閑話猫題

「なんの新しい出来事もない」ので、猫にご登場願うわけです。上のフレーズ、立原道造の詩の一節ですが、この立原道造の直筆の書簡を手にとって何十通も読んだことがあります。わたしが毎夜アルコール消毒をする店が実は1970年に開店しました。学生時代に一緒に事務所を開いていた友達のお姉さん夫妻が道楽で始めた店でした。ご主人の関係で当初は日本哲学界の先生方が多かった。それから、法曹界、特に最高裁判所の判事や調査官が大勢見えていました。その後われわれのような半端者も出入りするようになり、今に至っているわけですが、この店が工事中から目を付けていた人がいます。柴岡亥佐雄という建築家。ご存じの方は少ないでしょうが、日本にはじめてダイニングキッチンというものを紹介した人です。おじいさまが勝海舟の咸臨丸の御殿医。そして東大建築学科で立原道造と同期。仲が良かったらしく、立原からの手紙が何十通も。某出版社が立原道造全集を出すことになり、柴岡先生(わたしはそう呼んでいました。ときどきイサオちゃんとも)がその店に持ってきて、「あした出版社に渡すから、渡してしまうといつ戻ってくるか分からないから」と言って、見せて下さったのです。むさぼるように読みました。生の文化、歴史になっている生の文化に直に触れた最初でした。感謝しています。面白い人でした。平塚らいてうの若いツバメが作った指輪を常にしていました。男物にしては大きな青い石のついた指輪で、その石の部分がくるっと回転すると、ハンコになっているものでした。ある時指に指輪がないのを不審に思って訊ねると「ベッドと壁の間に落っこちちゃって、取れない」というので、それを拾いに伺ったこともあります。部屋があまりに汚いので掃除と片づけに行ったこともあります。汚いんじゃなくて未整理なんだと言ってましたが。50年も前の壁紙のサンプルなんかも取ってあるんです。どんどん捨ててゆくと「かざまくんは気前がいいね」と褒められました。そこにいるだけで文化がにおってくるような人でした。晩年少しアルツハイマーがすすみ、先生のご自宅からその店まで500メートルぐらいの距離を「今日は、ちょっと道に迷っちゃって、

ここまで来るのに、50分もかかってしまいました」なんて仰っていました。一人暮らしは危ないというので、妹さんの所へ引き取られたのですが、二年ほどして亡くなった、と風の噂。なんでも散歩の途中で、崖下へ落ち、そのまま幾日か発見されずにいたそうです。美しいと思いました。涙があふれましたが、なんて美しい死に方なんだろうと、思いました。美学は生活の中に実現できて、初めて完結します。わたしの忘れられない人の一人です。

で、猫ですが、ある日の一日です。郊外の一軒家に住んでいれば、縁側に出した籐椅子に終日座って、過ぎ越し日々を思ったり、庭に来る鳥を眺めたりしながら、コーヒーを飲み、本を読んで過ごすんでしょうが、下町のコンクリートの囲いの中で、手を伸ばせば左右の家に指が届く環境では、そこに集まる猫を眺めることぐらいが関の山。敵意のある目もあれば優しい目も、無関心な目も。梅雨の晴れ間に我がぼろスタジオの裏へ、何が面白くて集まってくるのかは知れませんが、こうして集まってくれるのは嬉しいことです。吉田兼好のように方丈の庵を結ばなくとも、すむところがすでにそんなものなので、ここで死ぬまで暮らせば「詩が生まれ、絵が描ける」かも知れませんね。今日は夕方からティアラ江東と言うところへ、モダンダンス鑑賞。 以前書いたことのある友達のお嬢さんが出演するので、それを見に行きます。

さて、話も尽きてきましたので、ここらでお開き、ということに。わたしが暮らす詩的で文学的な生活を、最後にこの猫が感想を言ってくれました。

さて、話も尽きてきましたので、ここらでお開き、ということに。わたしが暮らす詩的で文学的な生活を、最後にこの猫が感想を言ってくれました。

だ、そうです

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