‘下町’

さよなら

2019 年 5 月 27 日

隅田川

今朝は珍しく霧が出ていました。

どう切り出していいかわからないときの常套句、時候の挨拶ですかねえ。。。

最期の一匹だったキジトラの猫はついに姿を消しました。

11匹と思っていた当初の数は、改めて病院へ連れて行った書類から12匹だったことが判明。

2018年にかなりまとまった金額が町会に下りて、それを資金に手術を済ませ、さらには地域猫として世話をする資金に当てられました。

具体的な数字は控えますが、かなり、本当にかなりまとまった金額でしたので、ネコ達は結構幸せに生きていました。

流行した猫エイズがなければもう少し長生きしたんでしょうが、それでもほぼほぼ寿命に近く生きたのかもしれません。

そんなわけで私のスタジオジオへ水を飲みに来ていた猫は全て消えました。

町内からも猫の姿は消えました。

飲食店ばかりが増えて、住む人が減ってきている人形町は、これでネズミが跋扈する町になることでしょう。

何年かすると、ネズミ問題が勃発することでしょう。

人の手で自然に手を突っ込んでなにか変えようとすると、必ずしっぺ返しが来ます。

自慢げにネズミの死骸を見せに来られるのはあまり嬉しくなかったですが、生きて跋扈するネズミを見せられるのはもっと嬉しくないです。

まあ仕方がない、みんな人間のしたことですから。

以上報告でした。

 

 

なんか色々

2019 年 5 月 4 日

猫

 

何年か前にも書きましたが、私のスタジオの周りをテリトリーにしている猫が多いときには11匹居たんです。

ただ、生き物ですからゴミを漁って収集袋を破いたり、排泄をしたりと生き物の摂理で色々あります。

それを嫌う町内の人の要請で、すべての猫に避妊手術をしました。

費用は役所が出して、トラップは町会の有志が行うことでそれは終わりました。

ことは猫に関してですが、こういうことは私に「優生保護法」なんて法律を思い出させます。

あちこちうんちをしたり、ゴミ袋を漁ったり、いかにも野良猫は悪者然としていますが、生きていく上でそれは仕方がないことなのです。

悪いのは猫ではなく、内猫を飼えなくなったからといって、外へ放り出した人間が悪いのです。

ヤンバルクイナを絶滅に追い込んでいるのも猫が悪いのではなく猫を天然記念物の生息しているところへ放り出した人間が悪いのです。

ですから、悪いやつを取り締まるのなら猫ではなく猫を捨てた人間を取り締まらなくては。

殺処分するなら、猫を放した飼い主を殺処分しなければ、、、

ま、そんなわけには行かないので、猫にとばっちりが行くわけですね。

スタジオ周りの11匹の猫は今この一匹だけになりました。

それもここ四、五日水も飲みに来ていなかったのですが、今朝久しぶりに姿を見せましたが、毛並みが荒れて元気がなく、水も覗き込むだけで飲もうとしません。

猫エイズが流行ったとこきもそうでしたが、こういう猫を医者に連れて行く有志がいるのですが、このキジトラだけは人に体を触らせません。

したがって医者にもかからず、自らの治癒力で困難を乗り切ろうとしています。

果たしてどうなることか。

偶然のことですが、時を同じくして私にも異変が起きました。

もう40年以上、一日たりとも抜いたことのないアルコールを既に10日ほども摂取していません。

禁酒とか断酒とか、意志によってアルコールを遠ざけたわけではなく、ごく自然に飲まなくなりました。

欲しくもないのです。

体調が悪くて飲めないというのでもありません。

アルコールの方から私を遠ざけるように離れていったのです。

不思議な事があるものです。

なんか、色々ありますが、無理なく生きていることだけは確かです。

このしろと嘘つき

2018 年 5 月 24 日

佃島のタワーマンション

隅田川では珍しく、延べ竿の二間ほどのやつを盛んにしゃくっている人がいました。

隅田川では夏以降にハゼ狙いで何本もの竿を出す年寄りかシーバス狙いでルアーを投げる若者ぐらいなんですが、この人は烏賊でも狙うみたいに盛んにしゃくっていました。

なんでも、「このしろ」を狙っているんだとか。

「ハゼ釣りはよく見ますがコノシロは珍しいですね」と言ったら、「道具立てがハゼ釣りとは違うでしょ。ハゼ釣りなんか、、、」

どういうわけか、ハゼ釣りをバカにしているようでした。

何故だろう?

政治家も官僚も教育者も警察官もこぞって嘘をつくようになっちゃいましたね。

なんだか真面目にやるのが嫌になりそうですが、釣りは真面目にやる人がまだまだ居るようですよ。

 

写真は越中島から佃のタワーマンションを望んでいます。

やっと

2018 年 5 月 20 日

隅田川

やっとカレンダーと季節がぴったりと合いました。

カレンダーは順を違えずに進んでいたのに、季節が先走ったり後戻りしたりで中々しっくり来ませんでした。

そのせいか、親しくしていた人が亡くなるし、大切にしていたものが壊れるし。

やっぱり、季節とカレンダーはぴったりと合って、有るべきものは有るべき場所に、居るべき人は居るべき場所にいてこそ周りがしっくりと来るものなんですよね。

ものでも人でも、嫌だな、別れは。

元気なのかそうでないのか

2018 年 5 月 13 日

両国橋

両国方面へ散歩。

今日から相撲が始まるので両国は賑やかです。

三年前から目の緑内障発作を避ける為のレーザー手術やジョギングし過ぎて膝をやったり、今年はまた白内障。

循環器と消化器は無事なので健康と言えば健康なんでしょうが眼科や整形外科的には病気状態。

始終どこか悪いところがある状態を年寄りと言うんでしょうか?

深刻な病気と向きあっている人に比べればほとんど息災と言えます。

元気でいれば金も才能も無くてもいいかとも思いますが、ここは中々悩ましいところですね。

元気でただ生きてるだけを選ぶか、才能あふれる病人を選ぶかと言われれば、答えは難しいですよね。

元気で才能あふるる人生が送れればそれに越したことはないんでしょうが。

それでも、アスリート並みに健康なやつが作ったものって、なんか面白くないんですよね。

散歩しながらそんなくだらない事を考えていました。

写真は両国橋を下から。

桜が一番美しくない時期

2018 年 4 月 2 日

立原道造 墓

桜の木は一年でいつが一番美しいのか?

そりゃ、やっぱり満開の桜の上に月が出ている景色、と言えるかもしれませんが、個人的には盛りを過ぎた桜に風の吹く日が美しいと思っています。それは経験から来るんでしょうね。

何年も前の事ですが浅草の土手で風の強い日に満開を過ぎた桜に出会ったことがあるんです。
そりゃあもう初めて見る光景でした。
前が見えないほどの桜吹雪、無数の花びらが風に舞って私に押し寄せてきたんです。
綺麗でした。
一吹きにすべての花が散っていくような錯覚がありました。

で、昨日ですね、そんな期待をいだきながら谷中の墓地を散歩したんですが、おそすぎました。
花はあらかた散って、シベだけが残って、葉はまだ出ていない。
桜が一番みじめに見える。

なので墓地以外どこかのお寺に八重でもいいから花が残っていないかと歩いていると、多宝院というお寺の中に花のきれいな木を見つけました。なんて言う種類かわからないんですが、花が小さく可憐で色があざやかな花でした。

花につられて入ったんですが、そこに立原道造の墓が有ったんです。
「あの日たち羊飼いと娘らのように、、、」
前に書いたことがあるんですが、立原道造には多少縁があります。
彼と東大の建築家で同級だった建築家と親しくお付き合いしていた時期があって、その方に立原の手紙を何通も見せてもらったことが有ったのです。ナマの日本文化に触れた気持ちがしてとても感動したんですが、それ以来の立原道造でした。

偶然の巡り合い、でした。

桜には出会えなかったんですが、文化の香りをかぎました。