演歌が政治にすり寄った
2016 年 3 月 24 日「演歌・歌謡曲を応援する国会議員の会」(会長 二階俊博)が23日初会合を持ったそうです。
文楽もかつて政治に頼りました。
「人気がないから、政治でなんとかして下さい」
表現者として政治頼りに事を運ぼうとするのがすでに想像力を失っている証なのに。
いやだねえ!

Albert Einstein
「演歌・歌謡曲を応援する国会議員の会」(会長 二階俊博)が23日初会合を持ったそうです。
文楽もかつて政治に頼りました。
「人気がないから、政治でなんとかして下さい」
表現者として政治頼りに事を運ぼうとするのがすでに想像力を失っている証なのに。
いやだねえ!
Albert Einstein
浜離宮へ菜の花を見に行ってきました。
梅はすっかり散ってしまって、菜の花も盛りを過ぎていました。
久しぶりに浜離宮へ行きましたが、周りの景色はすっかり変わってしまって、昔の趣はもうどこにもありませんが、園内は昔とそう変わっていませんでした。
菜の花を見て、汐入の池を通って、藤棚の下でおむすびを頂いて帰ってきました。
浜離宮から近いので、出光美術館へもよってきました。
浜離宮に外国人観光客が大勢居ましたよ。
けっこうな人気です。
昨日の清澄公園です。
小さい桜の木に小粒ながら満開の桜。
成木の桜はまだ蕾が固いのですが、どうしたことでしょう?
神保町画廊へタイトルの写真展を見に行ってきました。
なんて言うんでしょうか、他人のアルバムを覗き見るような気持ちで出かけていったのです。
何故そんな気持ちになったのかというと、下記のような記事を読んだからです。
『夫が亡くなって一年が経とうとした時、夫の書斎机の引き出し奥からブリキの缶箱を見つけた。その中には私の知らない女性が自宅の居間や台所であられもない姿を晒している写真が何枚も入っていた。私はその写真を見た瞬間、夫が撮影したものだと理解し同時にそこに写る女性との秘密の関係を知ってしまった。破り捨ててしまいたい程の嫉妬心と怒りを感じながらも写真から目が離せなかった。私が愛した夫の「作品」としてこの写真を発表しなければと思ったのだ。』(個展案内より)
「夫」は職業写真家では無かったようですが、それは作品の評価には影響を与えませんからね。
他人のアルバムを覗き見る好奇心と、純粋にどんな写真をとったのだろうかという好奇心とをないまぜにしてでかけてみました。
「夫」写真家の撮影動機は以下のもののようです。
『私は妻が出かけている合間、しばしば関係を持った女性を自宅に連れ込んでいた。カメラが趣味の私は情事に及ぶ前後、彼女をモデルにお互いの楽しみとして写真を撮影していた。そこに写る彼女は日頃からは想像つかない大胆さで美しく私を挑発をしている。この写真は私たちの秘められた関係の証拠であり、他の誰も見る事の無い二人だけの秘密の記録だ。』(個展案内より)
で、そんな卑俗な好奇心でこの展覧会を見て、おやっ? と思ったのは、この写真家の撮影動機と実際の作品との間の違和感でした。
下世話な言い方をすれば、”やったあと”の写真に漂うモデルの名状しがたい雰囲気が現れていない写真が相当数混じっているのです。
そして何よりそういう密接な関係にあるモデルと写真家の生々しさがここにある写真には希薄なのです。
もっと言えばモデルを雇って撮影した感じの写真が混じっているのです(と、私は感じたということですが)。
もし私のその感想が正しければ、「夫」の撮影動機を記した日記かメモか分かりませんが、上述の文章はこの写真家の「創作」ということになります。
そうだとすればこれはかなりアイロニーに満ちた写真展ということになります。
モデルは一人ではなく相当数です。
その人数の多さも、私に上記の印象と言うか妄想を感じさせた一因でもあります。
そして更に、モデルのポーズに、発表を意識してとらせたポーズがあるのも、不可解でした。
色んな意味で、面白い展覧会でした。
神保町画廊サイトよりお借りしました
スキー場の写真です。
キレイですよね、広々してるし。
オーストリアの友人夫妻から、遊びに行ったスキー場で撮った写真が送られてきました。
スキーの国はゲレンデをできるだけいじらないで、自然のままにしてありますね。
柵なんかもほんの目印ぐらい。
日本みたいにやたらと目立つ網張ったり大きな杭を立てたりしない。
できるだけ自然のままに、そりゃそうですよね、自然を楽しみに来てるんですから。
この杭を越えるのも、杭のそばを滑って谷に落ちるのも自己責任なんですね。
観光地にやたらでかでかと禁止看板立てたり、提灯ぶら下げたり、音の悪いスピーカーから大音量の歌謡曲、イヤですねえ。
写真はすべてMichael Schifteさんです。
世の中にいわゆる”ニセモノ”は数々ありますよね。
グッチやシャネルなどのブランド詐称、ジルコンやガラス球をダイヤと言ってみたり、混ぜ物の入った合金を純金と偽ったり、洋服と帽子だけ着てパイロットとか警察官とか言って見たり、化粧をして女と偽って売春してみたり(最後まで騙しおおせた例もあるとか)
まあともかく世の中には色々と偽物はあるようですが、先日見た映画もその偽物を30年間も作り続けた人のドキュメンタリー。
この人が、マーク・ランディス。
軽い統合失調症を患う人のいいユニークな人物。
イコンからピカソ、マグリッド果てはディズニーまで、ものすごく幅の広い贋作を作り続け、全米20州、46の美術館に自らが描いた模写を本物として寄贈し、展示させた男を追ったドキュメンタリー映画。
この人、最後にはその46の美術館のキューレターを騙した自らの贋作を集めた個展まで開いてしまうのです。
幼い時から確かなデッサン力を持ちながら、オリジナルに見向きもせず、ひたすら模写に専念するその姿は、なんだか気持ちいい。
彼は美術館へ寄贈するだけで、しかも寄贈にあたっては架空の人物に扮して、模写から寄贈までの一連の行為を作品のように作り上げていくのです。
その行為がバレたあとは警察やFBIまでもが動くのですが、彼は金銭を一切奪取していないので、罪には問われませんでした。
何のためにそんな事をし続けたのか?
その理由は分かりませんが、その気持ちよさはわかります。
周囲からは「これだけの技術があるのだから、是非オリジナルを、、」と言われるのですが、彼はオリジナルには興味が無い。
「世の中にオリジナルなんて無い、みんなどこかにネタ元がある」とうそぶくのです。
私はこの映画を見て、この偽物を作り続ける人を”ホンモノ”だと感じてしまいました。
面白いドキュメンタリーです。