骨壺

2月17日に我々御用達のセットショップというところがあるとお知らせしました。そこで硝子を撮影する為にアクリルを購入したとも書きましたが、その撮影の一部がこれです。きれいな硝子の工芸品でオブジェとして買いたくなる人もいるかも知れませんが、これ、骨壺です。今時は骨壺もこんなにおしゃれになっています。もっともこれはこの中にお骨を入れて墓の下に埋めるわけではないんです。墓というものは結構面倒な規約があって、いったん墓に入れてしまうとあとからそう安直に取り出すわけにはいかないんです。ですから、これは分骨して家に置いておくための骨壺。
それにしてもきれいでしょ。硝子工芸作家が一点一点手作りだそうです。こんなのに入れられていつも家族のいる居間のオーディオセットの上かなんかに置かれて、しあわせ、かなあ。死んでしまえば何でもいっしょですから、これは生きて残った人たちのなぐさめになるんでしょう。私はそういう価値観が著しく欠如していますから、こういう感覚分かりにくいんですが、それでも死んだ家族の遺骨を友達の陶芸家が作った棗(なつめ)に入れて、本棚に置いてあります。ほこりをかぶっていますが、たまにはすす払いもして、ときどきは拝んだりもします。死んだ家族の好きだったものをもらったときなどは、供えたりもします。が、大概はほっぽりっぱなしです。生きてるときだって病気でもしなければほっぽりっぱなしだったんですから、それで良いと思っています。
この二三日風邪を引いたようで節々が痛くてたまりません。熱も相当あります。昨日撮影中ももうろうとしていましたが、デジタルは有り難いですね。

シャッターを押すとすぐに(ホントはすぐじゃないんですけど)撮影した画像がコンピューターに現れますから、みんなのチェックが入ってミスはありません。これフィルムですとファインダーを覗いているのはカメラマンだけですから、集中の欠けた状態での撮影はこわいんですが、デジタルは大丈夫。で、今日九時頃に起きて後処理、明日朝一で届けます。RAWで撮影してTIFFやPSDにすることを皆さん「現像」と言っていますが、私はこれにちょっと抵抗があります。「現像」というのは化学変化だったんです。RAWからTIFFやPSDにするのは演算ですから、わたしは「現像」とは呼びません。意固地のようですが、それが今まで私を生かしてくれた写真に対する誠実な態度のような気がするんです。私は簡単にフィルムを捨てて、デジタルに移行しましたが写真に対する畏敬の念は持ち続けたいと思います。

では皆さんも、こんなきれいな骨壺に収まって下さいね。

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