2006 年 4 月

スミレと義太夫と清元と長唄

2006 年 4 月 28 日

すみれ前回のDiaryを読んだブックデザインを専門にするNさんから、いつも行くアルコール洗浄専門院で「義太夫と清元長唄の違いは分かるけど清元と長唄の違いが分からない、教えてくれない?」って言われたんですが、これが言葉で説明しようとすると非常にむつかしい。小泉文夫でも読んで勉強してもらっても、歴史や来歴は分かるでしょうが耳で聞いてこれは長唄、これは清元と聞き分けられるかと言えば、それはちょっと無理でしょう。今この日本国に生きて音楽を聴かれる思春期以上の人が一億近くいるとして、さあどうでしょう、清元が流れてきてこれを清元だと言える人は0.1%居ないでしょう。それくらい特殊な音楽になってしまって、むしろラビシャンカールの方が知られているんじゃないでしょうか。

つまりもはや絶滅危惧種の音楽ですが落語や文楽や純邦楽が現代に合わないと言うことと、これらのジャンルから名人天才が現れていないということが大きいと思います。ましてやテレビやラジオから流れてくるのは洋楽ばかりです。もう純邦楽の節回しなんかできる人はいません。かくいう私も一人で歌えと言われたら節が回りません。ツレて(連れというのはたて唄に合わせて歌うこと)歌えばほとんどの唄は歌えますが一人ではもう歌えません。
どうしても自分の耳で聞き分けたいというなら歌舞伎を見るかNHKの邦楽の時間を聞くかでしょうね。私は時々見ます。義太夫は唄というより語りに近いですから、それに見台(けんだいと読みます譜面台のこと)がちがいますからすぐわかると思いますが、清元と長唄は歌詞もほとんど一緒ですしメロディーもほぼ一緒、所々違う節が出てきますがこれは慣れないと分かりません。高いところから落ちてくるような歌い方をするのが清元の特長。長唄は江戸唄ですから、どこか軽みがあります。どちらも能の謡いから来ていますから謡にも似ている歌詞があります。能がかりなんて言葉もあるくらいで、軽みを控えて声を太く芝居ががかって歌います。勧進帳なんかは問答入りという唄があって完全に歌舞伎と同じに運ぶ唄もあります。安宅の関を越えるときの弁慶と富樫のあの有名なやりとりを演奏会でたて唄と脇とで、芝居の通りにやるんです。これを聞いて皆さん自分のひいきの役者を思い浮かべて聴くわけです。ですから、踊りと芝居と唄とが渾然としていますからそのどれをも見ないと、じつは味わうところまでは行かない。今から聴いてみようとすると、結構な時間がかかります。ですから廃れたとも言えますね。動物の食物連鎖に似て、どこかが落ちていくとつられてみんな駄目になっていく、って事なんでしょうね。このほかにあまり聴かれませんが一中節とかいうものもあります。後は座敷唄に小唄、端唄、新内、俗曲、都々逸なんてのもあります。こちらは座敷唄ですからそれだけで成立していますし、おてがるなんで今でもやる人たちが居ますが、それでもごく少数でしょう。私が子供自分に普通のおじさんとしてかわいがってもらった演奏家に芳村伊十郎、松島庄三郎(庄の字にてんがつきます)、今藤長十郎、杵屋五三助、オーラが強くて膝に乗ることは出来なかった山田先生(抄太郎)と、それぞれのお名前で検索をかけていただけばきらほしのごとくの名人上手ばかりです。いま生きているのは杵屋五三助さんが五三郎となっていまでも名人。伊十郎のあとを芸と華やかさで継ぐと思われていた今藤長之(ちょうし)が若くして病気に倒れ、やがて復活間もなく他界。いま長唄会をリードしているのは東音(東京芸大卒業生の総称)のボスで教授のXさん。まあ、困ったもんです。落語会もそうですしジャズ界も、みんな一時期わあーっと巨星が出て、その人たちの退場とともにジャンルそのものが廃れてしまう、っていうのと一緒ですね。

ですから、Nさん、時間とお金を使って道楽をして下さい。ほかに清元と長唄とを聞き分けられる近道は無いみたいです。お役に立てなくてごめんなさい。

アルコール消毒院近くの切り通しの石垣の上に自生していたスミレをとってきて引き抜かれてしまった山椒の鉢に植えてみました。つくかしらん。

つまりもはや絶滅危惧種の音楽ですが落語や文楽や純邦楽が現代に合わないと言うことと、これらのジャンルから名人天才が現れていないということが大きいと思います。ましてやテレビやラジオから流れてくるのは洋楽ばかりです。もう純邦楽の節回しなんかできる人はいません。かくいう私も一人で歌えと言われたら節が回りません。ツレて(連れというのはたて唄に合わせて歌うこと)歌えばほとんどの唄は歌えますが一人ではもう歌えません。
どうしても自分の耳で聞き分けたいというなら歌舞伎を見るかNHKの邦楽の時間を聞くかでしょうね。私は時々見ます。義太夫は唄というより語りに近いですから、それに見台(けんだいと読みます譜面台のこと)がちがいますからすぐわかると思いますが、清元と長唄は歌詞もほとんど一緒ですしメロディーもほぼ一緒、所々違う節が出てきますがこれは慣れないと分かりません。高いところから落ちてくるような歌い方をするのが清元の特長。長唄は江戸唄ですから、どこか軽みがあります。どちらも能の謡いから来ていますから謡にも似ている歌詞があります。能がかりなんて言葉もあるくらいで、軽みを控えて声を太く芝居ががかって歌います。勧進帳なんかは問答入りという唄があって完全に歌舞伎と同じに運ぶ唄もあります。安宅の関を越えるときの弁慶と富樫のあの有名なやりとりを演奏会でたて唄と脇とで、芝居の通りにやるんです。これを聞いて皆さん自分のひいきの役者を思い浮かべて聴くわけです。ですから、踊りと芝居と唄とが渾然としていますからそのどれをも見ないと、じつは味わうところまでは行かない。今から聴いてみようとすると、結構な時間がかかります。ですから廃れたとも言えますね。動物の食物連鎖に似て、どこかが落ちていくとつられてみんな駄目になっていく、って事なんでしょうね。このほかにあまり聴かれませんが一中節とかいうものもあります。後は座敷唄に小唄、端唄、新内、俗曲、都々逸なんてのもあります。こちらは座敷唄ですからそれだけで成立していますし、おてがるなんで今でもやる人たちが居ますが、それでもごく少数でしょう。私が子供自分に普通のおじさんとしてかわいがってもらった演奏家に芳村伊十郎、松島庄三郎(庄の字にてんがつきます)、今藤長十郎、杵屋五三助、オーラが強くて膝に乗ることは出来なかった山田先生(抄太郎)と、それぞれのお名前で検索をかけていただけばきらほしのごとくの名人上手ばかりです。いま生きているのは杵屋五三助さんが五三郎となっていまでも名人。伊十郎のあとを芸と華やかさで継ぐと思われていた今藤長之(ちょうし)が若くして病気に倒れ、やがて復活間もなく他界。いま長唄会をリードしているのは東音(東京芸大卒業生の総称)のボスで教授のXさん。まあ、困ったもんです。落語会もそうですしジャズ界も、みんな一時期わあーっと巨星が出て、その人たちの退場とともにジャンルそのものが廃れてしまう、っていうのと一緒ですね。

ですから、Nさん、時間とお金を使って道楽をして下さい。ほかに清元と長唄とを聞き分けられる近道は無いみたいです。お役に立てなくてごめんなさい。

アルコール消毒院近くの切り通しの石垣の上に自生していたスミレをとってきて引き抜かれてしまった山椒の鉢に植えてみました。つくかしらん。

ゆうべ(4/30)、熊谷陣屋を見ていたら歌右衛門が出てきて、そうしたら常磐津が抜けているのを思い出しました。

本当にこれが最後の桜情報

2006 年 4 月 24 日

葉桜

何故か今日はスタジオに美空ひばりが流れています。iPodのプレイリストにHibari Balladeというのを作ってありまして、何故か今日は朝から歌謡曲。こんな気分の日もあります。元来、私は音楽は邦楽、それも純邦楽派なんです。何故って私の母は長唄の三味線弾き。ものごころつく前から三味線と長唄が子守歌代わり。母が東京へ戻ってきた私の小学三年まで、私はピアノの音を聞いたことがありませんでした。ですから普通の人と逆の音楽体験をしています。門籍が一番の邦楽界にあってそれのない母は苦労したようですが、腕一本で演奏家にまでのぼりつめたのですから、まあ頑張ったんでしょうね。先日何十年ぶりかの同窓会で小学校へ行ったとき、邦楽室というのがあってそこに三味線が何丁も置いてあるのを見たときにはちょっと逆毛を立てられるような違和感をおおぼえました。
何故って、中学の二年の時にこんな経験をしたんです。学芸会にその担当だった社会科の教師から呼び出され、職員室で大声で、「おまえのかあちゃん、ぺんぺんやってんだろう。おまえもなんかやれや」って云われたんです。これは相当こたえましたね。差別というものを肌で感じたと言うと、被差別部落に生まれた人から抗議が来るでしょうが、事の大小深浅はともかく、まともに差別的言辞を向けられると人はこうなるという体験をしました。怒りより先に恥ずかしさがこみ上げてくるんです。

これは意外でしたね。そしてその後からじわじわと怒りがこみ上げてくるんです。私はその日以降その教師と口をきくことはありませんでした。ささやかな抵抗ですね。で、何が言いたいかって云いますと私が落語を聞いたり、長唄を聴いたり、歌舞伎を見るのは教養じゃないんですね。皆さんが洋楽を楽しむように私は邦楽を楽しんでいる。同年代がビートルズに衝撃を受けたと云っているときに、私はただやかましいと思っただけです。今でもその何曲かをのぞいてさほどビートルズに感心しないんです。むしろパコデルシアやユパンキ、サッチモやピアフに感動します。つまり新しいものにはそれほど驚かないで、めんめんと続いているものやその生きて行く枷の中から必然的に出てきた音楽に心を揺さぶられます。では、何故今日美空ひばりかと言いますとマニエリスムなんです。美空ひばりという歌手が好きかと言われると、たぶん私は嫌い。なのになぜひばりをきくかといえばうまさなのです。彼女のわざとらしさや、計算されたかわいらしい仕種などは鼻についてならないのですが、邦楽混じりの歌を歌うときの節回しは他の誰も真似が出来ないうまさです。これにしびれるんです。彼女は長唄も歌いますがこれは最悪。師匠は杵屋勝東治、勝新や若山富三郎の父親で手が良く回ることで評判だった人ですから師匠は悪くない。悪いのはひばりの歌い方です。歌謡曲を歌うときはもてはやされる裏に逃げる歌い方、つまりファルセットですが、これが邦楽では駄目、軽くなっちゃうんです。あくまでも地声で歌う、苦しいのを我慢して声を絞る、小田和正ですね。そうすることで歌に緊張感が生まれる。悲しいかなひばりはそれが分かっていても癖で裏へ逃げてしまう。素人がなにを小癪なと言われそうですが、まあそんな理由で時々ひばりを聞きます。圧倒的な技術、絶対にかなわないという技術に打ちのめされたいときがあるんです、私には。高村光太郎の12歳の時のねずみのレリーフ、ダリの静物画、ダヴィンチ、そういう圧倒的なテクニックに浸りたくなるときがあるんです。大概は自分がスランプの時、完全無欠の技術を見ることでエネルギーをもらおうとする。写真家では土門拳。う~~ん、とうちのめされることによって立ち上がる元気をもらう。ちょっとMでしょうか? 大工さんの技術やしゃかんの技術、小さいとき飽かず眺めていたんですから、この癖はその頃からのもの。前にも書いたことがあるんですが、私が土門拳の古寺巡礼を見ているときに後ろを通りかかった母が「だれ?」「土門拳!」へえとかふーんとか言って通り過ぎながら「あんたにそういう写真は撮れないよ」なるほどね、親はよく見ているもんです。親に引導を渡されたことがもう一つ。中学でくだんの事件の後、それなら俺は長唄をやってやろうと思ったんです。子供の時はやっていました。NHKにも出ています。多少の自信はあったんです。おふくろに頭を下げて教えて欲しいと言ったんですが、いきなりそこにあった三味線を指して「調子を合わせてご覧なさい」私が調子を本調子にすると「へー、調子は合うんだ」つまりこれは耳のテストですね、今考えれば。次に母が手を打ちます。四拍子ぐらい。「間に入れてごらん」母の手拍子の間々に私が拍手を入れます。次第に早くなって八拍子。十六拍子ぐらいのところで私は母と一緒に手をたたいていました。「やめたほうがいいよ」でおしまい。本職になるには十六拍子の間に入れられるぐらいでないと大成しないそうです。これ、素人のお弟子さんにはしません。後年テレビでウィントンマルサリスが同じようなことを言ってました。「音楽はメロディーだけでは音楽にならないが、リズムだけでも音楽になる」って。まあ、それで私は写真をやっているわけですが、これは決して写真が長唄の下位にあると言うことではなくて、人には向き不向きがあると言うこと。う~ん、でも写真も本当は向いてないのかもしれません。でも、今更転向もね…。

定点観測の桜、とうとう葉桜です。

山椒の苗木

2006 年 4 月 23 日

山椒の苗

過日、近所に住む猫たちによって引き抜かれてしまった山椒の木は知人のKさんのお母様が挿し木から育てて1メートルほどにもなっていた木でした。茨城から人形町へ移植したせいなのか、中々元気よくとは行かないうちに猫たちに引き抜かれてしまいました。そのお母様も認知症がすすんで、もう一度お願いすることは不可能。仕方なく浜町へ週に三四回来る花屋から購入。一鉢250円。出来るだけ幹の太い、一本立ちのやつを選んできたんですが、さあどうなりますか。家並みの立て込んでいる下町の更に路地の奥、めくら地で人の土地を踏まなければ自分のうちへ入れないような、日当たりの悪い場所で、頂く植物はすべて憤死いたします。唯一育ったのはサボテン。テニスボールぐらいの丸かったものが、ずんずん伸びて20センチぐらいに。しかも最後には花まで付けたんです、周囲にずらっと。でもそのサボテンも自殺しました。知人の陶芸家が作った須恵器、確か二万円ほどでしたがそれに入れて階段上の窓の桟に置いていたんですが、そのサボテン段々イナバウアーみたいに反ってきてついに私の留守中にバランスを崩して投身自殺。須恵器もろとも木っ端みじん。須恵器の方はその後エポキシ粘土で補修。元々形が須恵器風でしたから、かえって出土したみたいになって中々の味になりました。友達のAWZさんの所も絵描きのFさんの所も、陽当たりがいいのにみんな山椒だけは育たない。何かこつがあるんでしょうか?

桜の葉の塩漬け

2006 年 4 月 21 日
中之島公園、人形町から浜町公園へ向かう途中の、かつては川であった所に出来た公園。私の桜定点観測地でもありますが、そこに大島桜が一本だけあります。桜の塩漬けを作ろうと思って採集に行ってきました。何故桜の葉の塩漬けは大島桜なのか知りませんがたぶん葉が柔らかいのとうぶ毛が少ないからだろうと思われます。これを摘んでいるときかなり年配のご婦人が男のお孫さんを連れて通りかかられました。「おじちゃん、なに、してるの~」とそのお孫さんに尋ねられましたので「はっぱをとっているんですよ~」とこたえましたところ「はっぱをとって、どうするの~」とまた質問。「たべるんですよ~」とこたえましたところ、今度はそのご婦人が「食べられんですか」と江戸弁。懐かしいなあこのイントネーション、と思いながら「塩漬けにして」と言いますと。怪訝な顔。桜の葉の塩漬けはこの桜がいいこと、簡単な作り方までお教えしたら「ちょっと、とって下さい」柔らかそうな所を二枚ほどとって渡すと早速鼻へ持って行って香りをかいでいました。一枚をお孫さんに渡すとその子も真似をして匂いをかいでいます。そのほかにも何人も通りかかったんですが、皆さんチラと視線を向けるだけで通り過ぎて行きます。

商売にするわけではないので150枚ほどで終了。去年は生のままで漬けたので固くて食べられませんでした。香りが良くて飾りとしては大成功でしたが、やっぱり食べられないと、ね。ということで今年は熱湯であおってから漬け込みました。これでも固かったら来年はレシピ通り蒸してからにします。熱湯をかけたとたんに桜の強い香りが台所中に充満しました。うまくいくことを願って下さい。

「出草之歌」

2006 年 4 月 19 日

高金素梅氏

友人のムービーカメラマン、井上修 氏の映画完成試写会へいってきました。

「出草之歌」というこのドキュメントは井上修という独りのドキュメンタリストが三十年かけて取材した音楽ドキュメンタリーです。撮影と編集を一人でやった井上さんとはもう40年のお付き合い。出会いは60年代の学生デモの取材現場で小学校中学の同窓でやはり写真家だったIから紹介されました。その時彼は沖縄を取材した「モトシンカカランヌー」というドキュメントを制作中でした。確か竹中労の制作だったかと思います。その後彼は台湾へ行き、第二次世界大戦の時高砂義勇軍として日本軍に使役された台湾原住民の取材に取りかかりました。彼の視点は一貫して歴史の中で取り残され、少数で、差別と迫害を受け続ける人たちに注がれ続けています。そういう名もなく発言の機会もない人々の側にたって、フィルムで彼らの言葉を代弁して行くドキュメンタリー作家です。危険な場所に身を置くとエネルギーが出てくるタイプの人間で、きわめてドキュメンタリー向きの性格です。

今回の「出草之歌」では文字をもたない台湾蛮族の人たちがあらゆる生活の場面で歌う歌を横軸に、縦軸には日本の皇民化政策によって迫害され続け最後には高砂義勇隊として使役され、死後は勝手に靖国神社に合祀されるという迫害を受け続けている人々を台湾立法員の高金素梅(チワス・アリ)氏の活動を通じて構成されたドキュメンタリーです。タイトルにある「出草(しゅっそう)」とは首刈りの意で、彼らが首刈りの習俗をもっていたことも蛮人と蔑まれる要因になっていました。

高金素梅氏

この問題が複雑で困難なのは彼らが台湾に於いても少数者だということです。彼らが求めていることはきわめて論理的なのですがパワーゲームとなってしまっている現実の政治の中では中々実現は困難です。彼らが要求する自治区が出来る可能性はきわめて低いと言わざるを得ないでしょうが、その無駄と思える要求を言い続けることが自分たちが生きている証なんだという強いメッセージが伝わってくる映画でした。親しさに便乗して厳しい感想を言わせていただくとすれば120分は長いということ。そして見終わったときに作品がプロパガンダになってしまっている弱さを感じました。その原因はやはり取材が片方だけで、リアクションにかけているからだろうと思います。立法府での高金素梅氏の孤立、台湾国内で彼らを差別する人々の言葉と行動などがこの中に織り込まれていると、さらに作品は説得力を持ったのでは、という感じがしました。ただ、私がそういえば井上さんは「NHK的だね!」と一蹴するでしょうが。

僅かですがカンパをしたら、井上さんが特別鑑賞券をくれました。行ってみたいという方はメールを下さい、先着で五人ほどの方に切符をお贈りします。電話は駄目です、必ずメールで。上映期間は6月24日から7月7日まで。下北沢のスズナリ横町「シネマアートン下北沢」で夜8時30分からです。