2006 年 6 月

HDDが逝った

2006 年 6 月 27 日

ハードディスク外付けハードディスクですからこんな風に(右写真)データストック、音楽ソース、作品などを二重にバックアップしています。ですからコンピューター内部には40GbのシステムHDDとPhotoshopのアクセス用に空の20GbのHDDがあるだけです。Photoshop用というのは、Photoshopにいくらメモリーを割り当てても、Photoshopは必ずHDDを読みに行くので、それように用意してあるわけです。いくらか早くなりますが、それよりもわたしの日常の仕事の中ではPhotoshopが一番HDDを使用しているので、ここがいちばん疲労が激しいわけでして、それだけに壊れる可能性も高い。システムの置いてあるHDDにパーティションを切って割り当てたのでは、そこが逝ったときにシステムもパアになってしまうのを恐れるからです。これだけしていても、壊れるときには壊れる。
今回は症状が出たのに気づかずしばらく作業をしていて、ふと目を上げましたら、上記のラトックの二段あるベイの上の段のアクセスランプが点きっぱなしになっています。バックアップを開始したわけでもないのにアクセスランプが点きっぱなしというのはおかしい? で、上の段と下の段を入れ替えてみましたが、アクセスランプは点いたまま。ここで、ラトックが壊れたことは分かりました。次は被害状況の分析。こんなものがあります、「これDO台」。非常用に持っていたんですが役に立ちました。(今調べましたら、すでに生産中止だそうです)便利です、HDD裸のままで稼働するんです。それで分かったんですが、アクセスランプが点きっぱなしになっていたベイに差してあったシステムバックアップ用のHDDが回っていません。上左の写真で言えばぴかぴかのディスクの上にアームの先のヘッドがペタッとくっついた状態で止まってしまった。どうもそんな感じです。従ってアクセスランプ点きっぱなし。そんな強引なことをされているうちに、ベイの方も壊れてしまったということでしょうか。ラトックに電話したら修理しますと言う。一週間くらいかかるそうです。ギリギリセーフでしたね。先週だったらアウト! 即新品購入しなければいけないところでした。早速アキバの東京支社に持って行きます。大阪の工場で修理して、人形町へ送ってくれるそうです。一安心です。でも、データがコンピューターにないので、この一週間は「これDO台」で凌がなければなりません。ちょっとおそろしい。一週間お休みだな、温泉行こう……って身分じゃないしなあ。こまったこまった。

電池

2006 年 6 月 26 日

まだまだ使える電池

親しくしている秋田美人から「風間さん、電池つかいます?」と訊かれました。われわれの商売、電池はいくらあってもじゃまじゃないですから、「はい」とこたえると23.5センチのパンプスが入っていた靴箱に一杯、アルカリ電池が届きました。雨の中を宅配のお嬢さんがずぶ濡れになって届けてくれました。非力なわたしを見て、重いですよ!は余計でしたが。腰を心配してくれたんでしょう。「残量が少なくて、使い物にならない」かも知れないと言うことでしたので早速テスターをあててみました。結果単3アルカリは1.49V~以上が113本、1.48V~以上が58本、1.40V~以上が38本、それ以下が7本。単4アルカリは1.48V~以上が29本、1.40V~以上が11本、それ以下が15本。何これ、ほとんど使えるじゃん! これを捨てては駄目ですよ。わたしの所へこれを送った秋田美人の判断は正しかったわけです。1.49V以上の単3は2台の550EXに、1.48V以上はマグライトに、それ以下はラヂオに、みんな立派に使えます。今の仕事量だと一生使えるかも知れません。
でも、これ会社だからこんな贅沢な使い方をするんでしょうね。わたしなんか、一本の電池をストロボ~懐中電灯~ラヂオと使い回して、最後のラジオ(最近はこっち?)でザーザー言いだすとしばらく外しておいて、また使う、なんてことをやっています。ほとんど新品をこんな風に扱うなんて、電池に失礼だ、なんて、まあわたしは助かりますけど。どこでどうつかわれようと、無駄にならなければいいわけで、今日はちょっとリッチな気分。本日はこれから開店までをお手伝いした焼き肉屋さんにお昼を食べに行きます。先週の土曜にオープニングパーティーがあってそこで料理は頂いているんですが、まあ開店の賑やかしと、花を贈ったのでどんな花が届いているか確認の為もあって出かけます。じゃまにならないように一時半頃ゆく予定です。もしおいでになればご馳走しますよ、って、場所が分からないか。
話しは戻りますが、この電池、今日頼むと明日来るという通販屋さんのものです。なんだかこんなにあるとつい、にやにやしてしまいますが、我ながら、安い性格だなあと思います。でも、なんだかうれしい。

火事

2006 年 6 月 25 日

焼け跡

火事と喧嘩はなんとか言いますが,喧嘩の方はもうこの頃では「華」とはとても呼べない様です。大勢でよってたかって一人をなぶるのが当たり前になってしまいましたから、そこに華があるわけはない。昔は大勢と一人がぶつかっても大勢の中から誰か一人が出てきて喧嘩をしたものですが、今では総掛かり。これを卑怯というんです。江戸っ子は卑怯といわれることが最も恥ずかしいことでしたから、少なくとも人前では卑怯といわれないように振る舞いました。それが伊達であり、粋でもあったわけです。卑怯といわれないように見栄を張るから粋がるという言葉も出来たわけでしょうが、この頃は卑怯もくそもない、勝ちゃいいんだという風潮、もうけるのが勝ちというホリエモンや村上ファンドもその口ですね。心意気とか気概などというものははなからありません。

じゃあ火事の方はどうかというと、これはもう昔も今も変わらない。火事を出した家は悲惨この上ないんですが、火の届かないあたりの人は何となく華やいでいる。このお宅、両国のさるお宅。二回から火事を出して、幸い二階だけですんだらしい。人が出入りしてますし、火事場のあとといった、ごたごたしい様子もありません。むしろ二階を見なければこぎれいな感じです。大工をいれてすぐに二階を修繕するというような蓄えもない。まあ下だけで暮らせないこともないから、当分はこのまま行こう、ってようすです。
火事といって思い出すのは明治座の火事。昭和32年。わたし小学生です。まだ茅場町に住んでいました。東京へ移ってきて間もないころですから茅場町の六畳一間のアパートに四人で暮らしていたんですから、すめば住めるもんです。直に小網町の二階建ての一軒家に移るんですが、それまでの仮住まい。夜中に外がやかましい。なんだか尋常でない騒がしさで、おふくろが外に出てみると空が赤い、って言うんです。「これは近いから、ちょっと見てくる」ってねまきの上に上っ張りを羽織っただけで出て行っちゃいます。「お婆ちゃんを頼むわよ」って、小学生にそれはないだろうとおもうんですが、「うん」。そのうちにウ~ウ~言って消防車が来る、パトカーが来るで外はもうひっくり返るような騒ぎ。「僕もちょっと見てくる」と外へ出ましたら、もう空は真っ赤。「あまりそばへ行くんじゃないよ」というお婆ちゃんの声を背中に、人がかけてゆく方へ行きます。小網町から明治座まで、子供の足では結構ありますが、あっという間に着いた感じ。当時はまだ隅田川に堤防はありませんから、川の方にも消防船が出ている様子。まあ、紅蓮の炎というのはああいうのを言うんでしょうね。明治座の人や消防が火の周りをうろうろしているんですが、とても手が出せない。遠巻きにそれを見ている人たちがいろんなことを言ってます。「どうも漏電らしいよ」というのもあれば、「付け火だってさ」という人もいる。当時の明治座はまだ新派と新国劇がメイン。花柳、水谷、大矢、伊志井寛に島田、辰巳の全盛時です。その小屋が焼けるってんですから、それはもう大騒ぎ。「あの黒いけぶが薄くなって透明になると、ぱっと火の手が上がるんだ」とそれを期待して嬉しそうに解説する人でなしや「もうじきだね」なんて喜ぶ人非人が大勢いて、わたしはいつしか一番前に出ていました。すると誰かが「こりゃあいけない、天井が落ちるぞ」と言ったんですがまもなくドドドドと言う大音響とともに明治座の大天井が落ちて、すさまじい火の粉が舞い上がると同時に、太い火柱が立ち上がりました。「おおっ」と言うどよめきがわき起こり、見ているわたしは顔が熱くて、思わず脇を向いたら、同じように顔を押さえて脇を向いたおふくろと目があったんです。
うちへ帰ってからおふくろは「頼りにならないねえ、お婆ちゃんを頼むって言ったのに」ですって。まあ個人の家ではないし、「保険があるから大丈夫さ」と言う野次馬の声もあり、なんだかみんな無責任に華やいでいました。不謹慎な話しですが、あのころはまだ「火事と喧嘩は江戸の華」の名残がありました。

図書館

2006 年 6 月 24 日

中央区には図書館が三館あります。月島と京橋と、この日本橋。昔、わたしの中高生のころは図書館は子供が試験勉強する場所でした。でも今は図書館にいるのはほとんど中高年です。あとサラリーマンが交じります。わたしは本を借りに行くことはあまりなくて、大概はCDを借りに行きます。それも自宅でコンピュータからリクエストを入れます。お願いしたものが用意できるとメールが来ますからそれで取りに行く。借りてくるとすぐiTuneに入れて返してしまう。この繰り返しです。これではレコードやさんはたまらない、と思いつつ、つい。ごめんなさい。人に読書傾向があるように図書館にもそろえている資料に傾向があります。京橋には都々逸とか俗曲とかはあまりない。でも中央区にはこういうものや志ん生などは豊富に揃っています。で、何か頼んで上記の三館にあると自分の都合のいい図書館で受け取れます。返すときもどこに返してもいい。とても便利です。わたしはこのほかに、国会図書館と墨田区の図書館の図書カードを持っています。墨田区もほかと同じで図書カードをもらうには墨田区在住か在勤に限ります。中央区で在住在勤のわたしにどうして墨田区の図書館カードがもらえたかというと、インチキじゃありませんよ、正規に頂いたんです。つまり墨田区には特別ルールがあって、在住在勤のほかに墨田区に隣接する区の在住在勤者にもカードを発行してくれます。太っ腹です。仕事をふやすことと変更することにつながるあらゆることをいやがる行政の性質からして考えられないサービスぶりです。この墨田区の図書館の収集傾向が中央区とは違うので有り難いのです。昔、石黒ケイという歌手がいました。「アドリブ」というLPを出したんですが、この無名の歌手をプロデュースしたのが五木寛之、バックにはアートペッパーやトゥーツシールマンなどが参加しています。すでに廃盤。中古店、ネット上では決して手に入らない。そんな幻も墨田区では借りられます。

日本橋図書館の一隅にワールドカップに関する資料が集められていました。どこが優勝するかという掲示に一番●が集まっていたのはブラジルと日本。現実と願望がない交ぜになっています。

日本の2006年ワールドカップは終わりましたが、本当はもう少し楽しみたかったですね。残念です。ジーコには感謝!選手には「お疲れ様」と。進歩は一日では達成できませんから。少しずつ高めていってもらいたいものです。そして素人はその過程を楽しみたいものです。

インターネットにつながらない

2006 年 6 月 20 日

猫朝はつながっていたんです。メールなんかもやりとりして、何ともなかったんですが突然つながらなくなりました。11時頃からでしょうか。ま、時々あることなのであわてず騒がず。まず設定を見ます。書き換わっている様子はありません。念のためにその設定を捨てて、設定のやり直し。つながりません。モデムの電源切ったり入れたり、ルーターの電源も同じ。それから再度設定のやり直し。つながりません。普段はだいたいこの辺でつながるんですが、今日はさっぱり。ルーターからMacへ行っているイーサーを外してモデムに直接差してみます。モデム直、つながりません。このあたりから少し焦りだして、今日中に送らなければならない原稿のことを考えて、日曜日の宮本の心境。ISPを疑いました。iBookを出してきて、ダイヤルアップ接続。ン、繋がらない! これはプロバイダーか? でもいまいち自信がない。プロバイダーがそんなに簡単に落ちるか? おかしい、落ち着けと自分に言い聞かして、再度設定や何本ものコードの接触、入れ替えなど考えうる限りのことを実行してみますが、駄目。あきらめました。自転車でアキバへ。まづ秋葉館。わたしはNTTから借りているモデムを疑っているので「ルーターありません? モデムも一緒になっている奴…」秋葉館の店員「Mac用?」当たり前じゃん、ここは秋葉館でしょ? というような顔をすると「今は扱ってないですね」と冷たい返事。今はエアマックがすべてのマックについているんで、私が探しているようなものは誰も買いに来ないらしい。なんてこった! 時代のスピードについて行けない。仕方なくヨドバシへ。いろいろあるけど、モデム付きはない。それにここも無線ラン全盛。無線は危ないのになあ、なんて思いつつ、結局CDメディアだけ買って帰宅。気を入れ直して今のままのシステムでなんとか復旧をと、頑張るつもりでパソコンに電源投入。サファリを立ち上げてGoogleへ。あれ、すんなり接続。なんだ、なにが原因だ? 帰り道で立ち食いそば食べたのがよかったのかなあ? 何はともあれ、復旧。理由は分かりません。その間も猫たちは昼寝。しかし気分が悪いですねえ。原因はなに? NTT? ASAHIネット? パソコン? モデム? ルーター? わたし? そんな馬鹿な。