2005 年 9 月

怪しい雲と収穫のよろこび

2005 年 9 月 29 日

雲24日の土曜日昼頃の空です。いかにも何か起きそうですね。稲妻入れたくなるような空、右の写真の赤い部分なんか地震雲? 実際何か起きたんです。この時間から既に風が吹いていましたが、夕方から夜半にかけて強い風。例によって私はその時間、体内をアルコールで消毒中。この日の消毒作業はちょっと時間がかかりまして、それでもなんとか終電までには作業完了。ギリギリ最終電車で帰路についたんですがここで何かが起きました。でもそんな緊急事態にも速やかに対処できるように私はいつも持ち歩いているバッグの中に、スーパーでくれるビニール袋が入っています。誤解しないで下さいね。私はスーパーで買い物をしたついでにあのレジの外にあるビニール袋をくるくる、くるくるもの凄いスピードで手繰って持って帰ったんじゃあありませんからね。ちゃんとシモジマで五百メートル巻きを購入したんですから。ついでにご披露しますと私がいつも持ち歩いているバッグに入っているものは、MOLESKINEの罫のないタイプの手帳、文庫本一冊、iPod 40GBANG & OLUFSENのイヤホーン伊東屋で買ったドイツ製の皮の名刺入れ、100円ショップで買った筆入れの中にOLFAのカッター、ダーマトの赤、三菱の鉛筆、カランダッシュのボールペンが入っています。それと、俳優座の川上夏代さんから50歳の誕生日に頂いた刺し子の巾着袋(もうボロボロ)、これに例のビニールが入っています。何に使うかと言いますと、外で食事して残った時にそれに入れて持って帰ります。帰ってから近所の猫と分けて食べます。私たちの年齢は、イヤ私だけかな、中々、残したものをそのまま置いて帰れないんです。でも流石に人の残したものまでは持ってきませんよ。で、このビニールが役に立ったんです。なににかって? まあ下の写真を見て下さい。

ぎんなん怪しい雲は、良い風を運んできてくれたんです。そしてその風はこんな恵みを与えてくれました。浜町に6本ある実のなるイチョウの木の一本から銀杏が落ちていました。今年は実の大きなのがついているのは一本だけ、それはまだしっかりと木についています。ですからこれは小粒、でも小粒の良いところは皮が薄いので簡単に割れることでしょうか。例によってスタジオは○ンチ臭くなってしまいましたけど。スペインに旅行した友人がショップのおじさんにお店の前の木に鈴なりについている銀杏を指さしながら、「日本から贈られた木だけど、我々は食べない」って言われたそうです。食べないとすると迷惑かも知れませんね。誰かそのおじさんに食べさせてあげればいいのに、おいしいことが分かればスペインの人はきっと食べるでしょうにね。ついでに私の銀杏の煎り方はフライパンに銀杏を適宜入れて、そこに水を少々加えます。更にその中へ塩をひとつまみか二つまみ。一掴みじゃありませんよ。そうして水が蒸発するまで煎ったあと更に一二分煎っていると銀杏がだんだん乾いてきます。更に煎っていますと銀杏の表面に真っ白に粉を吹いたように塩が付きます。こうすると噛んで殻を割る時、塩味が口に入って銀杏がおいしくなります。見た目もきれい。よく行くアルコール消毒場で教わったんですけど、試してみて下さい。水はかぶる程入れる必要はありません。

「ちょっとびっくりしたこと!」というタイトルのメール

2005 年 9 月 27 日

UV-Photography

カナダ在住の、大学で日本語を教えている親しい友人からメールを頂きました。でも何とも言いようのない内容です。先ずはそれを先にご紹介しますね。

【お元気ですか? ここ10日ほどエリックとお姉ちゃんのイバに会いにホノルルに 行ってきました。イバの大学の研究室を訪ねた際ちょっとビックリしたことがありま した。彼女のオフィスの壁に好みの絵や写真のコピーが飾られてあって、あら風間さ んの写真みたい、と思ってよくよく見たらちゃんと風間さんの名前がありました。 色々な色の光が抽象的なパターンを創り出している写真です。私の友達の作品だと吹 聴したあと、イバにどこから入手したのか聞いたところ、気に入ってオンラインで購 入したそうです。$15ドルほど払ったら送られてきたそうです。その偶然さに超 ビックリし、そして嬉しかった事も当然だけど、そちらでこのようにして売られてい るのご存知かどうかとも思って・・・・・・・。だれかが悪用してなければいいんだ けど・・・・・・

しばらく日記を読んでないので今から読みます。

(エリックさんとイバさんはメールの主のお子さんです)】

と、まあこんな案配なのです。うれしさ半分、困惑半分でしかも手のうちようがありません。私の経験では企業ポスターやタレントの肖像写真などはあまりこういう目にあわないようです。それはやっぱり管理しているところがこういうことは許さないという確固とした姿勢があって、それを犯された場合徹底的に戦うからでしょうね。ねらわれるのは個人です。しかも海外からということになるとハードルも高くて結局泣き寝入り。写真の管理を依頼している代理店にいくら相談しても「敵が多すぎて訴訟は現実的でない」という言葉の繰り返し。この場合、現実的でないという言葉を翻訳すると、そんなことに手間、暇、人手をかけてもうちはちっとも儲からない、と訳せます。まあそんな会社に預けた方が悪いと言われればそうなんですが、でも国内最大手ですからほかに選択肢はないも同然。しかもあまたあるこの手の代理店の中には胡散臭いものも多いので、そういう意味では経理も管理もしっかりしている方なんですが、それでもこうです。何かうまい方法があったら、教えて下さいね。
なんだか今日は泣きが入ってボヤキ節ですが勘弁して下さい。
尚今日の写真を壁紙(ただし壁紙だけですよ!)に使いたいという方はご自由にどうぞ。ただしクレジットを入れて下さいね。風間雅昭でも、KAZAMA,Masaakiでも、Masaaki Kazamaでも結構です。それと私のホームページ表紙へリンクを張って下さい。もしホームページをお持ちでない場合はメールでもいただければ。
なんかむなしいなあ。。。

悪いクセ

2005 年 9 月 25 日

とんかつとんかつ浜町です。市場通り(新大橋通り)沿いにあったとんかつ屋。写真だとまあ普通の店構えですが、実際は相当時代がついてます。と言うよりさびれている。こういう店を見ると入ってみたくなるのが悪い癖。中へ入ったらお客は一人。「かつライス下さい」って言うとほとんどこちらに聞こえない程の返事。出てきたのがこれです。俗に言う紙カツ、650円。味は普通。このほかに蜆のおみおつけ。中に蜆の殻が20程、そのうち身の入っていたのが5粒ほど。それ、写真撮ろうとしたらジロ。あとご飯が付いてました。水はよく冷えた水が出てお代わり自由。まあ予想通りっていうか、がっかりっていうか、中途半端な気持ちで食べましたからどこへ収まったかよく分からない昼食。つまり私は期待しているんです、こういう店へ入る時。なにを期待しているかっていうと、裏切られることをです。寂れた店構えで食べてみたら凄くおいしいってことが結構あるんです。だいたい東京でおいしい店、もちろん値段もこなれているお店というのは、昔花柳界のあったところと相場が決まっています。今風のテレビで受けた「鉄人」とか言う人の料理がいいって方達の口には合わないでしょうが、その場所に住んで家族と二三の職人さんでやっているような店でおいしいのはほとんどもと花柳界のあったところです。何故そうなるのかはうんちくめくので割愛しますが、ただこういう店は今風ではないのであまり若い人は行かないようですね。こういう所を場所でいえば、神田、新橋、深川、芳町あたりになります。でもあのバブルって言う奴のせいでこういう昔ながらの店の多くが姿を消しました。その上更に有名シェフや鉄人や、に飽きてしまったマスコミがこういう店をターゲットにしましたから、たちまち味が変わってしまいました。有名になって代替わりしたところ程そうです。わたしはミシュランに載るような店にあまり関心がないせいか、近頃出来るおしゃれで高級な料理を大枚はたいて食べてもあんまりおいしいという気がしないんです。それはお前が貧乏人だからだと言われれば、まあそうなんですが、でもそれだけでもないんです。ああいう料理人の作るものって、ちょっといじりすぎで私の口には合わないんです。この豚カツみたいに家へ帰って真似すると作れてしまうようでいて、決してその味にはならないっていうときに、職人の腕を感じるんです。こけおどしでない、素材をただちょっといじっただけのように見える料理(まあ、このかつは…でしたけど)。ですから、個人商店がいいですね。昔銀座にもいろいろあったんですが、やっぱりバブルで消えました。八丁目に「十八番」と書いて、「おはこ」と読ませるトンカツ屋が路地の奥にあったんですが、これもなくなりました。五十ぐらいの息子が手伝ってそのお母さんがカツを揚げていたんですが、ここの牡蠣フライ、おいしかったです。大粒のカキを使うと値段が張ってしまいますから、小さいカキを二つ三つと抱かせてあげてあるんです。気が付かなければ、大きい牡蠣を食べているのと一緒です。あと、今も二丁目にある飲み屋ですが、昼間定食屋になっていて(名前は伏せます)、ここに穴子のフライがあるんです。珍しいでしょ。確か800円ぐらいの定食です。わりと大きい穴子が一匹、肉厚でフワフワ。店内に釣りキチ三平の原画色紙が何枚か飾ってありますから、矢口高雄さんが飲みにくるのかも知れません。夜は行ったことがありません。こういう店はまだまだありますから、散歩をしていてフト目にはいると寄ってみたくなるんです。成功確率は一二割でしょうか。見つけた時に食事直後だったりすると、きっとここはおいしいんだろうなと、確信めいた感じがします。今度来ようと思うと道が分からなかったり。地方でもこんな経験があります。沼津でそろそろ暗くなって来かかった時に入ったお寿司屋さん。外は小格子に白地ののれんでいかにも江戸前。入ったら下げ札にラーメンとか天ぷらとか書いてあります。地方に結構ある形態。なかばあきらめて、じゃあ何にしようかなあ、って迷っていますとご主人らしき人が、付け台の向こうから「今日は金目が旨いよ」と言います。その言葉に乗ってみたんですが、これが絶品。訊きませんでしたが、たぶん老舗の料理屋で働いた経験があるんでしょう。こういうふうに裏切られると、嬉しいですね。箸袋をポケットに入れたんですが、帰ってきたらどこにもない。サービスエリアでトイレに行った時にでも落としたんでしょうか。

追加大サービス
上の記事をアップしてしまってから思い出したんで、もう一言、再アップ。これ、写真がないのが非常に残念。でももう無い店なので写真が撮れません。水天宮の裏にきたないラーメン屋があったんです。品数はラーメンと大盛りラーメンのみ。コンクリートのタタキの上に鉄パイプの足のついたデコラ張りのテーブルが三脚。満員で十二人。このデコラのテーブルがもの凄く汚れてみえます。ただし手でこすってみると別段汚れるわけではないので汚いというのはごへいがあるかも、汚くみえるテーブルと言い直しましょう。この三つのテーブルにそれぞれ四膳の割り箸がじかに置いてあります。「汚ねえなァ、箸は箸入れに立てとけよ」と思いますと、箸入れはちゃんとあってその中に箸もたくさん入っています。
立ち会いで代理店やプロダクションの方がみえた時、大概みんな下町のおいしいものも期待のうちに入っています。私の写真の上がりより、そっちへの期待の方が大きいかも知れません。ですからお昼は大概その辺の皆さん行きたがるところへ御案内します。で、ある時若い営業の方ばかりが大勢みえたことがあって、若い人ならいいだろうと「面白い店があるんですが、行ってみます?」って言うと皆さん乗り気。そこでこのおまじないのような割り箸を見せられて皆さん怪訝そう。「これでたべるんですか?」ってきれい好きそうな方は心配顔。「ラーメンが出てくると分かりますよ」とわたし。箸をいじっている人に「怒られますから、箸はそのまま」なんてアドバイス。ここのラーメン普通盛りでそば玉二つ分くらい入っています。「大盛り」って注文する人もいたんですが、「取り敢えず普通にしといてお代わりしたらどうですか」とまたまたアドバイス。だって大盛りは麺の玉三つぐらい入っているんですから。ですからどんぶりも普通より二回り程大きい器に入ってきます。こんな大きいラーメンどんぶり、どこで売ってるんだろうって程です。で、いよいよラーメンが出てきました。お兄ちゃん一つずつ運んできます。かったるいなあ、と思っちゃあいけません。どんぶりすり切りにつゆが入っています。それを一つずつ絶妙のバランスで運んできます。何たってお兄ちゃんライセンスを持ったプロボクサーですから。運ばれてきたラーメンを受け取ろうと手を出すと叱られます。それをお兄ちゃんが件の、我々がさわると怒られる割り箸に器の糸底の片方を乗せて、テーブルにおきます。するとどうでしょう、どんぶりの縁とおつゆの面とはぴたりと平衡。そうですテーブルが傾いているんでそうしないとすり切り一杯のおつゆがこぼれてしまうんです。箸をいじられると絶妙のバランスに置けなくなっちゃうんです。これを皆さん面白がって、休日にわざわざみえたりしたらしんですが「日曜日、休みでした」って。そう日曜日はお兄ちゃん試合があるんですね。このお兄ちゃんたまに人形町で呑んでるみたいでした。いつもへべれけで、何かわめきながら、シャドウボクシングで家路につきます。知らない人は怪しい兄ちゃんだと思って避けて通ります。知ってる人は気付かないふりして通ります 。このお兄ちゃんとお店は紹介したかったなあ、残念です。

早くもベッタラ?

2005 年 9 月 23 日

椙森神社三越に行った帰りに遠回りして帰ってきましたら、掘留の椙森(すぎもり)神社にもうこんな支度が。ここと新橋の烏森、秋葉原の柳森の三つの神社を江戸三森と言いますが、此処は10月のベッタラ市で有名。随分早い支度だなあと思って写真を撮っていましたら、門前でたばこ屋さんをしている奥さんが出てきたんで「ずいぶん早いですねえ」って声を掛けましたら「前はこんなに早くから支度しなかったんですけどね、頭が亡くなったんですよ」ということでした。お幾つだったか伺いませんでしたがまあ長いことその頭が差配していたんでしょうね。それが亡くなって初めてのベッタラ市、粗相のないようにってんで、こんな早くから支度して、万遺漏無きようにってことなんでしょうが、あとを継いだ人のプレッシャーがひしひしと感じられるような準備の早さ。何でも初回は緊張しますね。初めての仕事思い出します。即席麺の広告、チラシとポスター、モデルの男の子がラーメンをおいしそうにすする写真。今はなくなってしまった優美スタジオで撮りました。天窓から明かりが採れて、自然光スタジオにもなるユニークなスタジオでした。経営者がギブン岩佐さんという有名写真家。だからカメラマンの要求が分かっているスタジオでした。その頃から機材のレンタルもありました。銀一がまだ並木通りの店で、丹羽さんと弟の武田さんとが店にいて、機材を借りると大学ノートに「10月1日風間さん フジノン300ミリ」なんて書いていた頃です。武田さんというのは弟さんですから本当は丹羽さんなんですけど「丹羽さん」て呼ぶと二人が返事をするもんですから不便だってんで、弟を武田さんにしちゃったんです。誰が言い出したか知りませんが、銀一で専務を武田さんって呼ぶ人がいれば相当古いお客と言うことになります。(すいません話しが横道にそれました。業界の楽屋話です)で、この椙森神社ですが子供時分にベッタラ市へお袋に連れられていった覚えがあります。ベッタラ市の様子よりその出掛ける前にお袋に言われたことの方が鮮明に記憶にあります。「ボロを着て行きなさいよ」って言われたんです。ベッタラ市ではベッタラを売っているおじさんが通りがかる人の着物にベッタラ漬けの大根をくっつけて糀で汚す習慣があります。汚されると無病息災のおまじない、なんですがやっぱり若い女の子なんかは「きゃーあ!」とかはしゃいだ嬌声がが上がりますから、それが中々色っぽくて粋な縁日だったんです。もう色っぽくないようなご婦人もときどき「きゃー」ナンテネ、こっちは誰も振り返らないんですけど。まあそんなこんなをこの早い支度に、思い出しながら人形町までたどり着きますと、これです。興ざめじゃあありませんか。日本橋から両国橋へ向かう道の左側、人形町の交差点を渡ってすぐの所でスピードやってます。ご注意を。秋の交通安全旬間でしたね。三越へ何をしに行ったか、って訊かれそうなんで一言、カルピスのバターを買いに行きました。このへんでは三越にしか置いてないんです。そんなに味が違うかっていうと、「さあ?」なんですけどね。つい習慣で。それでは皆さん良い連休を、海外の方はHave a good weekend.

アキバとアキハ考、再び

2005 年 9 月 21 日

昼間、幼稚園児が10人程、若い先生二人に引率されて秋の日差しの中を行く姿が可愛くて写真を撮ったんですが、ふと気が付いて後ろに回ってもう一度これを撮り直しました。こんな気を使わないで可愛いと思った瞬間の写真を皆さんにお見せできるような安全な世の中はもう戻ってこないのでしょうね。
振り仰げばもう何枚か紅葉している葉もあります。

さて本題、以前秋葉原を縮めて言うならアキハじゃなくてアキバですよということを書きました。そうしてその根拠に秋葉ヶ原が秋葉原になったんだから、と書いたんですが、更に詳しい方からあそこに秋葉神社があって、だからあのあたりを秋葉ヶ原って言うんだって事を伺いました。そして更にその秋葉ヶ原を秋葉原に変えたのは国鉄だとも教わりました。ナルホドネ、そんな風にして地名は変わっていくんですね。そのときついでにお願いしたのが門前仲町はモンナカじゃあなくて「なかちょう」、っていうのもありましたが、近頃あの辺りの食べ物屋さんのオヤジなんかがモンナカと言っているのをテレビで聴きました。とうとう、という感じです。でもあれみんな子供時分からあすこに育った人たちじゃありませんよ。あすこで育てば気持ち悪くてモンナカなんて言えません。外からきてあの辺りへいかにも下町風の店構えを出して、しかもいい年の主がモンナカなんて言うから下町ブームであの辺を訪れた若者が「地元の人もモンナカって言ってるんだから」と思ってしまうんでしょうね東京の町の名前はみんな江戸時代に付いたものですから、あるきまりがあります。それは町を「まち」と読むか「ちょう」と読むかなんです。

樹ご存じの方もあるかと思いますがアレ「まち」と読むのはみんな江戸時代の武家地です。「ちょう」と読むのは町人地、「ちょう」と読んで町人地でないのは番町だけ「まち」と読んで町人地は小川町。都電の最後の頃に小川町を「つぎはおがわちょう」と言った車掌さんがいてびっくりした記憶がありますが、もうその頃から「まち」と「ちょう」とがごちゃごちゃになっていたんですね。あまり目くじらたてて言うようなことではないんですが、そばで言われるとやっぱり気になります。
こういう面白い区別は他にもあります。お寺と神社、皆さん何気なく呼んでいるんでしょうが、あれも不思議に寺が音読み、神社が訓読みです。せんそうじ(浅草寺)とあさくさじんじゃ(浅草神社)、しながわじんじゃ(品川神社)にほんせんじ(品川寺)、いわれは知りませんがたぶん重箱読みを避けている? あるいはこれも江戸時代に何かの理由でそうしたんでしょうか? あるいはもっと古くからそうだったんでしょうか。この辺り詳しい方の教えを請いたいと思います。
こうやって考えると役人が勝手に町名変更なんかするのが許されない行為に思えてきますよね。結局地方から出てきて上級職試験(今はこう言わないか)受かってそういうことの出来る地位について、まあ有頂天なんでしょうね。その土地の成り立ちや、連続性になんか全然同情がないから、あんな事が平気で出来ちゃう。アレ田舎の自分の生まれた町の名前だったら、あんなに薄情に変えたり出来ないでしょうにね。ん~、どうしましょう。(地方公務員に上級職試験は無いっていう突っこみはなしですよ)

太田耕二さんの展覧会

2005 年 9 月 18 日

太田耕二

友達の写真家太田耕二さんが展覧会を開いています。彼が何年にも渡って撮り続けているペンギンの写真の展覧です。昨日始まったばかりなので、連休に山梨方面に行かれる方はちょっと覗いてみて下さい。