1Q84

村上春樹

1Q84 BOOK3

発売日に本屋さんへ行った時間が遅くて、買えなかったBOOK3です。
買えないばかりか、それを深川図書館で832人待ち。
「12480日つまり約34年この本を読むために待たなければならない」と書きましたら、
それを気の毒に思った篤志家が、どこからか手に入れてきて、私にプレゼントしてくれました。
ところで今日は村上春樹が論理的であるというお話。
彼の小説はストーリーが突飛であるためにあまり論理的という評価を受けないようですが、私にはとても論理的にうつる。
しかもその論理的なロジックが小気味よくて、そこが受けているんじゃないかとさえ思っています。
全共闘時代、あるいはそれ以前の共産党が左翼運動をリードしていた時代、
左翼的言辞はもっぱら論理を軸として会話やアジテーションが行われました。
それは難解な数学の応用問題を解いたときのような一種の達成感と、もつれた糸を解きほぐせたときのようなスッキリ感があって、
そこに多くの若者は酔ったわけです。
村上春樹の小説にもこれがあります、と私は感じています。
ただ過去の左翼的ロジックの中で用いられてきた、紆余曲折する論理、まあ弁証法的言辞といったら叱られるでしょうか、
それではないんですね。
もっと日常の言葉で、普通の会話の中で使われる言葉以外は用いないでする論理です。
会話や筋立てが論理的であるという、ところで受けているのであるとすれば、それは使われる言葉を選ばないということになります。
英語で書こうがドイツ語で書こうが、ギリシャ語でもヘブライ語でも論理的であるということは変わりませんから、
世界のどこへ持って行っても、そこに気持ちよさを感じる人には受け入れられる。
ここが、今までの日本の作家にはなかった、新しさ、ユニークさだと、私は思っています。
しかも彼の「論理的」は上で私が書いた「12480日つまり約34年この本を読むために待たなければならない」みたいな論理。
「読むために待たなければならない」かというと、決してそんなことはないのですが、
事を、借りて読むことに限定すれば、それが成り立つ論理。
そしてそのことが読者全員に分かる形で、提出される。
まあ、淺読みの私はそんな風に感じているわけです。

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