Posts Tagged ‘人形町’

コロナ クルナ

2020 年 4 月 15 日

今半マスク

こんなものが我が家のポストに入っていました。

これだけでは何のことかわからないですよね、実は前日こんな記事がありました。

https://nihombashi.keizai.biz/headline/1843/

そういうわけで、人形町の高齢者である私にもマスクをくださったわけです。

「アベノマスク」は未だに何の音沙汰もありません。

今半とは地続きで駐車場借りたり何やかやで普段からお世話になっているんですが、こんな事までしていただいて恐縮です。

記事によれば、お客が減って、とありますが、それは多分ステーキやすき焼きを提供している料理屋の方だろうと思います。

なぜならお肉屋さんの方はいつにも増して行列ができているからです。

「みんな外食できないから、自宅でプチ贅沢なのかね」なんて思っていたんですから。

免許証

で、さらにコロナのせいでこんなものも貰ってきました。

私四月で車の免許証更新なんですが、ネットで更新手続き中止という記事を見たもんですから、所轄の久松警察へ行って免許の更新と運転の延長をして貰ってきました。

優良運転者なので、人より長いこの更新を最後にしようと思っていたんですが、、、

ま、ともかく、いろんなところにコロナの影響が出ているようで大変です。

我々写真を生業とする者は現場へ行かなければ仕事になりませんからね、大工、左官、鳶、なども同様で、現場仕事の方々くれぐれもお気をつけて。

同じ現場仕事でも農家はこんな時はいいですよね。 ただ天候には悩まされているんでしょうけど。

何はともあれ、いつまで続くかわからないたたかいを戦わなければならないわけで、お互い用心しながら日々を過ごしてまいりましょう。

 

爪に火を灯してビフォーアフター

2020 年 4 月 9 日

ビフォー

アフター

上の写真は随分前にも載せたことがある「佐伯祐三ちっく」な味わいのある壁。

何を隠そう我が家の裏の壁でした。

下がその趣のある壁をサイディングとやらで全面覆ってなんとか補強した訳ですが、結果、味もそっけもないただの壁に成り下がりました。

上の壁が佐伯祐三チックになったのは自宅を改造して一階をスタジオに作り変えた時、下町の家々の立て込んだ裏側の壁で、避難路として空けてあるにはあったんですが、普段人も通らなければ通りから見えることもない、通るのは野良猫とネズミぐらい、それも夜中のことですから、幾らかでも改築費用を安くあげようというさもしい魂胆で此処には触らなかったのです。が、この辺りも日本橋再開発の端っこですから、しかも住んでいるのは年寄りばかり、都心の過疎地化しています。

この駐車場になっているところにあったお家もそんな事情か家主がいなくなりました。家主が消えて家まで消えたら、まともに佐伯祐三が顔を出して、上の写真のようなことになった訳です。雨も風もまともに当たるようになって、私が心配するより近所の方が崩れやしないかとハラハラする始末。

趣があるだの佐伯祐三チックだのとムリムリやせ我慢、負け惜しんでいたんですが、とうとうこの度手をつけました。

悩みましたよ。

それでも近所が怖がる壁を放っても置けず爪に火をともすようにしてこさえたなけなしで、ビフォーアフター。

こんな事を言っては工事をしてくださった方々に申し訳ないのですが、工事代金を振り込む時に胸に浮かんだ「もったいないなあ」という思い。

「これだけあればカメラとレンズ新しくしてワンセット組んでもお釣りがくるなあ」という計算。

全くお恥ずかしい限りです。

今から心を入れ替えて、真面目に精進致します。

とりあえずは九月の個展目指してまいります。

それまで皆様、お互い元気で過ごしましょう。

不要不急の無駄遣いもひかえましょう。

見えているテレビアンテナは我が家のものではありません。

誰か相当高くアンテナ張ってるんだわ、初めて知った。

桜咲く

2018 年 3 月 17 日

有馬小学校の桜

有馬小学校の桜です。

もう七分咲です。

今日はまた冬に戻ったような陽気ですが、ここだけは春です。

実は人形町ではすでに満開を通り越して散ってしまった桜もあるんです。

人形町の藪蕎麦の桜がそれです。

木が細くて小さいので写真は撮らなかったのですが、小さいくせに相当早熟でした。

人形町界隈には連雀町の薮系統の蕎麦屋が二軒あります。

一軒はその桜のある人形町薮、もう一軒は入り口に火鉢が於いてあってその中に金魚のいる浜町薮。

人形町薮は町のお蕎麦屋さん然としていますが、そばは連雀町の睦会として二八の細切りで美味しいです。

浜町の方は昔ながらの蕎麦屋の風情が残っています。

何が昔ながらかというと、注文の品が出るまで、水も茶も出さない愛想なしです。

ただ愛想なしと言っても、上野の某蕎麦屋のように「水下さい」だの「お茶下さい」だのと言うと店主が出てきて蕎麦屋で何故水を出さないのかという能書きを滔々と述べ立てて、客に店のやり方を強制するような野暮はしません。

頼めば黙って水でも茶でも出てきます。

食事前に薬のむ人だって居るんですから、上野の蕎麦屋のやり方はどうもあまり頂けないでよね。

あと、テーブルに楊枝が置いてないんですね。

これは落語にもよく出てきますが、江戸っ子は蕎麦は噛まない、すすって喉越しを楽しむ、なんていわれから楊枝を置かないんですが、これだってご飯物を置いといてそれはないだろうと、思う人は思いますよね。

浜町藪は通路に花が活けてありますがその脇にそっと楊枝入れが置いてあります。

まあ、押し付けがましくなく、それでいて江戸っ子の粋がりに合わせているんです。

話は脱線しましたが、人形町情報でした。

なるほどね

2016 年 1 月 30 日

前回書いた中華料理屋ですが、我慢できずにネット検索してしまいました。

そうしてわかったことは、「人形町系」の「大勝軒」だということらしい、ということです。

「人形町系」と言うのは知りませんでしたが、昔人形町にあった大勝軒ならよく知っています。
母が好きで、よく一緒に行きました。
そこは中華料理屋なのに使っている食器がすべて和食器という変わり種でしてね、しかも今あるラーメン屋さんというか町の中華料理屋さんのように、一品でお腹を満たす系統の店ではなかったのです。
思うにその頃の芳町(人形町には人形町、芳町、浪花町がありました)はすたれて来ているとはいえ、まだ検番も料亭も藝者衆も居て、かろうじて花柳界の体をなしていましたから、飲食店は皆お座敷あすび(これ江戸弁ですね、祖母が使っていました。他にもじびた、とか、あいすくりん、とか)で、凝った料理に飽きたお客が藝者衆を伴ってちょっと外へ出てきてなにか軽くつまむという感じの店が多かったんです。
ですから、大勝軒もそういう感じで、食器はほとんどが染付で焼売なら小皿に三つとか、おそばも小鉢でほんの一すすりか二すすりで終わるような形にもしてくれました。
小人数(こにんずう)で行ってもいろいろ食べられるように工夫されていたんだと思います。
めったに笑顔を見せないおばさんが注文を訊くんですが、十品や十五品頼んでもメモも取らずに一度聞いたきりで間違いなく通っているという神業の持ち主で、愛想はないけれど感じは悪く無いおばさんが店を仕切っていました。
おいしかったですよ。
そもそも東京は「花柳界のあったところが食べ物は美味しい」というのが通説でしたからね。
近頃はそうでもないんでしょうが。

ま、そんなわけで、前回の中華料理屋の謎は解けたわけです。
人形町系と言うのは知りませんでしたが、日本橋も浅草橋もそれと知らずに入っていました。
しかし、人形町系とは言いながら、かつて人形町にあった大勝軒とは全然別物です。
あの雰囲気と食器とおばさんの三位が一体となって作り出していた「大勝軒」はもうどこにもないんですから。

昔の人形町、浜町にはそういう店が何軒もあったのですが、みんな消えてしまいましたねえ。
いくつか残っていますが、ネットでは紹介しません。
ネットに書くと、店が荒れるのでね。

偶然見た店から昔のことを思い出しました。

冬の雲

2016 年 1 月 25 日

水天宮

昨日の水天宮交差点。

もうほとんど完成、なんでしょうか?

結構気合の入った社殿になりそうですよ。

上空は風が強そうです。

根津神社の写真の著作権者から「いつまでも私の写真をさらしておくな」と言われたので、書きたいこともないのですが、無理やりです。

 

 

スーパームーン

2015 年 9 月 29 日

スーパームーン

夕べのスーパームーン見ました?

むら雲に隠れたり出たりしながら見る者を弄んでいましたが、夜中近くには雲はさっぱりと消えて丸い月が中天に輝きましたが、案外こうなるとつまらないものでした。

写真はもうすぐ出来上がりそうな水天宮の社とその上の雲間に見えるスーパームーン。

こういう写真はiPhoneではちと無理がありますね。