指導という名の暴力の問題
2013 年 1 月 31 日ありますよね、日本にはあらゆる所で。
私は中学の時それが嫌で、そういう慣習のないクラブを探して、体操部に入りました。
その中学の体操部では、先輩後輩の区別は責任の重さだけで、他には一切の区別がありませんでした。
鉄棒やマットやの準備は先に来た部員がする決まりでした。
そうは言っても、一年生はできるだけ早く行って、支度をするようにしていましたが、それでも遅れることがあると、二年生や三年生が準備していることもありました 。
機具の撤収は全員でする決まりでした。
あの学校で、体操部だけが何故運動部にありがちな縦の上下関係が無かったのか、不思議です。
スポーツ分野での指導という名の暴力に関しては、野球の桑田真澄氏が朝日新聞に寄稿した記事が、実に論理的で説得力のある記事でした。(桑田氏の記事がお読みになりたい方はメールかコメントを下さればpngをお送りします)
指導、指導と言いますけどね、叩いたり蹴ったりして言うことをきかせようとするのは、いかに動機がまっとうであっても、それを指導と呼ぶことはできません。
それは、「調教」と呼ぶべきなんです。
「指導」と言うから、動機がまっとうなら少しぐらいは良いんじゃないか、などと言う人が出てくるのです。
「イジメ」ははっきり「暴力」と呼び、「体罰による指導」は「体罰による調教」と呼びましょう。