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Bohemian Rahpsody

2018 年 11 月 26 日
ぼへみあんらぷそでー

映画の宣材から

映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見てきました。

実はこの伝説のバンドをリアルタイムでは知りませんでした。

もちろんクイーンというバンド名や「We will rock you」などは耳にはついていましたが、聞いていたというほどではなかったのです。

1971年に、ずっと毎日のように路上でデモを追いかけて取材していた日常が終わり、これから先の自分の人生をどう組み上げていこうかと模索している頃でした。

音楽は殆ど聞いていませんでした、洋楽もフォークも。

クイーンがデビューした1973年はそんな自分には大きな節目が訪れます。

学生時代の友人で同人誌のメンバーだったUから電話があって「今どうしてる?」と訊かれました。

「デモは撮りに行ってない。ブラブラしてる」

そうすると彼は「ブラブラしてちゃいけない。うちに来ないか?撮影中継部の副部長に話はしてあるから一度来いよ」といいます。

Uはその時フジテレビの報道局で社会部にいました。

ブラブラしている私の心配をしてくれたんだと思います。

デモの写真を100枚ぐらい紙焼きして、それを持って、会ってくれるという撮影中継部の副部長を訪ねました。

彼は写真を見て「いつから来られる?」と。

それで私は今までのフリーで突貫小僧みたいなトップ屋紛いの撮影生活から、報道記者証を持って取材する生活へと変わりました。

その時その副部長から「三年辛抱してくれ、三年経てば悪いようにはしないから」ということと「マスコミには協定というものがある、それに違反すると撮影した写真も使えないことがある。ただ、君にそれを期待しては居ないから、今までどおりできるところは今までどおり撮ってくれ」と言われました。

その日からフジテレビへ通う生活が始まりました。

ムービー取材が主である撮影部でスティル撮影を担当、周りから「パチカメ」と呼ばれていましたが、パチカメの需要はそう多くはないため無駄に遊ばせておくよりはと結局ムービーも回すようになりました。

辛抱してくれと言われた通り、給料は月に五万円。

友達のUがそろそろ年収1千万に届こうかと言う頃です。

その辛抱の二年目に母に胃がんが見つかり、とても五万の給料では治療費が出ないので、やはり同人誌時代の仲間で出版社に居た友だちに頼んで校正の仕事を回してもらいました。

副部長はそれをフジテレビの社内でやることを大目に見てくれました。

そして、約束の三年を辛抱したのですが、その三年目にフジテレビの社長の鹿内さんが急逝。

会社の方針が一気に変わり、わたしはアルバイトや嘱託、契約カメラマンなどはひとまとめに別会社を作ってそこに行くように言われました。

私はそれを断って、再びフリーの生活へ踏み出すのですが、そんな人生の激しく動く時に、クイーンは聞いていませんでした。

映画は彼らの出会いから、成功、成功すると必ず寄ってくる悪いやつ、そして挫折から更にエイズ感染、再結成、で、最後に20分以上に渡る例のライブエイドの場面。

彼らの人生もまた小説にしたらあざといほどの筋書きを実人生で送ったようです。

いくつかの場面で泣かされました。

クイーンを知らない私でも感動を覚えたのですから、リアルタイムで聞いていた人には、これは万感胸に迫るかもしれません。

良かったです。

BUENA VISTA SOCIAL CLUB adios

2018 年 8 月 1 日

buena vista social club

記録的に暑い夏に、熱い人達のドキュメンタリーを見てきましたよ。

キューバの「ソン」という音楽の演奏者たちがあるプロヂューサーに見出されてメジャーでアルバムを出したのが1997年。

そのアルバムが世界的に大ヒットして、そのアルバムができるまでとできてからの出来事を綴ったドキュメンタリー映画が上映されたのが2年後の1999年。

アルバムも買いましたし、ドキュメンタリーも見ました。

坂本スミ子やアイ・ジョージといった歌手を知っている世代には日本にもラテンミュージックが流行った時期があったことを覚えているでしょうが、その時耳にした「キサス・キサス・キサス」や「エル・マンボ」などが映画の中で歌われます。

ただそれが、日本のラテンブームのときに何度も来日したトリオ・ロス・パンチョスなどが歌っていたラテンの曲とはリズムと曲想が違うのです。

文化と政治の鎖国状態にあったキューバでそれらの曲が独特の進化を遂げて、「ソン」に進化したのです。

陸封された鮭がイトウに変わったような変化です。

政治的に見れば彼らの歌う歌がアメリカで受け入れられて、流行ったのは皮肉にも思えますが、音楽がその詩の内容を超えてリズムとメロディーが人々の心と身体に染み入ったんでしょうね。

実際、素敵です。

今回のタイトルにadiosとついているのは1997年のアルバムに参加したミュージシャンの殆どが鬼籍に入ってしまったからです。

それでも映画は面白かったです。

前のドキュメンタリーを見ていない方も楽しめると思います、おすすめです。

ウイークデーの午後にもかかわらず八割がた客席は埋まっていました。

客層は見事に年齢で統一されていました。

みんな60代以上、BVSCのメンバーの年齢に近づきつつある人達が支持したようです。

映画を見てきました

2017 年 1 月 31 日

ショコラ

およそ100年ほど前の、コメディアンの話なんですが、「笑い」の部分で笑えないので、映画に説得力を感じられないのです。

人種差別に基づく笑いというのは日本人にはわかりづらい。

こちらも差別される側だということもありますが、その差別される側の我々にも差別意識はあります。

日本語に「黒白をつける」とか「白黒をはっきりさせる」とかいう常套語がありますがその中で黒は悪い白は良い、と決まっています。

それが皮膚の色にも反映しないとは言い難い現実もあります。

アメリカのようなあからさまな差別は見られないにしても、内心に差別感は感じられます。

で、そこがテーマの作品になるとまず笑いの部分で、何が可笑しいのか何が面白いのかピンときません。

これは日本人の中でも私だけなのかもしれませんが、キリスト教がテーマであったり、人種差別がテーマであったりすると理解はできても共感できない。

表現されている差別の不当さは理解できるのですが自分の痛みにならないので、余所事に見てしまう。

そんな感想を抱いた映画でした。

マイケルジャクソンほどの才能でも、白くなりたい願望には打ち勝つことができ無かったんですからね。

その切実さを共有できないと、単に同情の目で見るだけになってしいます。

難しい映画でした。

 

Paco de Lucia

2016 年 7 月 27 日

映画パコ・デ・ルシア

映画を見てきました。

号泣しないように十分気をつけて見てきました。

パコとパコの共演者たちへのインタビューで構成された映画です。

パコを初めて知ったのはもう随分昔です。
車のラヂオから聞こえてきたギタートリオの演奏に心臓を撃ち抜かれました。
しかし、その演奏が誰なのか知る由もなくて、凄いギタリストがいるものだなあと感心するばかりでしたが、
ある時音楽に非常に詳しい友達にその話をすると、多分それはパコ・デ・ルシアという人だと教えてくれました。
それですぐ秋葉原の石丸電気へ行って事情を説明して、詳しい友達がパコ・デ・ルシアじゃないかと教えてくれたんですが、、、
と言うと、その店員さんも多分間違いないですね、と言いながら一枚のCDを持ってきて、演奏は多分これだと思います、というじゃありませんか。
その場で封を開けて視聴すると、まさに、あのラヂオから聞こえてきた演奏に間違いありません。
Friday Night In San Francisco

私の友達も凄いけど、石丸電気のお兄さんも凄いなあ、などと感心したのがパコとの出会いです。
その後、私にパコを教えてくれた友達がラヂオのエアチェック音源をカセットテープに入れてプレゼントしてくれたのが、
伝説となっている、大雨の田園コロシアムでのチックコーリアとパコ・デ・ルシアのバトルです。
大雨の中なかなか始まらない演奏を待つ観客の「パコ〜っ! パコ〜っ! パコ〜っ!」と叫ぶ声。
日本での演奏会じゃないみたいです。
あまりの雨の激しさにチックコーリアはピアノにカバーを掛けて楽屋に一時引っ込みます。
その時ずっとチューニングをしていたパコが大雨の音と大歓声の中で突然演奏を始めるのです。
すごい演奏です。
するとその音を聞いてチックも出てきます。
カバーを外して、パコのギターに呼応するようにピアノの鍵盤を叩き始めます。
二人の演奏に合わせるように雨が小降りになり、やがて上がります。
こうして、あの伝説的な名演奏が繰り広げられたのです。

随分時が経ってパコ好きの知人にその音源を分けてあげたのですが、
彼はそれを、それから何年かして日本へ来たパコにプレゼントしたそうです。
するとパコは「この演奏は覚えている」と言ったそうです。

これは私のパコ体験ですが、映画はパコの共演者たちのパコ体験が次々に語られる構成です。

そして最後にチックコーリアが言います。
「彼はフラメンコとかジャズとかいうジャンルを超えている存在なんだ。彼はパコ・デ・ルシアというジャンルなんだ」

素敵な言葉じゃないですか。
共演者にこんな言葉を贈られたら。。

もう号泣しそうです。

 

人の写真ばかりで恐縮ですが

2016 年 7 月 22 日
ウィーンのひまわり

@Schifter

IMG_0659

ウィーンのひまわり畑の写真が送られてきました。

上の写真、ソフィアローレンとマストロヤンニの映画「ひまわり」を思い出しますね。

切ない映画でしたね。

人間を見てしまったソフィア・ローレンとその後ろのひまわりの群生。

1枚の写真としても見事でした。

ハリウッドでは作れない映画でした。

最近のハリウッドの映画はエンタテイメントとしては良く出来ていますが、それだけですよね。

それだけでいい、という意見もあるでしょうが、私は映画にもっと求めたい。

ニセモノ

2016 年 3 月 1 日

世の中にいわゆる”ニセモノ”は数々ありますよね。

グッチやシャネルなどのブランド詐称、ジルコンやガラス球をダイヤと言ってみたり、混ぜ物の入った合金を純金と偽ったり、洋服と帽子だけ着てパイロットとか警察官とか言って見たり、化粧をして女と偽って売春してみたり(最後まで騙しおおせた例もあるとか)

まあともかく世の中には色々と偽物はあるようですが、先日見た映画もその偽物を30年間も作り続けた人のドキュメンタリー。美術館を手玉にとった男

この人が、マーク・ランディス。

軽い統合失調症を患う人のいいユニークな人物。

イコンからピカソ、マグリッド果てはディズニーまで、ものすごく幅の広い贋作を作り続け、全米20州、46の美術館に自らが描いた模写を本物として寄贈し、展示させた男を追ったドキュメンタリー映画。

この人、最後にはその46の美術館のキューレターを騙した自らの贋作を集めた個展まで開いてしまうのです。

幼い時から確かなデッサン力を持ちながら、オリジナルに見向きもせず、ひたすら模写に専念するその姿は、なんだか気持ちいい。

彼は美術館へ寄贈するだけで、しかも寄贈にあたっては架空の人物に扮して、模写から寄贈までの一連の行為を作品のように作り上げていくのです。

その行為がバレたあとは警察やFBIまでもが動くのですが、彼は金銭を一切奪取していないので、罪には問われませんでした。

何のためにそんな事をし続けたのか?

その理由は分かりませんが、その気持ちよさはわかります。

周囲からは「これだけの技術があるのだから、是非オリジナルを、、」と言われるのですが、彼はオリジナルには興味が無い。

「世の中にオリジナルなんて無い、みんなどこかにネタ元がある」とうそぶくのです。

私はこの映画を見て、この偽物を作り続ける人を”ホンモノ”だと感じてしまいました。

面白いドキュメンタリーです。