2007 年 2 月

ノエル

2007 年 2 月 28 日
ノエル

太田耕二 撮影

ノエル。この犬の名前です。撮影したのは太田耕二さん。「2007年2月25日午後4時頃代々木公園です」というコメントが付いて送られてきました。26日の「切羽詰まる」に落ちが付いた格好ですが、まあいいでしょう。日記を公開すればこんなこともおきます。この、ノエル、何という種類なのか聞いたんですが忘れました。でもこの目に、意志があるでしょう。桜の花から何かを感じ取ろうとしている。わたしは久しく、こういう目で桜を眺めたことがありません。ただきれいだ、見事だと眺めるばかりで、このノエルのように桜と交感することが、絶えて久しくありませんでした。見れば見るほど、意志を感じますね。個として存在している目ですよね。飼われているとか、愛玩物であるとかという外の条件はともかく、ノエルは意志を持って生きています。完全に確立した個。近頃人間でもこういう意志の力を感じさせる「目」にはあまり出会わないですよ。桜にも意志があって、ノエルはそれを必死に感じ取ろうとしているんでしょうか。「まじめ」ってこういう目をいうんじゃないでしょうか? 自分の写真じゃありませんが、これを皆さんにお見せしたくて、二月最後に掲載しました。

全く脈絡はないんですが、昨日のららぽーと豊洲から真西を撮った写真。太田さん、ここ犬同伴OKですよ。木村屋がやっているRevllo(?)のピザ(ポッカチャ)もおいしい。この豊洲地帯、もの凄い変わりようです。築地市場もここへうつってくると言うし、なんだか東京は凄いことになっているんですね。ちっとも知りませんでした。

豊洲ららぽーと

切羽詰まる

2007 年 2 月 26 日

水辺今年に入って、大小取り混ぜて次々と凶事がおこります。わたしに問題があるもの、そうでないもの、不可抗力。次から次へと起きるんです。一つが解決するとまた次に、というんではなくて、一つが問題になっている間にまた新たな問題が発生するんです。それが次々とやってくる。男の厄年がいくつなんだか知りませんが、こう立て続くと、信心のないわたしでもお払いがしたくなります。今日起きたことで、いよいよ切羽詰まりました。そんな状況でなんなんですが、切羽詰まるのせっぱて、何ですか?色の白いは七難隠す、の七難てなんですか?スタジオにいてパソコン覗いていると、ますます滅入ってきますから、外へ出ました。わたしはこういうとき大概川を見に行きます。「行く川の流れは絶えずして、しかも、、、」って言うほど哲学的にはなれないんですが、それでも水の流れを見ていると、気持ちが穏やかになってきます。ちょうど昼時だったんですが、川を見に来る人はけっこう居ます。見ていると皆さん数年で退職とおぼしき様子。来し方に自信はあっても行く末には一抹の不安が、という風情。
わたしの凶事はみなつまるところわたし個人に帰結する問題で、どうなろうと結局はわたし一人におさまることですから、大所から見れば些細なことなんですが、これがめげているときには意外と、致命的に効いてきます。土曜日の夜、そんなふうに打ちのめされているわたしを、友だちが訪ねてきました。犬の散歩の途中に寄った、という感じで。野菜チップがおみやげ。なにを言うわけでもなく、ただ短いやりとりがあり、わたしは散歩途中の犬に触れて、その温かみと信頼を見せるシッポの振り方に癒されたんです。しみじみ、友だちは有り難いと思いました。この彼とは40年の付き合いです。激しくやり合ったことはありませんが、細かい諍いは幾つかあったでしょう。それでもずっと友人でいます、互いに。それはたぶん互いに力関係になったことがないからでしょうね。助けて貰ったことは幾つかありますが、彼はそれをもって力関係にはしない。わたしが彼を助けた記憶は残念ながらないのですが、それでもまあ、手伝いぐらいはしたことがあります。何もいわないんだけれど、ただ立ち寄って一言二言話しをして去っていく。それだけで、一人じゃないって、実感できるんですね。これがありがたい。折れそうになっているときには、これほどの助力はありません。人が人にできることは限られています。それぞれに生活も仕事もあるのですから、家族でない他人が他人にできることは限られていますが、わたしのようにこの天と地の間に何の係累もなく立っている者にとっては、彼のこの訪問はほんとうにありがたかったのです。黙ってガラス戸の外からわたしを眺めて、わたしと目が合うのを待っていました。それだけで、その訪問が意味するものをこちらに伝えてきます。

元気かとたずねもしない、夕まずめ   貧棒

よしなしこと

2007 年 2 月 25 日

森田節子の蟻と落花生 南京豆をつまみにウィスキーのお湯割りを飲んでいたら、いつのまにか、アヒルの親子ができました。アヒルの前に立ちふさがるのは森田節子さんの作品。落としたりうっかりつぶしたりして、元のリアルな形は影をひそめ、何だかギャグオブジェみたいになってしまいました。せっちゃんごめんなさい。子供のころわたしは信州の松本と言うところにすんでいました。母のお腹の中で疎開をして、そのまま小学三年まで過ごしたんですが、終戦直後でありながら、食べ物に不自由した記憶はありません。あるいは不自由だったんでしょうがみんなが不自由なら、飢えるほどの不自由でなければさほど、不自由とは感じないものらしいのです。それでもいま思えばものがなかったんだなあ、と思うことは幾つかあります。
例えば冬、独楽回しをして遊ぶとき一人がバケツに水を張ったものを持ってきます。あとの6,7人はみなそれぞれ手にナスの塩漬けを持って集まります。そうして、ここと決めた場所で一日中コマ回しをして遊びます。いま考えれば良く一日中コマを回すだけで飽きなかったなあと思うんですが、飽きなかったんですね。で、そのめいめいが持ち寄ったナスの漬け物をヘタのところをかじり取ってから、水を張ったバケツの中へ放り込むんです。まあ、塩抜きですね。コマ回しの遊びの合間に、時々そのバケツに手を突っ込んで、自分の茄子を取り上げ、ちょっとかじる。ただし、皮は傷つけないように中身だけをちょっとかじる。そうしてまたコマ回し。これを延々と続けます。夕方、みんなうちへ帰るころには、茄子は皮だけの袋状になっています。これをふくらましたりへこましたりしながら、家路につきます。夕食のときこの茄子の袋へ熱いご飯を詰めてもらって食べるんです。おいしかったなあ。今時のグルメにはきっと分からない美味しさ。思い出すと気持ちが温かくなるとともに、そのかすかな塩味と茄子の皮の歯ざわりと、熱いご飯の香りが彷彿とします。
食べるものに気持ちがこもっている、こういう味を知らないと、ただ贅沢な材料を使っただけのこれ見よがしの料理が、砂漠で砂を噛むような違和感を口中に広げるだけになってしまうのはわたしだけなんでしょうか。上手いものの基準がテレビや雑誌で言うのと決定的に違うのが、いいのか悪いのか。ああいうものに興味がないんです。友達が作って持ってきてくれるキムチやくん製、友だちの生まれ故郷の海産物、それをただ切るか焼くかだけのことで、至福にいたるわたしは安上がりです。
で、ここで全然関係ないお話し。ありの話しです。矢張り子供のころ。ありを閉じこめて遊びました。閉じこめると言ったって、瓶に詰めて土を入れてまわりを遮光して、何日かたったら遮光を取って、ありの巣を観察する、なんていう立派な遊びじゃないんです。学校の黒板の脇に付いている小さな引き出し。あそこに折れて短くなった白墨が入っていましたよね。あれを貰ってきて蟻が歩いていたらそのまわりを白い輪で囲うんです。なぜか、ただ書いた白線を蟻は越えられないんです。白墨で引いた白い輪の中に蟻は閉じこめられてしまうんです。なぜでしょう?その辺にいるありとある蟻をみんな白墨で閉じこめてしまいます。大きい丸、小さい丸、三角、四角。翌日には蟻は居ないんですが、不思議な抽象画が出来上がっています。だからどうだと言われれば別にどうでもない、よしなしことでした。無駄話にお付き合いいただき恐縮です。

銀一50周年

2007 年 2 月 19 日

市ヶ谷の釣り堀

じつは今日は銀座西洋で銀一の50周年パーティーがあったはず。筈、というのは、私は行ってないからなのです。銀一というのはカメラマンならみんな世話になったり、利用したりする機材、材料、その他諸々屋さんなんです。この手のパーティは苦手で、出欠の返事を渋っていたところ、Hさんから電話を貰い、是非にと誘われて、普段着で良いからとも念をおされ、「伺います」と返事をしてあったのですが、私は今日そこへ行かれませんでした。銀一との付き合いは42年になります。社長も専務もまだ若々しいころからの付き合いです。相当な不義理をしてしまいました。パーティーが始まる6時間程前に、私はこんなところにいました。そうしてぼーっとしていました。朝から釣り堀で釣りをしている人達より、はるかにぼーっとしていました。いろいろあります。この時間から夜中まで、まあ、いろいろやっていたわけで、家に戻ったのが今、20日午前0時すぎ。書くべきこともなにもないのですが、皆さんからメールをいただきましたので。前回事情をかいつまんでお知らせしたんですが、それでも心配してメールをいただきます。ありがとうございます。Diaryは滞っておりますが、風間は元気で暮らしております。多少くたびれてはおりますが、意気も上がらないような状態ですが、しかし身体は元気に動いております。気持ちにゆとりが出てまいりましたら、またぞろくだらない駄弁を書き連ねますから、今しばらく、更新に猶予を下さい。

そして、心配メールを下さった方々に深く感謝致します。

祈り

2007 年 2 月 10 日

酔っている人

彼はなにを祈っているのでしょう?
二月に入って、Diaryの更新が甚だしく滞ってしまい、申し訳ありませんでした。何人かの方からわたしの身体を心配されてメールもいただきましたが、わたしは元気に暮らしております。ただ、長い、永いあいだ、世話になった人が体調を崩されて、そのフォローに走り回っておりますために、Diaryに向かう余裕がなかったのです。しかし、この間に暇人も役に立つという教訓も得ました。わたしが仕事に忙殺されていれば、今わたしがしているようなことはできないわけで、誠に世の中には、無駄なことは一つもない、などと自分をなぐさめております。
さてそこで祈りですが、わたしは長いこと、自分が無神論であると思って生活をしておりました。神は人が人の中に作り出したもの、人の外に万物を支配するものなど存在しない、とまあ、ありきたりの唯物かぶれみたいなことを思っていました。基本的にはその考えは今もそう変わってはいません。でも、この皮相な考えを自分自身の中から突き崩されたことがあります。わたしが30才の時です。母の友人の医者から呼び出しを受けて、小金井の彼の病院へ行ったんですが、その時なんの前置きもなくいきなり、「おふくろ、あと半年だよ」と宣告されました。胃癌末期。「すでにあちこち転移していると思う。腹水も相当溜まっている」「こうなるまで、相当苦しかったはずだよ。普通は仕事なんかしていられないよ。気がつかなかったの?」ショックでした。母の我慢も、自分の不注意も、自分の生活態度も、なにもかも、不注意でした。しかも取り返しのできない不注意。自分の馬鹿さ加減に腹が立ちましたが、もうすべては元に戻せないのです。打ちのめされて病院を出てきたときは夜でした。月のない夜で、小金井の空に星が幾つか輝いていましたが、わたしはその星へ祈ったのです。「奇跡を!」と。切実に、本当に心のそこから星にそう祈りながら帰ってきました。母はそれから半年後に他界しました。わたしは何か特定の神と呼ばれるものに祈ったわけではありませんが、明らかに自分の外の大いなる力に頼ったのです。これはもう、無神論者とは言えないですよね。でもそう言う自分を矛盾を抱えた存在だとは、今でも思っていません。それをどちらかにシフトして、そこに明確な論理を立てようという気がないのです。どちらも正直な自分で、そして今も、世話になった方の一日も早い恢復を、相変わらず、星に祈っています。

みなさん、お身体は本当に大切になさって下さい。

思えども成らぬことのみおおかりき世に鳴る鐘の音ぞさびしき   貧棒

柊(ヒイラギ)

2007 年 2 月 3 日

隅田川節分の柊おとといの隅田川です。1/30の絵日記に書いた八百屋さん、その後ずっとシャッターが下りたままです。じつはあの八百屋さんで毎年決まって買っていたものがもう一つありました。「ほんに今宵は節分か」(三人吉三)ですが、この節分のヒイラギ、ヒイラギと豆柄といわしの頭をそれへさしたものを軒先へぶら下げて厄をはらうあのヒイラギですが、これを毎年八百屋さんで買っていました。でも、今年は買えない。ですから、人形町をあちこち、探してみたんですが、どこにもない。しかたなく高橋へ。森下の赤札堂にありました。豆柄とヒイラギに鬼のお面がセットになって、158円。じつは翌日になったら人形町にも似たようなものが現れ、これが、148円。私は森下で高い方を買って、自転車に戻ったんですが、そこへ若いお母さんが自転車の前に小さい女の子、後にその子のおねえちゃんとおぼしき4、5才の女の子。先に自転車を降りた、おねえちゃんが私の手にある鬼を見つけて、寄ってきました。「あした、おにわそとでしょ」「そう、よく知ってるねえ」短い会話でしたが、何故かいい気持ちになりました。

豆柄と 軒に釘打つ 音の夜さ