2010 年 12 月

一年を終えるにあたって

2010 年 12 月 31 日

とうとう、暮れの31日になってしまいました。
今年は終盤になって「転覧会」という初めての試みをすることができました。
何とか形にしたいと思っていながら二十年以上経ってしまっていた作品が、漸く日の目を見ることができました。
その発表形態から参加いただいた方は僅かでしたが、参加いただいた方々からは概ね望外の言葉を頂きました。
昨日最後の転覧者から作品が戻って参りまして、これにていちおう今回の転覧会、「廃墟もしくは殯(もがり)」を終了致します。

作品をお手元まで届け、一枚一枚手に取って見ていただき、それをまた次の方に宅配で送るという形式では十数人の閲覧者を経たあとはもう少し作品が傷んで戻ってくるものと思っておりましたが、全く私が発送した日のまま、僅かの角落ち、爪折れなどもなくそのまま戻って参りました。

ほとんどの方から、三泊四日よりもう少し長く手元に置いて いいかというリクエストも頂きました。

丁寧に見ていただいた上に真摯で率直な感想も頂きました。

やって良かったと思っております。
僅かとはいえこういう鑑賞者に囲まれていることは、本当に励みになります。
時として「意味のないことをやっているのではないか?」 という不安に襲われますが、見て頂いてこういう反応を示して頂くと、勇気づけられます。

人生を終えるまでに、もうひとつ作りたい作品があります。
それができたときにはまた是非見て頂きたいとも思います。

今年、皆様には勇気づけられ、元気を頂きました。
それに感謝を申し上げると共に、来るべき一年が皆様にとりまして、あたたかく健康な一年でありますことを願っております。

本年は本当にありがとうございました。

2010年12月31日 風間雅昭

暮れの25日

2010 年 12 月 26 日

銀座三州屋クリスマスと言ったって、銀座といったって、こんなわびしいところもあるんです。
並木通り店でなくもとの銀一裏。
お客もぱらぱら。さびしいもんでしたよ。

年の瀬や水の流れと一飲みはあしたまたルルその他カラオケ

とんだ罰当たりですが、いちおう本歌は赤穂義士の一人、大高源五の辞世
年の瀬や水の流れと人の身はあした待たるるその宝船

でした。
くだらない人生にも煩悶はあります。

クリスマスですが

2010 年 12 月 25 日

世間はクリスマスですが、私は別段何をするわけでもありません。
人形町は暮れのお飾り屋さんなんかが今日から露店の準備です。キリスト教のイベントが終わるのを待って、一気に神道へ雪崩を打ちます。
図書館へ朝行くときに見た行列は「鳥近」に出来た大行列。宝くじ売り場のおばさんに訊いたら、卵焼きの予約の行列なんですって。今年急にできたところを見ると、テレビでしょうね。
「鳥近」の卵焼きってのはだし巻きで「弁松」のようにごく甘い味付けなんです。お寿司屋さんで食べる卵焼き、あるいは築地魚河岸のテリー伊藤さんの実家の卵焼きなんぞを想像して買うと、とんでもなく甘いですから、ご用心。
器量もお寿司屋さんのように色白ってわけにはいかず、砂糖がたっぷり入っていますから色黒で下町小町ってわけにはいきませんが、お好きな方には味は大変けっこうです。私は好きで、年にいっぺんかにへんは食べます。 店先でパートのおばさん達が銅の卵焼き専門の鍋で、多いときは三四人がならんで作っています。
人形町にはもう一軒、規模は小さいですけど鳥屋さんがありまして、どちらも店先でさばいています。わたし今「鳥屋」て書きましたけど近頃は「鶏屋」の方がいいんでしょうね。でも、頼めばウズラも入りますが、一箱単位になるそうです。そんなには食べられませんよね。鴨もあります。雀、野鳥の類は今は禁漁ですから通年扱うことはないみたいです。ハナマサが’できた当座は中国からの輸入の雀扱っていましたが、この頃見ません。
私の小さい頃、信州では焼き鳥と言えば、雀でしたから、東京で竹串に刺さった鶏を見たときは「インチキ」と、思ったもんです(笑。
インチキと言えばこの頃「卵焼き」と「だし巻き」がごっちゃになっていますよね。
昔は築地に卵焼きやさんがけっこうあって、山芋をつなぎに真四角の大きな銅の鍋で卵焼きを作っていたもんです。これでできる卵焼きはお寿司屋さんで見る上がどら焼きのように焦げあとのある奴ですね。その頃の築地には「みお虎」っていうかまぼこ屋もあって、そこでよくかまぼこ貰って食べました。お袋のお稽古場が築地にあったもんですから、あの界隈はあすび場でした。本願寺の境内で鬼ごっこをして、明石町の進駐軍の行進練習なんか冷やかして、それから勝鬨(かちどき)橋の開くのを見たりして、けっこう今より忙しく一日を過ごしていました (^_^;)

猫は少し前の池尻大橋で撮ったものです。後ろに雄が居るわけではありませんが、こんな風でして。。

あちこち

2010 年 12 月 22 日

清澄公園雨が上がったのであちこち行ってきました。
先ずは深川のコーナンへCR2という電池を買いに。途中清澄公園で長い枝を持った少年に遭遇。
なにやら企んでいる様子なので訊いてみると、セミの抜け殻を木の高いところからこそげ落とすのだそうです。もっと低いところに幾らでもあるんじゃないの、と言ったら、低いところのは友達がみんな取っちゃったそうで、残っているのは高いところばかりなんだそうです。

CR2はRF-602というラヂオスレーブを手に入れたのでそれ用に。
非常に安いのですが、バンクの中に仕込んだストロボはちゃんと発光。グッドです。

そのあと目黒でやっている新藤組のグループ展に行きそれを拝見。

目黒まで出張ったついでに 恵比寿に廻って「スナップショットの魅力」という都写美の展覧会を覗きました。シニア料金で250円。良心的です。

松本まで

2010 年 12 月 18 日

大月、甲府間きのうの朝、慌てて出たものですからカメラ忘れて(汗。
折れ口があって松本まで行ってきました。
日帰りです。 朝はすごく冷え込んだそうですが、わたしが着いた十一時半頃は東京とさして変わらない感じでした。
写真は大月から甲府に向かう途中、iPhoneです。

シネマ落語

2010 年 12 月 12 日

尾張町交差点ゆうべ、シネマ落語という奴を東劇で見てきました。
演目は四つ。文楽「明烏」、志ん朝「抜け雀」、馬生「親子酒」、圓生「掛取漫才」
タイトルが「落語研究会 昭和の名人」
ここに、志ん朝を加えるのは可哀相ですね。
近頃志ん朝をずいぶん持ち上げますが、もともと志ん朝は名人なんかじゃありませんからね。
この三人の中へ混ぜちゃあ可哀相です。ましてやずいぶん若いときの口座でただ覚えてきたものを遮二無二しゃべっているだけ見たいな、そう、近頃の落語家みたいな噺で、気の毒でしたね。
まあ、あとの三人はそりゃ良かったですよ。なかでも文楽ですね。実に久しぶりに文楽の甘納豆食べてるところを見ましたよ。
ああいうのを見ると、我々は実にもったいなくも有難くも、ああいう至芸を当たり前のように目にし、耳に聞いていたんですから、贅沢でしたでねえ。
近頃の吉本タレントが「芸」を連発するのを聞いていると、「芸」の価値も下がったなあ、と思いますね。

いや、ほんと久しぶりに、いいきもちでしたよ。
当時の寄席でも三人がああいう演し物でこういちどきに見られることはなかったわけですから、ある意味これも贅沢でした。
小益もこれ見て、早く「文楽」返上すりゃいいのに、なんて余計なことも思いましたよ(笑。
あれが、落語だとすると、今やってるのは落語じゃないですね。もちろん小三治、談志をを含めての話ですよ。
死ぬと、ぜんぶ持って行っちゃうからと言ったもんですが、今はこうしてそれが見られるんですから、我々にはありがたい、噺家には大迷惑、な話ですねえ。

あと着物がね、文楽と圓生が黒紋付き、馬生が結城の紋所無し、志ん朝は派手な格子柄の着物でしたよ。
みんな、いい着物を着てました。当時の御贔屓の趣味の良さも分かる映画でしたよ。
あははは、勝手に貰ったもんと決めてますが(笑。

おすすめですが要注意、近頃のものが聞けなくなりますからね。