Posts Tagged ‘時事’

しょうがいがあります

2020 年 7 月 31 日

 しょうがいか(が)あります

○2500えんは ふうとうにいれれます

×おかねのけいさんはできません

○1たい1ではおはなしできます

×ひとがたくさんいるとこわくてにげたくなります

○となりにかいらんをまわすことはできます

○ひととあったらあたまをさげることはできます

×いぬとかねこはにがてです

×ごみのぶんべつができません

○自てんしゃにはのれます

○せんたくはできます ほすこともできます

○どこでもすーぱーこんびにはかいものできます

○くやくしょびょういんにはいけます

×かんじやかたかなはにがてです

 

亡くなられたある方が書けと言われて、自らを分析して書いた文章です

美しい文章です。

書かせた側の残酷さを超えて、美しい。

「アベノマスク」ようやく到着

2020 年 5 月 20 日

アベノマスク

ついにと言いますか、やっとと言いますか、ようやくと言いますか、とうとうと言いましょうか、兎も角私めのところにも「アベノマスク」到着です。

私のようなものにまでお心をかけていただき、ありがたいことです。

決して皮肉や嫌味で言うんではありません、日本国中津々浦々にもれなく愛を届けていただき、ありがとう存じました。

我々国民はなんとか自力で生きております、助け合って、マスクを配ったり、作ったり、またそれをもらったりしながら、日々を乗り切ろうとしております。

どうぞ我々のことより、ご自身の体調や奥様やお友達のお世話に注力なさってください。

思えば、森友・加計問題、桜を見る会問題、検事総長をどうとか問題と上げていけばたくさんの問題が浮かび上がるほどの長期政権でお身内の子分どももまた勝手なことばかりする悪戯小僧で、おとなしくしている子分はといえばこれはこれで答弁もままならないほどお静かで、誠にもって内憂外患、よくぞ天罰のくだらないものとご心配申し上げております。

昔、佐藤栄作という偉い総理大臣を戴いたことがありますが、この方も国民のことを慮って様々な政をなさいましたが、親の心子知らずでその一々を民からこき下ろされました。

さらに、電信柱には「佐藤(砂糖に掛けております)もイヤだ、チクロもイヤだ」などと落書きされる有様。

誠にもって民は御上のなすことを理解しないものであります。

それでも中にはホリエモンとか高名な小説家とか某女史のように、多少は御上のすることを理解する国民もおるようで、彼らを従えどうぞこれからもご活躍遊ばされますようお祈り申し上げます。

簡単ではございますが、拙かざまの元にも「御マスク」が届いた事をお知らせすると同時に御礼を申し上げる次第であります。

安田純平氏へ

2018 年 10 月 27 日

https://www.youtube.com/watch?v=FFaAsFEOXIE

炬燵に足を突っ込んで、蜜柑の皮をむきながら、テレビを見て評論しているつもりになっている自分への戒めとして。。。

最近起きたふたつのこと

2018 年 5 月 22 日

浜町公園のアケビ

日大のアメリカンフットボール部の部員による「悪質タックル問題」ですが、当人の動機や上からの支持に関しては推察でしかものが言えない状況なのでそこには触れませんが、問題は監督やコーチ陣、さらには大学当局のこの問題に対する姿勢ですよね。

この問題に接して最初に思ったのは「日大闘争」以前の古田理事長時代に戻ったような感じがしたこと。

およそ50年前のことなので覚えている人も知っている人も少ないでしょうが、大学は何をしてたのかなあ、という疑問を持ちます。

 

栗城さんが八度目のエベレストで登頂断念して下山途中で死亡の報に接しました。

以前に書いたことがありますが、昔長谷川恒男さんと飲んでいる時、周囲に何人も撮影スタッフやロケスタッフもいたんですが、「風間さん」と名指しされて、「マスコミはよく『引き返す勇気』て言うでしょ。でもね引き返す勇気なんか発揮したら、一流の登山家にはなれませんよ。この一歩、踏み出したら死ぬかもなと思った時、その一歩が踏み出せるのが一流の登山家ですよ」

何故私を名指ししてこの話をされたのか、そこは分かりませんが、長谷川恒男という登山家の山に向かう姿勢は感じられました。

栗城さんが7度の失敗を越えて再びエベレストに入る心境は意地なのか名誉欲なのかそれとも他の何かなのか私には理解できませんが、ただ彼の登山方法からは「緩やかな自殺」という感じを受けてしまいます。

栗城さんを貶める気持ちはありませんが、何故か私にはそう感じられます。

普段は触れない時事ニュースに触れてみました。

 

写真は浜町公園の藤棚に下がるフジの豆鞘に混じってぶら下がるアケビの実です。

早くも秋を待つ植物がいます。

 

写真の読み方

2018 年 3 月 15 日

 

麻生財務相

2018 Reuter / Toru Hanai

この写真が普段見る新聞や雑誌の記事中写真に比べて、新鮮な感じを受けた方が居るかもしれません。

これは[東京 12日 ロイター]の記事中の写真です。

例の麻生さんが書き換えを認めた会見で、「佐川、佐川」と官僚を呼び捨てにしていた時の写真です。

撮影したのは日本人のようですが、日本の新聞や雑誌では中々選ばない写真です。

このカメラマンも(本来はフォトグラファーです。カメラマンはムービーの撮影者を指します)この写真以外に寄りや引きなどこの場所で様々な写真を撮っていたはずですが、編集者はこの写真を選んで記事中に入れましたが、これが結構珍しいのです。

日本の新聞、雑誌なら、ほとんど例外なくもっと麻生さんに寄った写真を選んでいたはずです。

麻生さんの周りに二三人の記者を入れた寄りの写真にするでしょうね。

ここまで引きの絵を選ぶことは滅多にありません。

それには理由があります。

日本では報道に限らず記事中や文章中に使われる写真は文章を補完するものであって、それ以上でも以下でもありません。

ですから写真の役割も麻生さんの表情を捉えたものへ収れんしていきます。

したがって署名入りの記事でも写真は匿名のことがほとんどです。(さすがに近頃は写真の下にクレジットを入れたものも散見しますが)

私の経験では外国通信社では文は文、写真は写真、と明確に分かれています。

文が主で写真が従ということはありません。

その顕著な例が写真につけるキャプションです、日本では記者が写真にキャプションを付けますが、外国通信社ではカメラマンがキャプションを付けます。

写真に写っていたその場にいたのはカメラマンなのですからカメラマンがキャプションを付けるのが当たり前になっています。

文は文、写真は写真、ということが徹底していると、カメラマンが写真を撮る時の気概が変わります。

文章を忖度しなくなるのです。

日本ではベテランになればなるほど、記者が書くであろう記事を推し量ってそこに合う写真を狙いますが、文がどうなるかに関係なく写真を撮ろうとすると、写真一枚でその場の出来事をわからせようとする意志が強く働き、一枚で全てを説明できる写真を狙うようになります。

この意志の差が選ぶ写真を変えるのです。

このロイターのToru Hanaiさんの写真はですから、珍しい感じがして当然なのです。

この他にも著作権の扱いでも日本のメディアと外国通信社の間では大きな差がありますが、それはまた機会があれば。。。

 

 

官僚の態度

2018 年 3 月 12 日
紅梅

駒込大観音の紅梅

先週ですが駒込の大観音の梅がまだ満開。

と言ってももう盛りは過ぎているようで、香りは殆ど消えていました。

さて、朝日のスクープ「書き換え報道」ですが、若手の正義感あふれる官僚からのリークと思いたいですね。

少し前に、前川さんは「『有ったものを無かった』とは言えない」と言って辞任しました。

今回、佐川さんはあるものを「無かった」と言って辞任しました。

官僚の態度としてはどちらが正しいのでしょうねえ。

どなたか組織論の専門の方、教えてください。