って不思議ですよね、不利だと分かっていてもそれをせずにいられないときがある。そういう内から突き上げてくる感情って、不思議ですね。この頃、そのときの気持ちを忘れることがあるんです、慣れっておそろしいですよね。それが作るものにすぐ反映するんです。でも本人には分からない。廻りはみんな気づいても。
僕が写真で生計を立てると宣言してしばらく立ったころ、自宅で土門拳の「古寺巡礼」を見ていたとき後ろを通りかかった母がちょっとのぞき込んで一言「あなたにはそういう写真は撮れないわよ」。そのときはさほどに思いませんでした。「そりゃそうさ、だってこれは土門拳だもの」という程度だったんですが、この母の言葉は僕の一生をたった一言で言い当てていました。いまだに小刀細工の写真ばかりでおそるおそるの表現から抜けられません。「なにも足さない、なにも引かない」じゃありませんが、ああいう土門拳のような撮った写真を放り投げて「どうだ、俺の精神も肉体もみんなこの中にある!」といわんばかりの表現はできません。大江健三郎が若いときにドストエフスキーがいるのになぜ僕が小説を書かなくちゃいけないんだ、と自問することがあると書いていましたが、大江ですらそうなら僕ではなおさらなのかもしれません。

隅田川の青いテント

突然ですがここあまり露出しませんね。「スコット」浜町にあります。

スコット

座敷で、箸でフランス料理を食べます。要予約ですから、ご注意を。決して安くはありません。