2010 年 1 月

そう言えば

2010 年 1 月 29 日
植村直己

スキャン画像です

今月の6日に長谷川恒夫さんの話を書きましたが、きのうテレビを見ていましたら
NHKアーカイブスに植村直己さんが出てきたんです。
懐かしくて、じっと見ていたんですが、そこで外国の冒険家(名前覚えられませんでした)にインタビューする植村直己の口から「命が一番大事で、いつも生きて帰ってこようと思うんですが、、」時々うっかりすることがあるというような話をしていました。

相手の外国人は植村直己の話に頷きながら、「でも、命をかけない冒険なんてあり得ない!」と断言していました。
長谷川さんだけじゃないんですね。
登山家や冒険家はみんな死に向かう一歩を躊躇しないんですね。
私に出来るだろうか?
出来ないから、冒険家じゃないんですよね。
彼らは言葉で詩を紡ぐのではなく、行動で詩を表現するんですね。
だから私は彼らに感動します。

ありがとう。

民意など

2010 年 1 月 28 日

民意などおヒラのしったことでなし   頑人坊

さて、話は変わるんですが、思わぬ所から検察批判が。
この検察批判の意見というのは既成の新聞、テレビではほとんど記事としては見かけません。
記者個人の中には変だと思っている人が居るようなのですが、記事としてはそれが上がってこない。
盛んに変だ変だといっているのはネットマスコミばかりですね。
そこに自民党から検察オカシイと声を上げた人が居ます。

河野太郎

河野太郎ブログより

ご存じ河野太郎さん、お父さんも反骨の人でしたが、というより自民党の政治家としては一般人と常識が重なる人でしたが、そのお子さんだけにDNAを受け継いで居るみたいです。
政治家のブログって読んだこと無かったんですが、驚きました。
文章がくだけているんですね。
小沢問題は自民党にとっては攻めどころなのに、検察批判をしています。
まあ、それほどにこのところの検察はひどいと言うことです。
接見した弁護士が被疑者は喋っていないというのに、新聞では自白したと記事になります。
これはもうリークされた内容を書いていると言うより明らかに検察の手先ですよね。
同一人物に会った二人の人の内の一人が「彼はAと言った」と言い、別の一人は「Bと言った」と言っている場合、裏取りをしなければいけませんね。
それをせずに一方の言い分だけを記事にするのは、プロパガンダです。

日本の報道は死に瀕しています。

AVATAR

2010 年 1 月 26 日

AVATAR

見ました。
字幕版の3Dで見ました。
ストーリーは陳腐です。
アメリカ人は戦いが好き、空を飛ぶのが好き、みたいな感じです。
そして相変わらず新天地を求めていく、ニューフロンティア精神に訴える作りで、部分部分のアイデアはスタジオジブリのパクリや、ロボコップからイタダキだったりします。
見ていて、いいのかなあ、と思うほどでした。
では、3Dはどうか?
行く前に色々聞いていましたので、期待過剰で出かけたんですが、飛び出します。
一番立体的だったのは字幕というのがちょっと皮肉ですが。
日本に四館しかないIMAXで見ないとほんとのすごさは分からない、ということですので、まあ、そんなもんなのかなあという感じでした。
驚愕! と言うのにはほど遠い。
じゃあ全然つまらないかと言えば、それはそんなことはありません。
ただ、CGに物凄いお金と時間がかかっていることは分かりますが、どうしても大もとのストーリーが大人の鑑賞に堪える様に出来ていないので、高揚する気持ちがそがれてしまって、なんか凄いんだけど感動しない、みたいな感じで帰ってきました。
戦い好きだけで終わってはいけないと思ったのか、とってつけたように自然破壊はいけませんみたいなわざとらしいメッセージがあります。
時間設定は最後のシーンで映画の中のコンピューターモニターに2154年8月24日と出ていました。
主人公の誕生日だそうですが、それがストーリー上出てこなければならない必然性はありません。

なんかこのところ、小沢問題でもAVATARでも世論に逆らうような文字ばかり連ねているようで気が引けるんですが、仕方ない、これが私の正直な感想です。
ただCGの出来はそれはもう、凄い凄い、ですよ。

東京一の立ち食いそば屋が消失

2010 年 1 月 25 日

立ち食いそば屋閉店私が東京で一番おいしいと思っていた立ち食いそば屋が、閉店してしまいました。
唐突に閉店です。
やめるなんて話は聞いていませんでしたし、店もはやっていたのに、なんでだろう?
オヤジが倒れたとか、良くないことを考えてしまいます。
近所のオヤジサラリーマン、大型トラックの運ちゃん、タクシーの運転手、私みたいなひまじいとかで凄くはやっていたそば屋でした。
朝は七時から夜も七時頃まで、開けていたそば屋。
残念だなあ、私はマキシムやらエバンタイユやら行きませんから星を貰ったレストランが閉店してもちっとも寂しくないんですがB級グルメ店の閉店は、けっこう寂しがります。
前にも書きましたが、私は立ち食いそばには一家言がありまして、私の一家言を満たす立ち食いそば屋は少ないんです。
まず立ち食いそばは、そばやうどんやパスタがあるように立ち食いそばというジャンルがあるとわたしは思っています。
決してそばを立ち食いさせる店なんかじゃなく、立ち食いそばを出す店なんです。
ですから、立ち食いそばを唱いながら生そばなんか出すのは邪道です。
立ち食いそば屋は蒸しそばでなくちゃあいけません。
俗に言う伸びたようなそばです。(汗
それから、めんつゆが甘くなくちゃあいけません。
そう弁松の弁当のように。
大袈裟に一家言と言いましたが、必要且つ十分な条件はそれだけなんですが。
これが中々無いんですよ、第一蒸しそば使ってるところが少ない。
みんなこまっちゃくれた生そばまがいのものを使いたがる。
希に蒸しそばにあたって喜ぶと、今度はおつゆがそば屋の真似をして辛いつゆなんぞ使ってます。
なんでそうなるかなあ、なんて内心怒っちゃいます。
人形町にだって立ち食いそばは何軒もあるんですが、私はわざわざ自転車に乗って、浅草橋まで食べに行ってたんです。
ふぐが食べたくなると飛行機に乗って下関まで行くと言ってたタレントが居ましたが、気分は一緒です。(笑
あははは、ほんと、しかし残念だなあ、想像すると幾らでも話が作れそうなやめ方ですが、
今日の処は想像を交えずにお知らせだけ。
ああ、ほんとうに残念だ。

草食系記者と検察リーク

2010 年 1 月 23 日

このところ、新聞は一斉に民主党の、報道のあり方、検察の捜査情報漏洩の調査に反発しています。
検察OBも口を揃えてリークなどあり得ないと強調しています。
これは検察OBもマスコミもそう言わざるを得ない事情があるからなんですね。
不法行為というのは全て日本国民が等しくしてはならないことになっていますが、
公務員には更に不法行為を見たり聞いたりしたら、それを告発するように法律で義務づけられています。
従ってマスコミサービスであるリークも、厳しく言えば捜査情報を部外者に知らせたと言うことで、守秘義務違反になります。
すると、リークした当人だけでなく、その周囲でそれを知っていた者、まあほとんどの捜査担当者になりますが、
彼らはリークした者、つまりは広報、なりマスコミ担当を告発しなければならなくなります。
ですから、口を揃えて「リークなど考えられない」と言います、心情としては分かりますが。(笑
マスコミも取材源の秘匿はこれを堅持しなければ、報道が死ぬと言って、そう言う検察の片棒を担ぎます。
そうなるのは、日本の取材体制がクラブ取材体制であるからなんですねえ。
検察リークがなければ、菅谷さんのえん罪や、オーム事件の河野さんなども生まれてこないはずです。
この二人に関して、事件発生当時にただの一社も疑問符をつけた社はないのですから。
何故そうなるのかというとクラブ体制で取材していますから、検察は顔を見ればどこの社の誰かみんな知っています。
そこへ捜査方針に沿った情報を流して、勿論都合の悪い情報は秘匿しますが、マスコミを操縦します。
では記者は、リークを元に何故独自の解釈に至れないかと言いますと、
捜査方針に逆らう記事を書くには、その後のクラブ内でリークをもらえないばかりか、
クラブ体制の利点の全てからオミットされることになるからです。
捜査情報ばかりでなく、日常のいちいちについて情報をもらえなくなります。
何せ日常的に会って顔も知られていますし、時には一緒に飲んだりしますからね。
外へ飲み行くのがまずいような時には「社内で一杯」やりますから。
ですから村八分が怖いために、担当記者は捜査方針に沿った検察リークを捜査方針に沿った記事に仕立てるわけで、
従ってどの新聞を見ても、解釈に僅かな違いはあっても事実関係においては、全社すべて同じということになります。
おかしいでしょう、事実関係に異を唱える社は現れないんですから。
これは交通事故なんかでも、警察情報の丸写しをしますから、様々な誤りが起きます。
粘り強い被害者が独自に調査をして、判決をひっくり返すようなことが起きていますが、
またそういうことが起きると、鬼の首を取ったようにマスコミは正義の筆を振り回して警察批判をしますが、
事故直後にはなんの疑問も抱かず日常業務の延長として警察情報をそのまま記事にしていたのにそこはほっかむりです。

リークの仕方には色々ありますが一番多く行われるのが、あうんの呼吸と言う奴で。
「被疑者が本日何時何分にこう言った」と言うような露骨なリークをする者はさすがに居ませんが、質問を誘導するという形で、リークは行われます。
記者に「吐いたんですか?」と質問させて、被疑者が喋っていなければ明確に否定しますが、喋っていれば無言か、目でうなずく。
次に「何時頃です? 午前ですか午後ですか?」と言った具合に徐々に時間を狭めていきます。
つまりどこまでも自分の口から事実関係を詳細に記者に喋ると言うことはないわけです。
これをリークなど無い、という言葉の根拠にしているわけです。
リークという言葉の意味をを限定して、それはないと言うわけです。
言葉本来の意味に立ち返れば明確にリークなんですが、彼は自分の口で喋っていないということで、万一法廷で争うようなことになっても、事実関係では喋っていないという事実をつくっているわけです。
まあ、テクニックは色々ありますが、何せクラブ取材制度は長い歴史がありますから、そのテクニックも洗練されて、当事者達にも「これ、おかしいんじゃね」と思わせないほど文体が整理されています。
ですから検察OBがマスコミ上で「リークなど断じて無い!」と言う時のリークという言葉は極めて限定的な意味で使われているという所に注意をしないと行けません。
これも高等テクニックですが、一般常識より極めて狭く言葉の意味を定義しておいて、その狭い言葉を否定するというのは役人や政治家がよく使う手で、記者が一言「その場合、リークという言葉の意味は?」と質問すれば核心に迫れるのですが、現に昔はそうした記者が居たと言うことも聞きますが、近頃すっかり記者も行儀が良くなって、ここでも草食なんでしょうか?

おしまい。

レクイエム〜我が心の美空ひばり〜

2010 年 1 月 21 日
レクイエム〜我が心の美空ひばり〜

CDジャケット

岡林信康の新CD、昨日、発売日に届きました。
岡林自身がジャケット付属の冊子の中で書いているとおり、相当きつい、と言うのが感想です。
岡林が既に昔のように声が出ないことと、矢張り何より美空ひばりをカバーすると
どうしても美空ひばりと較べてしまいますから。
彼も書いていますが、ひばりの唄は低音から高音まで音域が広いだけでなく、唐突に高音に飛ぶ歌が多いいんですね。
自分では唄がうまいと思っているらしい小林幸子なんかもひばりをカバーする時、ここで大概ずり上げるような歌い方をします。
ひばり自身もそういう歌い方をするものが幾つかありますが、大概はいきなりその音にぶつけます。
これが出来る歌手は少ないですね、クラシックでも探り当て、みたいな歌い方が多いです。
岡林もここは全て逃げています。
ただここを逃げると歌に緊張感が無くなってしまうんですよね。
ですから、いろんな意味で勇気のある一枚だと言うほかないですね。
美空ひばりの亡くなったあと、堰を切ったようにみんなひばりをカバーしましたが、この頃はすっかり誰も歌わなくなりましたね。
それほど圧倒的に歌唱力が違うことに歌ってみて気がついたということでしょうか。
1980年代の美空ひばりを聞くとそれはもう、うまさに涙が出てきますから、本当に希有な歌手ですね。
こう書くと、余程私はひばりファンだと思われるでしょうが、実はひばりファンじゃないんです。
丸ごと美空ひばりはちょっと辛いです。
うまさの部分で美空ひばりが好きなんです。
美空ひばりと芳村伊十郎、日本が生んだ最高の歌手がこの二人じゃないでしょうか。
伊十郎さんは長唄の唄い手、ひばりも勝東治さんの弟子ですから二人は接点があったはずです。
伊十郎さんは私は親しくかわいがって貰いましたから、よく知っていますが、レコードの残っていないのが残念です。
ご存じの方は、あるあるって、突っ込まれるでしょうが、実は残っているレコードはみな踊り用なんです。
ですからゆったり歌っていて、緊張感がとぼしいんです。
生は凄かったですよ。
どこまでも伸びる高音と、唄に艶と色気があって、役者で言うと花柳章太郎でしょうか。
ま、古い話はこのくらいにして。
悲しき口笛とレクイエムに山下洋輔が参加しているんですが、この山下洋輔がいいんです。
特に悲しき口笛の山下洋輔。この編曲でこの山下洋輔のピアノで美空ひばり自身が歌っていたら、、失礼にも思ってしまいました。
岡林信康の勇気に敬意を表したいと思います。
感じはいいです。
買って損した、というアルバムではないことを老婆心ながら付け加えておきます。

レクイエム

CDジャケット