2013 年 2 月

陸の孤島

2013 年 2 月 24 日

今日は石原慎太郎前知事が強引に始めた東京マラソンの日です。
もうすっかり定着していて、超大勢参加型お祭として、盛りあがっています。

ただこの日我が家は陸の孤島と化します。
清洲橋通りも市場通り(現新大橋通)も銀座通りも横断できなくなるので、何処にも出かけられなくなります。

日比谷線や都営浅草線で明治座へ行こうと人形町に来た人は明治座まで通りをはさんで目の前まで到達して、明治座へは行かれないということになります。
橘町(現東日本橋)に唯一架かる歩道橋を渡って清洲橋通りを渡ります。
でも、歩道橋は今撤去作業が進んでいますから、いずれこれもなくなるでしょう。
その時明治座はどうするんでしょう?

その代わり、道路に車は居ません。
まるで昔に戻ったみたいです。
信じられないでしょうが、ぼくら小学生の時は市場通りで野球やっていたんですから。

また昔の話しで、恐縮です。

吉良邸

2013 年 2 月 22 日
本所吉良邸跡

4S

両国の図書館へ行きました。

何か目当てがあっていったわけではなく、ただ行って、書架ををぼうーっと眺めて、何を借りたわけでもなく、そのまま戻ってきました。

帰り道、いつもとは道を変えて、回向院の裏の道を歩いていたら、吉良邸の跡地にある公園に行き当たりました。

この井戸で吉良上野介の首を洗ったんですね。

日本ではついこの間まで、首刈りの風習があったんですから、怖ろしいことです。
首刈りは谷崎や泉鏡花なんかも小説の中で書いていますものね。
三島由紀夫もその風習にならって死にましたしね。

「みしるしを頂戴する」と言うから、なんとなくきれい事に聞こえますが、平たく言えば、首を刈って持って帰ると言うことですからね。

戦時中、軍刀の試し切りで、捕虜の首を刈っている写真がたくさん残っていますから、1945年まで日本は首刈りをしていたことになります。
怖ろしいことです。

学校の社会や歴史の授業で、日本には首刈りの風習があった、って教わったことないですよね。

やはり隠したいんでしょうかね。

神田 藪

2013 年 2 月 20 日

昨日の夜焼けたらしいですね。

残念です。

好きな蕎麦屋のひとつでした。

絵の中に画を隠す

2013 年 2 月 12 日

和菓子風が冷たかったきのう、山種美術館で「狩野派琳派から日本画」を見てきました。
何度も見ているものばかりでしたが、良かったです。

わたしは、等伯、若冲、松園が好きなんですが、今回は松園が見られました。抱一の白梅が清潔で美しかった。
下村観山の老松と白藤の屏風の左下にアブが翔んでいるんですが 、その虻が本当に翔んでいましたよ。

スコープで覗きましたから、翅の羽ばたきのぶれているところまで、細かく見てきました。
描き込むもんですねえ。
観山あなどれません。
でも松と藤の省略した描き方からすると、画面の隅に置いた一匹の虻に、何故あんなにこだわったのか謎です。
思うに、虻が描きたかったんじゃないだろうか。
松と藤は背景なんじゃないだろうか。
そうして背景の方をタイトルにして、真に描きたいものを絵の中に隠したんじゃないだろうかと、勝手な想像をしました。

追加:「蜂じゃないか」と、ご指摘を受けました。
蜂と言われると、すぐアシナガバチを思い浮かべるので、それにしては体もずんぐりだし、翅も幅広だし、だから虻だろうと思っていたんですが、「藤の花の蜜を吸いに来た蜂、、」と言われて、「あっ!」

ずんぐりむっくりの蜂、居ましたね。
蜜蜂、そうだあれは蜜蜂だ、ということで、文中「虻」を「蜂」に変えてお読み下さい。

根拠のない自信

2013 年 2 月 11 日
東京スカイツリータワー

4S

「ほぼ日刊イトイ新聞」に時々この言葉が載ります。
若い人たちがよく使う言葉なんだそうです。
わたしは若い人との接触がこの頃はあまりないので、知りませんでした。
糸井重里さんはこれを柔らかに否定します。
自信があるのか、ないのか、それだけで良いと言います

でも、この「根拠のない自信」がわたしにはあるんです。
たぶん、それはわたしだけではないとも思っています 。
糸井さんは若い頃から成功されて、転進もうまくいって、日当たりの良い道をずっと歩いてこられたから、 こういういい方ができるんじゃないかなあ、と私なんかは思ってしまいます。

わたしは自分のことを写真家とか、カメラマンとか人には紹介し、自分でもそう思っていますが、ただ一冊の著作もありません。
音楽学校を出てピアニストとかヴァイオリニストとか言っても、一枚のアルバムも一度のコンサートも行わないでいる音楽家は大勢いるでしょう。
美大を出て絵描きや彫刻家をしていても、一点も美術館に作品のコレクションされない芸術家も山ほどいるでしょう。
役者を目指していながら、それと分かる形で映画やテレビに一度も出たことのない俳優はそれこそ山ほどいます。

わたしを含めて、彼等はそれでも写真家や音楽家や画家や彫刻家や俳優であり続けています。
収入も安定せず、生活の向上も図られる見通しなど立たないのに、彼等は自分の選んだ職業を続けています。

それを支えているのはなんなんでしょう。
もちろんそれが好きだというのはあります。
でもね、好きなだけなら、趣味で良いのです。
しっかりはたらいて、収入を安定させれば、余暇にバイオリンも弾けるし写生もできるんです。
それなのに、彼等は職業として自らの選んだ道で生きていこうとします。

たぶんそれを支えているのが、「根拠のない自信」なんじゃないかと思います。
逆に言えばこの「根拠のない自信」を持てるか持てないかで、プロフェッショナルとアマチュアと別れるんじゃないかと思います。

がんばれ! 無名の表現者達よ1

切株更新

2013 年 2 月 10 日

表題は造語です。
森や林でなら、倒木更新なんでしょうが、ここは公園です。
倒木はありません。その代わり間引きされた木の切株は結構あります。
そこから芽が出て来るんですね。

わたしは何故か、この「倒木更新」という言葉が好きなんです。
語呂も良いし、その意味するところも再生とか復活とか生命力とか時系列な命の歩みの中で、前向きですよね。

森の中で、倒れて苔むしてきた木の骸から緑の新芽が伸びてきて、そこに木洩れ日があたっていたりするのを目にすると、なんかほんとうに良い気分になります。

まだやれる、なんかできそうだ、って気分になるんです。