
ハゼ釣り始まる
隅田川の本流でハゼ釣りをする人の姿が見え始めました。
ちなみに、餌ですが日によってキジだったりイソメだったりします。
ゴカイはいまいち食いが悪いようです。
いつでも食うのは冷凍のエビ餌ですね。
ゆうべタモリ倶楽部を見ました。
「毎度おなじみ流浪の番組、タモリ倶楽部です」という決まり文句で始まるこの番組、
司会のタモリの博学と多趣味に頼った番組作りで、毎回ニッチな話題を取り上げてゆくんですが、
昨日は「篆刻(てんこく)」と、「朱肉」について。
冒頭の挨拶でタモリが「今日はおがわちょうに来ています、、、」と。
東京の坂に関する著書や地質に関する著書のある博学才穎(さいえい)のタモリもここは間違えていました。
ナレーションでは「おがわまち」と言っていたので、この時の取材スタッフも誰一人「小川町」は「おがわまち」と読む事を知らなかったとみえます。
東京ではだいぶ消えてしまいましたがまだ結構、江戸時代の町名が残っていて、その町名には暗黙の決まりがあったんですね。
「町」を「ちょう」と読むところは町人地、茅場町や人形町ですね。
「まち」と読むところは武家地となっていました。
例外もあって「番町」などは武家地でありながら「ちょう」と読む。
これ、前にも書いたことあるんですが、ですから「ちょう」と「まち」の読み違いはその町の成り立ちを変えてしまう事になります。
ついでですから「もんなか」も。
この頃ほとんどのひとが「門前仲町」を縮めてそう呼びますが、これも私達が子供の頃には「なかちょう」と呼んでいました。
ずっと響きが粋でしょ。
永代をわたって、さがちょう、なかちょう、きば、とつながっていたんです。
更に更に、ついでに言えば、この頃では寅さんの生まれ育った葛飾柴又あたりを「下町」と言いますが、
これは「東京の下町」であって「江戸の下町」ではない。
江戸の下町は朱引きの中を言います(朱引きはググってみてください)。
ですから江戸の下町は朱引内の町人地を指します。
寅さんの生まれたあたりは「在(ざい)」になるんですね。
朱引きの中にもまた青い線で囲まれた江戸町奉行の差配地域とその外、関八州取り締まりの差配地域とがあったんですねえ。
ですから「本郷もかねやすまでは江戸のうち」だとか「草加、越谷千住の先よ」などと言ったりします。
ちなみにわたしが、「小川町」を「おがわちょう」と他人が言うのを聞いて「あれまあ」と思った最初は中学生の時、都電の車掌さんが「次は〜、おがわちょう〜」と言ったのを聞いたのが最初です。
14歳の頃としてざっと55年前の事になります。
タモリが間違えるのも無理は無いかもしれません。