写真の読み方

2018 Reuter / Toru Hanai
この写真が普段見る新聞や雑誌の記事中写真に比べて、新鮮な感じを受けた方が居るかもしれません。
これは[東京 12日 ロイター]の記事中の写真です。
例の麻生さんが書き換えを認めた会見で、「佐川、佐川」と官僚を呼び捨てにしていた時の写真です。
撮影したのは日本人のようですが、日本の新聞や雑誌では中々選ばない写真です。
このカメラマンも(本来はフォトグラファーです。カメラマンはムービーの撮影者を指します)この写真以外に寄りや引きなどこの場所で様々な写真を撮っていたはずですが、編集者はこの写真を選んで記事中に入れましたが、これが結構珍しいのです。
日本の新聞、雑誌なら、ほとんど例外なくもっと麻生さんに寄った写真を選んでいたはずです。
麻生さんの周りに二三人の記者を入れた寄りの写真にするでしょうね。
ここまで引きの絵を選ぶことは滅多にありません。
それには理由があります。
日本では報道に限らず記事中や文章中に使われる写真は文章を補完するものであって、それ以上でも以下でもありません。
ですから写真の役割も麻生さんの表情を捉えたものへ収れんしていきます。
したがって署名入りの記事でも写真は匿名のことがほとんどです。(さすがに近頃は写真の下にクレジットを入れたものも散見しますが)
私の経験では外国通信社では文は文、写真は写真、と明確に分かれています。
文が主で写真が従ということはありません。
その顕著な例が写真につけるキャプションです、日本では記者が写真にキャプションを付けますが、外国通信社ではカメラマンがキャプションを付けます。
写真に写っていたその場にいたのはカメラマンなのですからカメラマンがキャプションを付けるのが当たり前になっています。
文は文、写真は写真、ということが徹底していると、カメラマンが写真を撮る時の気概が変わります。
文章を忖度しなくなるのです。
日本ではベテランになればなるほど、記者が書くであろう記事を推し量ってそこに合う写真を狙いますが、文がどうなるかに関係なく写真を撮ろうとすると、写真一枚でその場の出来事をわからせようとする意志が強く働き、一枚で全てを説明できる写真を狙うようになります。
この意志の差が選ぶ写真を変えるのです。
このロイターのToru Hanaiさんの写真はですから、珍しい感じがして当然なのです。
この他にも著作権の扱いでも日本のメディアと外国通信社の間では大きな差がありますが、それはまた機会があれば。。。
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