2005 年 12 月

ありがとうございました

2005 年 12 月 31 日

一昨年末にスタートしましたこのDiaryが今年は一年を通して掲載し続けることができました。ブログなどのアクセス数にくらべれば微々たる数ではありますが、またホームページとしてもわずかな数の来訪者数ではありますが、それでもここを訪ねて下さる皆さんがいなければ、こんなに続けることはできなかったと思います。写真家のホームページとしては写真に関する話題が少なく、世俗観察者としては偏った観察眼しか持ちあわせが無く、文明批評には遠く届かず、ユーモアはかなり怪しげで、何をとってもこれといった特徴のないこのページに、毎日アクセスして頂いたことは、本当に感謝に堪えません。
望めば適うの、言葉を信じて、来年も夢と希望を心に強く望みながら、日々思うこと、感じたことを掲載して参りたいと思います。

新たな年がみなさまにとりまして、健康で愉快で穏やかであることを願いつつ、本年最後のページを閉じます。本当にありがとうございました。

風間雅昭写真事務所

おしつまってきました

2005 年 12 月 28 日


深川の材木屋兼、材竹屋(?)さんです。急ピッチで門松を作っています。それをまた買いに来てどこかへ据え付けに行く人たちがやってきます。ここで作っているのは本格派。きちんと昔通りの門松です。かつては深川はこんな材木屋や銘木屋、指物師、建具屋、大工などが軒を並べて、木の香が町中に漂って、げんのうの音が響いて、暮れらしい感じがしたものなんです。それが元日を迎えるとひっそりと静かになって、今度はその静けさの中を、裾を引いた芸者衆が左手で褄をを取って歩いていったりして。しかも正月だけは「出の衣装」といって、黒紋付きに島田を結い上げて、それほどの美人でなくとも、ずいぶんきれいに見えたもんです。このごろはさっぱりそんな姿にはお目にかかれませんが、それでも絶滅したわけではありません。人形町あたりでも元日には一人か二人、そんな姿を目にします。いずれにしてもそんな姿は絶滅危惧種なんでしょうね。マンションに囲まれてしまったささやかな社にも、町会の人の手でしめ縄が下げられます。そうしてこれは、人形町の通り。こんなお飾り屋さんが10軒ほど並んでいます。
いよいよ、今年も押し詰まってきました。私はほとんど区切りなく新年を迎えますが、皆様は心新たに初春を迎えられることでしょう。どちら様も元気で、新年をお迎えください。

屋久島からポンカンが

2005 年 12 月 24 日

屋久島からポンカンが届きました。毎年いただくんですが、これが実においしいんです。しかも二十年以上前から無農薬栽培。Mさんという医事評論家からいただくんですが、毎年、実だけでなく皮も干して陳皮にして、鍋やお香子に入れて使っています。子供の時分から蜜柑を持ってお風呂にはいるのが好きでした。お風呂に浮かべておいて、上がり湯の時にあたたかくて酸っぱい蜜柑を食べるのがたのしみでした。写真はまだ乾燥途中ですが、からからに乾くとかえって生の時より香りが立ってきます。
なぜ医事評論家が私に屋久島のポンカンを送ってくるかですが、それは彼が屋久島の出身だから、と言うだけでもないんです。ずいぶん前になりますが、私がフジテレビを首になって、仕事が無くって、本当に困っているときに二度ほど仕事を回して頂いたことがあります。Mさんがするインタビューに同行して写真を撮ると言う仕事でした。世の中は不思議なもので、「仕事がない」「仕事が暇だ」と言うと、人は仕事をくれません。「いそがしい、いそがしい」と言っている人に仕事は行きます。ちょっと考えればそれはあたりまえなんですね。暇には暇になる、忙しさには忙しくなる理由があるからですよね。色々能書きを聴くより、暇か忙しいかで判断して大抵は間違わない。だから暇している人にはあまり仕事が出てこない。ですから逆に暇なときにいただいた仕事は、心底有り難いんですね。一生忘れられません。そんなことでカレンダーを作るようになってから、お礼の意味をこめて毎年お送りしているのですが、ある時からそのお礼に、お礼が来るようになったのです。ちょっと恐縮ですが、私は素直にいただいて、皮も身も滋養として食すことになったわけです。この時期にうちへみえた方々にもお裾分けをして、安心な食べ物で、幸せになって頂きます。Mさん、ありがとうございます。

広告写真家の社会的責任とおっぱいカレンダー

2005 年 12 月 21 日

おっぱいカレンダー東京女子医科大学のN教授と呑みました。新生児の専門家でことにSIDS(乳幼児突然死症候群)の日本に於ける指導的リーダーとして海外でも評価の高い医学者です。そんな人となぜ知り合いなのかと思われるでしょうが、たんにのみ友達で、少し前までは彼のコンピューターが不具合になると行って直してあげていたという因縁もあります。でもそれは、あまりに頻度が高いので、銀一のYさんを紹介して(Yさんの父上がお医者さんということもありN先生をよくご存じだったという好都合もあり)今もちょくちょく呼ばれているようです。よく、「医者と教師は呑むと乱れる」とか「すけべ!」だとか言われますが、私の知る医者は皆さん学究肌で呑んでも話題が学問からはなれるということはありません。それはたぶん自分の職業に対して誠実であったり、自分の職業の社会的役割に対して真摯であるからだと思われます。もっとも、下手なしゃれを連発して周りから顰蹙を買うぐらいの悪行はしますが……。
そのN先生が先日ある女医さんをお連れになりました。かりにOさんとしましょうか。このOさんがおっしゃるには「お母さんと赤ちゃん」というとたいてい若いきれいな女性が哺乳瓶を手に、抱いている赤ちゃんに与えている「ほほえましい」写真がつかわれていますね、と。私も、はい、と返事をしたんですが、これがほほえましくないんですよと続けられました。どういうことかといいますと、赤ちゃんは本来母乳によって育てられるべきものだから、という極めてまっとうなご意見。ところが日本医師会のポスターでも哺乳瓶と赤ちゃんときれいなモデルさんという写真を使っているんだから、あきれてしまいます、とおっしゃる。そうしていただいたのが上のカレンダー。ご家族が撮ったり、お産婆さんが撮ったり、医者が撮った写真ですが、どれもほほえましい。赤ちゃんがお母さんのおっぱいを飲んでいる写真ばかり15枚で構成されています。大抵赤ちゃんは授乳の時お母さんの目を見ています。お母さんも赤ちゃんの目を見ています。互いに見つめ合いながらの授乳。これが基本、これが一番。
第34回世界保健総会で採択された国際基準では11項目ほどある基準の中で第1番に「消費者一般に対して、母乳代用品の宣伝・広告をしてはいけない」(註1)という一項があります。そのはかにもそういうもののサンプルを母親にあげてはいけないとか、売り込んでもいけないとか、ありまして、何より写真家にとってきつい縛りになっているのは「赤ちゃんの絵を含めて、製品のラベルには人工哺育を理想化するような言葉あるいは絵を使用してはならない。」(註2)という第6項。つまり粉ミルクや人工の母乳代替品の宣伝に手を貸してはならない、ということです。
でも、そんなことを言ったら、仕事がなくなる、と思いますよね。仕事はその粉ミルクを作っている会社から来ることは稀で、大概は広告代理店や制作プロダクションから来ますから「人工哺育に関する仕事はやらないんですよ」と言えば「ああ、そうですか。じゃあほかの仕事をやってもらいましょう」なんて物わかりのいい所はないでしょうね。そこからもらっていたすべての仕事が来なくなる。それが普通ですね。だから断れない。この構図、最近どこかで聴いたことがありませんか。そう、耐震偽装で世の中を騒がせている姉歯さんの台詞ですね。別に建築の構造屋さんだけじゃないんです。日本中にああいう構図は蔓延していて、日々多かれ少なかれ我々はその構図の中に組み込まれています。でもそこで断らないと、共犯ということになります。じゃあそのインチキマンションを売るときに作られたパンフレットの写真を撮った人、デザインした人、印刷した人、達は無罪なのか? 私は推定有罪だと思っています。そんなことを言ったら欠陥車で人が亡くなったら、その宣伝を手伝った人たちも有罪、今騒いでいる松下の温風器の不具合、これでも人が死んでいます。このブツ撮りをしたカメラマンも有罪。そうやって考えれば、安心して受けられる仕事がなくなるくらい物騒です。だから、そこまでは考えなくていいんだと、考えるとしたら、それは写真家として写真というものに誠実でないということになります。「写真」から単に写す技術だけを抜き出して金儲けに使用している人、になってしまいます。それでいいんだと開き直られれば、話しはそこまでですが、自分はどうしても写真家で居たいということになれば、そこの所はご自分になり決着を付けなければなりません。

広告というものが企業の論理、ひいては金儲けの論理で動いていますから、極めて危ない橋、なんですね。よほど注意して渡らないと大怪我をします。それに手を貸す我々も危ない輩なんですね。いつ加害責任を問われてもおかしくない場所で仕事をしています。法的にはそこまで追求されることは今までありませんでしたし、たぶんこれからもないでしょう。でも非難されたら、甘んじてそれを受け入れる覚悟が無くては、その期に及んでいいわけをするようでは写真家失格です。

私は取りあえず、政治家と宗教に関する仕事は断っています。勿論それで代理店やプロダクションをしくじったことはあります。でも、まあナントカ食べてこられましたし、呑んでもいられます。貧乏はしていますが、たまに釣りにも行かれます。このぐらいが私の身の丈、なんでしょう、たぶん。ただ、だからといってそういうものを仕事としてやっておられる人々を軽蔑するということもありません。それぞれなんです、基準は。いくら頼まれても、これだけはやらないよ、というものをひとつぐらい持つのも精神衛生上悪くないみたいですよ。
いずれにしても、広告写真家というものは胡散臭い職業だ、というぐらいの引け目は感じていた方がいいかもしれませんね。

註1、註2の翻訳:2005年母乳育児支援ネットワーク

牢屋敷に処刑場

2005 年 12 月 9 日

この写真東京のまんなか、日本橋の小伝馬町です。昭和通りから100歩ぐらい入っただけの場所。そこにこんな景色の公園があるんです。「十思公園」じゅっしと読む人もいますがただしくはじっし。江戸訛りですね。ほんとはどっちが正しいのか知りませんが、我々の周囲ではみんな「じっし」手術はしじつだし、十銭はじっせんだし、こうなるとほんとはどっちが正しいのか定かでありませんが、まあ習慣に従ってじっしこうえんと読んでおいて下さい。この景色の良い公園あたり、じつは江戸時代は伝馬町の牢屋敷と処刑場。江戸時代は拷問が許されていましたし人権保護法もありませんから取り調べや処刑の残酷さと言ったらありませんね。それをけっこう人々が受け入れていたばかりか参加型の処刑まであって、嬉々としてそれを行っていたっていうんですから、想像を絶します。どんな処刑法があったか、いかなる参加型があったかはおぞましいので控えますが人間はどこまで残酷になれるのかと哀しくなります。
で、ここに牢屋敷があった名残でいまでも身延別院、村雲鬼子母神堂、大安楽寺があります。それが下の写真。散々いじめ抜いておいて死んだら、「大安楽寺」もないもんですが、ビルの谷間に古いたたずまいで威厳があります。あと、この十思公園には江戸時代に人々に時刻を知らせた石町(こくちょう)の鐘が保存されています。まあこう書いて、こんな写真を載せると相当この場所へ行けば歴史を感じられそうですが、これはカメラマンの悪癖によるトリックでして、じつはカメラをちょっとふれば全然違う景色が目に飛び込んできます。広告カメラマンは事実を伝えようとしないで、事実の一部を伝えることに専念しますからご注意を。それでも行ってみたいという方は中央区日本橋小伝馬町3-5です。

iPod Socksはコンデジにピッタリ

2005 年 12 月 7 日

AppleのiPod用に発売になったソックス。ちょっと使いにくい色がセットで売られているのが不満ですが、取りあえず購入して1色をのぞいてオークションに出してみました。うまくゆけば、好きな色を手に入れるためにセットで購入しても損はないかなと考えたわけです。結果は後日お知らせします。で、この写真、わたしのiPodは第2世代の40G。この写真ではちょっとスマートに見えていますが、じつはiPodソックスをiPodのために購入したんじゃありません。コンパクトデジカメにいいんじゃないかと思ったんです。なにせこのiPodソックスはiPodからiPod NANOまで全部使えるという宣伝文句ですから、そんなに応用範囲が広いんならCANONのIXY Degital LやもうじきやってくるライカのD-Lux2にも使えるんじゃないかと思ったわけです。というのもIXY Degital Lを裸でズボンやジャケットのポケットに入れて持ち歩いていたら、あちこちへこみや傷がついてしまったものですから。D-Lux2をそんな目にあわせたくないからと思って考えたんですが、そんなことを言うとCANONなら傷になってもいいのかって、突っこみを入れられそうですが、けっしてそういう意味ではなく、ここにいたってそこに気が付いたと言うことです。
で、何はともあれやってみましたら、これが純正品のようにピッタリ。しかも今まで無かったカメラケース。おしゃれじゃありませんか。口元が絞られているので抜け落ちることもなく、ジャストフィット。こういうふうに思惑が当たるとうれしいですね。このソックス、6色で3400円ですから、もしばら売りしたオークションで1足500にでも売れたらカメラケースが900円で手に入ったことになって、これは破格の安物買い。ポケットの中でも滑りませんし、出し入れは簡単。これは皆さんにもお勧めです。ただ、D-Lux2のレンズが飛び出している形態にも適合するかどうかは、また結果を見てお知らせします。取りあえず沈胴式のコンデジには例外なく使えそうです。