写真に「意味」は必要ですか
2005 年 8 月 29 日時々考えるんです、果たして写真に「意味」は必要だろうかって。意味を付与された写真はたくさんあります。評論家によって意味を与えられたものや撮影した写真家自身によって意味を付与されたものなど、美術館や写真評論誌などではあたりまえのように見ることができますが、私はああいうものを見るときにいつも懐疑的になります。
小川隆之という写真家がいます。1967,8年に「New York is」という写真展でデビューしてきた写真家です。その後コマーシャルに転じ友人の横須賀功光の紹介で資生堂の制作室と組んでMG5ほか一連の作品でコマーシャル写真家がムービーをまわす流行をつくった人です。その小川さんと話をしているときに(絵描きが交じった会話でしたが)作品の意味に話が及んだことがあります。絵描きは総じて作品に意味を見たがるんですが、その時も話がそっち方面に云ったときに、この小川さんが「よくみんな、そういうことを言うけど、ものつくりってほんのちょっとしたアイデアで始まるんじゃない?!」と言ったことがあります。私はこういう発言をする写真家に、まあ絵描きでも同じなんですが、始めて会いました。67,8年と言えば政治の季節です。写真界は「プロボーグ」が席捲していました。高梨豊、森山大道、中平卓馬、多木浩二の四人の同人で始められた伝説的な写真同人誌「プロボーグ」。ブレ、荒れ写真はアマチュアまで真似をする程流行しましたし、政治の季節にジャストフィットしてもいたのです。この時期に小川隆之は全く非思想な写真を引っさげて登場してきました。私は銀座のニコンサロンへ偶然入り、その写真に衝撃を受けました。つまり当時政治的発言や思想的背景のない写真は写真じゃないとまで思われていた状況で、全くそれを感じさせない、今で言えばコンポラ写真ですが、それに私は衝撃を受けた自分に、衝撃を受けていたんです。そこには主張はなにもないんです。メッセージや告発もありません。ただ写真がそこにあったのです。僕は、大袈裟に言えばこの日から写真感が180度変わってしまう程でした。これを書いてゆくとたぶん本が一冊書けてしまう程に言葉数を費やさなければならないでしょうし、そうしなければ誤解も様々に発生してしまうでしょうから、今日は入り口だけを示して後は皆さんにお任せします。写真に「意味」は必要だろうかって。上の写真、東京駅、暑い夏の日、信号待ち、日なたを避けている位は簡単に分かりますね。撮った私はああみんな暑さをよけているなあ、とレンズを向けたんですが、この写真に後付けで意味を付ければ何でも言えてしまいます。意味のない写真を撮ってきて後で意味付けをする。割とよく出くわすシチュエーションです。私自身が経験したことで言えば、CX時代に火事の取材にいきました。燃えている絵、群衆、消防、塗れた道路に何本もの消防ホース、高い所からの引きの絵、そして野次馬の中からきれいなご婦人を見つけてアップ、まあだいたいこんな絵を撮って帰りました。これだけあれば編集さんからたいした文句も言われずに一分十(いっぷんとお)のニュースができます。でも帰りのジープの中から私は電柱に繋がれて激しく吠えている犬を見つけたとき、ドライバーに車を止めてもらってその犬を撮影しました。ご主人がいなくて心細くて吠えていたんでしょうね、私がカメラを廻しながら近ずくとなおいっそうけたたましく吠えました。このカットが火事のカットの間にインサートカットとして紛れ込むと、火事の臨場感が何倍にもなったのでした。私は編集のデスクにほめられました。つまりこういうことが起きているのではないか、写真に言葉で意味を付与するというのは、と思うのです。ほかにもなにも関連のないところで撮られた写真を何枚か羅列すると、必ずそこに意味らしきものが生まれてきます。だからってそこに本当に意味はあるんでしょうか?例えば………………
http://wvs.topleftpixel.com/archives/photos_people/050522_1163.shtml
http://phototravels.net/paris/N0029/paris-street-48.html
http://www.amybphotography.com/homeless.htm
http://www.sushicam.com/2003%20Journal%20entries/June%202003/030616/CRW_6997.jpg
http://phototravels.net/tokyo/tokyo-p/tokyo-3-harajuku-p-032.html
http://www.stillpictures.com/categories/worldwide/1034616.html
http://www.pandevida.info/frontpage-dk/Photo_gallery/skaebner/skaebner.htm
http://neverdrownout.com/index.php?showimage=10
http://www.pbase.com/april_sims/image/33708238
http://www.acclaimimages.com/_gallery/_pages/0037-0502-1816-5730.html
http://www.pantsfire.org.au/large/aip2005/img_1286.jpg
http://www.upenn.edu/gazette/0297/woman.html
http://www.kamat.com/indica/extreme/7250.htm
http://www.socialpolicy.ca/cush/m4/m4-t8.stm
http://www.cs-photo.com/feature/full_image.php/52/3/0/14/4476/CS7359.jpg
http://www.west.net/~stanley/sleep.html
http://www.friends-partners.org/oldfriends/asebrant/life/2001/apr_01_18.jpg
http://www.trekearth.com/gallery/Asia/Japan/Kanto/Chiba/Tsunduma/photo57012.htm
http://www.photostogo.com/store/Chubby.asp?ImageNumber=638166
これらの写真を見ていくとそこに必ず意味が立ち現れてきます。見る人ごとの意味が。でも上記19枚の写真はたがいに何の関連性もないのです。ただ、Homeless,Sleep,イメージ検索、だけがこれらを結びつけているんですが、言えば何でも言えますよね。
写真に「意味」は必要ですか?