ちょっとめげてます

家の裏

今まであまり自分の年齢を感じることはなかったんですけど、今度ばかりはちょっとめげてます。

この場所にあまり個人的な懊悩や煩悶をあげないようにしていますが、係累のないわたしには日常のプライベートに深く関わる問題を聞いてもらう相手がいません。

するとつい、ここへ載せたくなる誘惑に駆られるんですが、今回がまさにそうなんですが、やっぱりやめておきます。

わたしは誰とも繋がっていないのに、こういう重大な問題が起きるとき、いつも誰かが、他人の誰かが手を差し伸べてくれたり、なにもしないのに問題のほうが勝手に解決されてしまったりしてきました。

運だけで今日まで生きてきたんですから奇跡のようです。

写真という職業だって勉強したわけでも、誰かに教えを請うたわけでもない。

ただ周囲の友達が手を差し伸べて引っ張りあげてくれたり、下から支えてくれたりして今日があるわけです。

そういう人たちに私はなにか返したかというと、それが実に「貰いっぱなし」なんですね。

数は少ないですが、わたしが助けた人もいます。

でもその人もわたしに「貰いっぱなし」、そういうものなんでしょうかね。

良く「なんでも話せる友人がいる」という話を聞きますが、わたしにはそれがないんですね。

相談するほど信頼の置ける人が周りにいない、というわけじゃないんですが、相談するということは困っているということですよね。

その困っていることを話すのはただ話すだけなんでしょうか? 皆さんは。

私はなんだか、その相談は心の何処かで「助けてくれ」「手を貸してくれ」という思いが忍び込ませてあるようで、それは多分相手にとって迷惑だろうな、と思ってしまうんです。

そう思うと「愚痴」が言えなくなってしまうんですね。

これがつまり、人との間に距離を置くということなんでしょうね。

まあ、仕方ない、これが性格なんですから。

今度もなんとかなるでしょう。

「ケ・セラ・セラ〜♪」

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