もろもろ

新橋

昨日、横浜へ新井英一のライブに行ってきました。
「清河(チョンハー)への道」の新井英一です。
声が全く変わっていない、訴える気持ちに衰えがない。
凄いことだと思いながら聴いてきました。
ウラジミール・ヴィソツキーをカバーしたり、似合わないラブソングを歌ったり、それなりにご苦労はあるようです。
私はただ一曲、「清河への道」を聴きに行ったので、最後にそれが聴かれて満足でした。
この歌手のことを教えて貰ったのは、映画監督だった中田統一さん。
初めてそのCDを聴いたときは涙があふれました。
激しい歌です。強い思いがあります。自分をさらけ出しています。
聴いたとき、これが「表現」だと、強く思い知らされました。
何年もたって、FMから聴いたこともない人の声が聞こえてきました。
やはり強く訴えてくるものがあります、言葉が分からないのに。
最後に聞いた名前を頼りにまだググる事ができない時代、あちこちCDを探し歩きましたが、
名前さえ初耳という店ばかりでした。
それが新宿の新星堂の民族音楽のセクションにたった一枚。
また何年かたって、新井英一がそのヴィソツキーをカバーしていることを知りました。
ピッタリでした。
そんなわけで久しぶりのコンサート、正解でした。

話変わって上の写真、今月中旬に銀座で撮った写真です。
PS(Photoshopの略) CS3とわざわざ書いたのは垂直をいくらかいじっているからです。
わたし仕事以外ではできるだけ写真をいじらないようにしています。
撮ったときの気持ちは撮った写真に乗っています。
写真をいじると、見た目は良くなっていきますがその気持ちは写真から薄れていくような気がするのです。
もちろんそれは撮った人にしか分からないことですけど、そこが大事だと思うんです。
ですがこれはこれからする話しのために、さわってみました。
それは、この頃見る建築写真になぜかあおり過ぎのものが目につくからです。
4x5で撮っていた頃はみんな当たり前のように知っていたセオリーが
デジカメで撮ってPSで処理するようになって、こういうことになったのでは、と思うのです。
PS上でガイドを出してそれに垂直をあわせて変形をかける。
定規を当てるとたしかに垂直は出て居るんですが、見た目は頭でっかちになって見える。
上の写真は完全には垂直は出していませんが見た目には真っ直ぐに見えます。
両脇の建物を取り去ってしまえば、さらに真っ直ぐに見えます。
でも、いくらかねじれて見えますね。
これは自由変形で単純に天を開いただけだからです。
ですからPSが便利になっても撮影のノウハウが無いとへんてこな写真が出来上がります。
われわれはまだ4x5を当たり前のように使っていましたから、
そこを基準にPSをさわりますが、これからはそうは行かなくなるでしょうね。
「写真は見た目」を忘れなければ変なものはできないとは思いますが。
こういうのって、カメラの解像度にも感じますよね。
不自然な輪郭強調による妙な解像感。
あり得ない草木のグリーンの鮮やかさ。
デジタルカメラは便利ですが、フィルムが持っていたもので失ったものは多いですよね。
フィルムを知らない世代には、そんなこと関係ないでしょうが。
われわれが中途半端なのかも知れませんね、両方知ってて両方追いかけるから。

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