蟻にたかる砂糖 2
2008 年 9 月 22 日昨日のタイトルと短文について、「意味分からん」というご意見。
ちょっとはしょりすぎました?
こういう意見てあまり克明に書くと、口はばったくなるでしょ、それではしょったんですが、意味不明ではどうもねえ。
つまり砂糖に蟻がたかるのは至極当たり前でしょう、というぐらいの意味です。
益々分からん、と言われそうですね。
紙幣という本来大した意味もない紙切れが世界中で信用を持っているのはそのうらに実業が担保されているからでしょう。
田んぼ耕したり、魚獲ったり、茶碗作ったり、家を建てたり、病気治したり、子供に勉強教えたり(汗)、写真撮ったり(汗々)。
ですからそれら生きていくのに有益だったり必要不可欠だったりする仕事をした人が
蟻が砂糖にたかるように’少しでも甘い方、より高く買ってくれる方へ売るのは当たり前でしょ、という話しです。
ところが、実業を担保しないで紙切れだけ右へやったり左へやったりしてその紙切れふやすのはそこでとどまっていれば
子供銀行みたいでなんの問題もないのですが、そうやってふやした紙切れが蟻の作ったものと交換出来ちゃうところに問題があると言いたいのです。
漱石も「商売で儲けた金で芸術家にものを言うな」(ちょっと乱暴な意訳ですけど)みたいなことを言ってますよね。
銀行といい証券会社というと世界中で表通りに店舗構えて、いかにも信用ありそうですけど
彼らから行儀の良さと節度を省けば(最近では相当省かれてますが)金貸しと博打打ち、て言いすぎですか。
実業を担保しないで金だけを転がすやり方は、実業から搾取していることになります。
会社の社長が実際に働いている従業員よりたくさん紙幣を取っているのとはわけが違います。
実業を担保しないからいずれ破綻は当たり前ですよね。
みんな分かっているのです。
不動産の証券化みたいなまやかしのゲームを作って儲けたら破綻しないうちに手を引く。
そんなちょぼいちは許せません。
つぶれたって、買われたって構やしません。
ああ、だんだん熱くなってきた。
もう止めます。
私は彼らに同情はありません。
いいきびだと言って笑っていられないのが困りますけど。