年頭に思うことなど

終電車暮れから引き続き撮影でない仕事で拘束され続けています。音楽をかけるのも忘れていながら、夜はしっかり飲み歩いていますから、こんな写真も撮れます。漫画も読み切れないほど疲れている若者。。。
きょう、久しぶりにiTune。わがやのCDの全てはここに納められていますから、便利この上ない。CDのままだったらたぶん棚の奥で聞くこともなかったであろう局も簡単スクロールで、目の前に現れますからこれは便利です。で、きょうは岡林信康。われわれ世代にはこの名前と山本義隆、秋田明大は特別の響きがあります。岡林を聞いていた頃には拓郎は軟弱、こうせつ、さだにいたっては軟弱とすら呼べない。そう言う思いで岡林を聴いていました。強烈なシンパシーを持って聴いていたんですね。でも私より4,5年下、団塊以降の人には拓郎は旗手、ですよね。我らの言葉を代弁してくれる先頭打者。僅かの差で面白いものです。私は今では拓郎はもちろん、さだもこうせつも聴きます。そうして上手いもんだなあと感心します。その時代のその年代の若者が感じていたことをきっちりと切り取っていますよね。深く考えたわけではない、感じたままを曲にしただけ、それが時代とその感性を切り取っているのです。その頃学者が考えていた時代は矢張り机の上のもので、肌に即していない。分かったような気にはなるけど、腑に落ちない。なんにも考えていないように見えた若造が、むき出しの感情で叫んだものが、見事に時代を切り裂いていた。「表現」の小気味いいところはここですよね。きょう久しぶりに聴いた岡林は、あのころの強烈なシンパシーは消えて、切なく聞こえたのです。ただただ切ない。「友よ」「山谷ブルース」「流れ者」「チューリップのアップリケ」「手紙」、どれも切ない歌です。同時に良くこれを歌ったなあと感心します。命も狙われたでしょう。凄いもんだと思います。やっぱり若いということは凄いことですね。そうしてその若さを切なく感じる私は、確実に年をとったということでしょう。怒りも、喜びも、焦慮も、全てを感傷の方へ押しやる年齢という妖怪はなかなか手強い相手です。ここで踏みとどまらないと、簡単に絡め取られてしまいます。
今年、何か新しいことを一つすることを、年頭にきめました。なんになるか分かりませんが新しいことをしないと、老ける、そう言う強迫観念があります。なにが出来るのか自分でも楽しみです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です