Posts Tagged ‘どうでもいいこと’

リール竿のない頃の昔の話

2017 年 9 月 22 日

一月ほども放置してしまいました。
自分がFacebookを使う前は他人のブログがfacebookを始めると更新が滞るなあ、と思っていたのですがいざ自分も始めてみると、やっぱり滞るものだなあと、改めて思わされた次第です。

永代橋の鉄骨の足の部分を只今補強工事中です。
地震に備えて川の周辺では色々補強策がとられています。

今朝の散歩中にはハゼ釣りをしてるひとは一人だけでした。

内田百閒の随筆に昔の東京湾の釣りの話が出てくるんですが、その中に当時の鱚(きす)釣りの話が出てきます。
もともと東京湾は遠浅の海でしたが、今は埋め立てと京浜工業地帯の工場が海浜部の大多数を占拠しているために砂浜が消えてしまいましたが、これはまだ東京湾に砂浜が残っていた頃の話です。
百間の父親がよく鱚を釣りに出かけたらしいのですが、当時の東京湾のキス釣りは遠浅の海に脚立を立てて、その上に乗ってしたそうなんです。
船で沖の脚立まで渡して貰って、終日その上から釣り糸を垂れていたそうです。
昼時になると船が弁当を運んでくれる。
鱚は人影を嫌うのでこんな釣が流行ったんでしょうね。
一日中脚立の上に居るのですから大小便をもよおせば、その場で済ませるわけです。
巨大な水洗便所ですね。
そんな脚立が遠浅の沖にぽつぽつと何本も立って、その上に人が乗って糸を垂れている風情はなんとものんびりしているじゃありませんか。
驚くのは稀に女子の釣り人が居たと言うから、豪胆じゃありませんか。

ナガミヒナゲシ

2017 年 5 月 15 日

ナガミヒナゲシ

隅田川テラスの植栽に群生しているナガミヒナゲシ。

見たら抜くようにという記事がfacebookにありましたが、けっこう可憐な花なので、引きちぎって捨て去ることには抵抗があります。

「雑草という植物はない」と言ったのは昭和天皇ですが、果たしてこの花が在来植物を次々と絶滅に追い込む程の悪いやつなんでしょうか。

昔、山崎ハコという歌手がいました。

絶望的な歌を歌うその人のヒット曲に五木寛之の「青春の門」を題材に五木寛之が作詞して山崎ハコが作曲した「織江の唄」というのがあります。

その歌詞に「月見草 いいえそげんな花じゃなか あれはセイタカアワダチ草」という下りがあります。

この歌のはやる少し前、江戸川や荒川の河川敷にはこのセイタカアワダチ草が群生していたんです。

今で言う特定外来植物のたぐいです。

この頃、このセイタカアワダチ草を早く何とか駆除しないと、日本中の在来の雑草が侵食を受けて、絶滅してしまうと識者が盛んに喧伝していたものです。

たしかに物凄い勢いで増えていましたからね。

でも、今江戸川や荒川にはすすきも葦も生えています。

セイタカアワダチ草に埋め尽くされていた景色は消えています。

素人のささやかな経験に基づく意見ですが、そうヒステリックにナガミヒナゲシを引きちぎらなくても「いいんじゃね?」と思うんですが、いけませんか。

 

さて、

2017 年 3 月 9 日
永代橋たもとの紅梅

永代橋たもとの紅梅

なんですか、20に百条委員会が開かれるそうで。

17,8日頃に都内某所から救急車の要請がありまして、急患をのせたその車は慶応病院か虎の門病院へ行くそうですね。

よくできた話です。

師走

2016 年 12 月 6 日

谷中で見つけた

散歩中に谷中で見つけた果肉植物。

誰かの「絵」みたいでしょ。

海中の生き物みたいにも見えます。

ここ二三日、新しい作品作りをしているんですが、なかなかうまく行きません。

しょっちゅう作っていないと感が狂うのかなあ?

カレンダーもまだだし、年賀状はやめようかと思っているんですけど。

急にやめると、どうなんでしょう?

以前に知人から「年賀状は今年をさいごにします」という葉書をもらったことがありますけど、やはり告知すべきなんでしょうか?

どっちにしても早くしなければ。

 

することも 無いのに世話しい 師走かな (当て字は漱石に倣いました)

スッキリと

2016 年 10 月 31 日

空

天高く、秋晴れの空がなかなかやって来ません。

それでも、空を見ていると飽きないですよね。

子供の頃、松本城の公園に(天守閣のある堀の内側でなく、その外の少し離れたところに)石垣だけが残っていて、それが5メートルほどでそんなに高くない。

そこへ登ると中が少しえぐれていて一面に草が生えて、なんだか子供基地のようになっていました。

凹んでいるのでその中に入ってしまえば、外からは見えません。

その頃天守閣は改修中で、お城全体に蓆が掛かっていて、改修中でも特別の許可を取れば、中には上がれたんですが、筵越しに見る外はぼんやりしていて、だから、石垣の中に入っている私を見つけることはできなかったと思います。

学校から帰ると、よく一人でお城へ行って、その石垣に隠れて草に寝ころび、雲を眺めていました。

四囲を高い山に囲まれた盆地に湧く雲はいつまで見ていても飽きない形の変化を見せてくれました。

今思えば、詩的な子供だったのに、なぜこんなに現実的なおとなになってしまったんでしょう?

その一方でなかなか大人の了見が持てないでいる。

なんだかなあ、な人生で、こっちもなかなかスッキリとは晴れ渡らないんですねえ。

オリンピック 2

2016 年 8 月 11 日

尾花

オリンピックの続きです。

実は私、体操もやっていたんです。

でも中学の時で、高校ではやらなかったので、ほんのかじった程度なんですけど。

その中学の体操班(そう呼んでいたんです)は体育系のクラブには珍しく、縦社会の縛りが緩かったんです。

普通、一年生が器具の支度をして、三年生から練習に入るというケースが多いですよね。

ところが私の居た中学の体操班では、器具の準備は後輩がするんではなくて、先に練習場へ来たものがする、って決まりでした。

これだとみんなできるだけ遅く、準備の済んだ頃に出てきそうですが、ところがやっぱり下級生ほど、早く来て準備をしていました。

何故かと言うに、器具の準備をした者は優先的にその競技の練習ができるという決まりがあったのです。

器具の準備をしなければ練習の順番は先輩から、と決められていたんですが、道具を出せば先輩よりも先に練習できる。

ですから、新人はできるだけ早く行って器具の準備をする。

これ、なかなかいい決まりでしょ。

道具の撤収は全員で、が決まりでした。

あの時代にこのルールを作った先生は大したもんだと思います。

ちなみに顧問は物理の先生でした。

論理的なのかな。

で、体操ですが、内村は凄いですねえ。

私の子供の頃は小野喬、「鬼に金棒、小野に鉄棒」なんて言われて、鉄棒が得意種目でした。

その後、記憶にあるのは遠藤とか具志堅、みんな美しかったんですが、その中でも内村は素晴らしいですね。

今はすっかりメジャーなスポーツになった体操ですが、私が中学生の頃には「クラブ活動何してるの?」「体操です」「体操? ラジオ体操?」なんて訊く人が居たんですよ。

隔世の感があります。

唐突ですが、夏はうなぎ、でしょ。