ウィーンの春
2018 年 3 月 28 日
Michael Schifter
ウィーンにも春がきたそうです。
花の名前が書いてなかったので想像ですが、クロッカスでしょうか?
アルプスに似合う花ですよね。
ひるがえって今年の日本の桜は咲き始めに全く色がなかった上に雨に当たったので、色づかないかと思ったんですが、例年に増してさくら色がきれいでした。
わからないものです。
やっと春が来たか。
どうでもいいんですが一応決まり事なので、甘酒横丁の桜です。
Michael Schifter
ウィーンにも春がきたそうです。
花の名前が書いてなかったので想像ですが、クロッカスでしょうか?
アルプスに似合う花ですよね。
ひるがえって今年の日本の桜は咲き始めに全く色がなかった上に雨に当たったので、色づかないかと思ったんですが、例年に増してさくら色がきれいでした。
わからないものです。
やっと春が来たか。
どうでもいいんですが一応決まり事なので、甘酒横丁の桜です。
有馬小学校の桜です。
もう七分咲です。
今日はまた冬に戻ったような陽気ですが、ここだけは春です。
実は人形町ではすでに満開を通り越して散ってしまった桜もあるんです。
人形町の藪蕎麦の桜がそれです。
木が細くて小さいので写真は撮らなかったのですが、小さいくせに相当早熟でした。
人形町界隈には連雀町の薮系統の蕎麦屋が二軒あります。
一軒はその桜のある人形町薮、もう一軒は入り口に火鉢が於いてあってその中に金魚のいる浜町薮。
人形町薮は町のお蕎麦屋さん然としていますが、そばは連雀町の睦会として二八の細切りで美味しいです。
浜町の方は昔ながらの蕎麦屋の風情が残っています。
何が昔ながらかというと、注文の品が出るまで、水も茶も出さない愛想なしです。
ただ愛想なしと言っても、上野の某蕎麦屋のように「水下さい」だの「お茶下さい」だのと言うと店主が出てきて蕎麦屋で何故水を出さないのかという能書きを滔々と述べ立てて、客に店のやり方を強制するような野暮はしません。
頼めば黙って水でも茶でも出てきます。
食事前に薬のむ人だって居るんですから、上野の蕎麦屋のやり方はどうもあまり頂けないでよね。
あと、テーブルに楊枝が置いてないんですね。
これは落語にもよく出てきますが、江戸っ子は蕎麦は噛まない、すすって喉越しを楽しむ、なんていわれから楊枝を置かないんですが、これだってご飯物を置いといてそれはないだろうと、思う人は思いますよね。
浜町藪は通路に花が活けてありますがその脇にそっと楊枝入れが置いてあります。
まあ、押し付けがましくなく、それでいて江戸っ子の粋がりに合わせているんです。
話は脱線しましたが、人形町情報でした。
2018 Reuter / Toru Hanai
この写真が普段見る新聞や雑誌の記事中写真に比べて、新鮮な感じを受けた方が居るかもしれません。
これは[東京 12日 ロイター]の記事中の写真です。
例の麻生さんが書き換えを認めた会見で、「佐川、佐川」と官僚を呼び捨てにしていた時の写真です。
撮影したのは日本人のようですが、日本の新聞や雑誌では中々選ばない写真です。
このカメラマンも(本来はフォトグラファーです。カメラマンはムービーの撮影者を指します)この写真以外に寄りや引きなどこの場所で様々な写真を撮っていたはずですが、編集者はこの写真を選んで記事中に入れましたが、これが結構珍しいのです。
日本の新聞、雑誌なら、ほとんど例外なくもっと麻生さんに寄った写真を選んでいたはずです。
麻生さんの周りに二三人の記者を入れた寄りの写真にするでしょうね。
ここまで引きの絵を選ぶことは滅多にありません。
それには理由があります。
日本では報道に限らず記事中や文章中に使われる写真は文章を補完するものであって、それ以上でも以下でもありません。
ですから写真の役割も麻生さんの表情を捉えたものへ収れんしていきます。
したがって署名入りの記事でも写真は匿名のことがほとんどです。(さすがに近頃は写真の下にクレジットを入れたものも散見しますが)
私の経験では外国通信社では文は文、写真は写真、と明確に分かれています。
文が主で写真が従ということはありません。
その顕著な例が写真につけるキャプションです、日本では記者が写真にキャプションを付けますが、外国通信社ではカメラマンがキャプションを付けます。
写真に写っていたその場にいたのはカメラマンなのですからカメラマンがキャプションを付けるのが当たり前になっています。
文は文、写真は写真、ということが徹底していると、カメラマンが写真を撮る時の気概が変わります。
文章を忖度しなくなるのです。
日本ではベテランになればなるほど、記者が書くであろう記事を推し量ってそこに合う写真を狙いますが、文がどうなるかに関係なく写真を撮ろうとすると、写真一枚でその場の出来事をわからせようとする意志が強く働き、一枚で全てを説明できる写真を狙うようになります。
この意志の差が選ぶ写真を変えるのです。
このロイターのToru Hanaiさんの写真はですから、珍しい感じがして当然なのです。
この他にも著作権の扱いでも日本のメディアと外国通信社の間では大きな差がありますが、それはまた機会があれば。。。
駒込大観音の紅梅
先週ですが駒込の大観音の梅がまだ満開。
と言ってももう盛りは過ぎているようで、香りは殆ど消えていました。
さて、朝日のスクープ「書き換え報道」ですが、若手の正義感あふれる官僚からのリークと思いたいですね。
少し前に、前川さんは「『有ったものを無かった』とは言えない」と言って辞任しました。
今回、佐川さんはあるものを「無かった」と言って辞任しました。
官僚の態度としてはどちらが正しいのでしょうねえ。
どなたか組織論の専門の方、教えてください。