東松照明が死んだ!

1971.4.28 沖縄デー

1971.4.28 沖縄デー

以前にこのブログで「東松さんには謝らなければならない事がある」と書きましたが、東松さんが亡くなった報を受けた今日、それを書くことにします。

今は昔、1970年だったか71年だったかの出来事です。
67年頃から始まった学生運動はそれまでの代々木が指導するいわゆる民青系全学連とは違い、どこの組織にも属さない学生の連合体でした。後にマスコミはこれを称して「ノンセクトラジカル」とくくりました。
が、実際の所はそこにもセクトはなだれ込んできて 俗に三派とも八派とも十三派とも呼ばれる集合体になり、総称して反代々木系全共闘(斗)となるわけです。
そのあたりの経緯は詳しいサイトにあたって下さい。

で、この中に写真をもって参加していた学生、若者も居たわけです。何故、ゲバ棒でなくカメラなのか? そこはにはそれぞれいろいろあると思いますが、そこは省いて、そんな写真家の卵達が五十人ほどはいたでしょうか。
こちらもまとまって組織化を図り、それぞれ取材先を分担するというような、合理性は持たず、それぞれ勝手、銘々の思うがままの取材という形でした。

デモが新宿で流れ解散になると、今もあるかどうかは知りませんが「コーヒータイムス」という喫茶店へ行き、翌日の情報を集めました。そこにはそう言う類の若者と硬派のマスコミ関係者が出入りしていましたから、そこで翌日のデモの情報を仕入れたわけです。

そんなある日、コーヒータイムスで一枚のチラシが配られました。
そこには、コーヒータイムスの近くの町会の集会場に某月某日某時に集まってくれと書いてあり、どうやら「東松照明が我々に話しがあると言っている」 というような文言がありました。

ーー以下は明日

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