‘写真’

ウィーンの春

2018 年 3 月 28 日
くろっかす

Michael Schifter

ウィーンにも春がきたそうです。

花の名前が書いてなかったので想像ですが、クロッカスでしょうか?

アルプスに似合う花ですよね。

ひるがえって今年の日本の桜は咲き始めに全く色がなかった上に雨に当たったので、色づかないかと思ったんですが、例年に増してさくら色がきれいでした。

わからないものです。

やっと春が来たか。

どうでもいいんですが一応決まり事なので、甘酒横丁の桜です。

さくら

写真の読み方

2018 年 3 月 15 日

 

麻生財務相

2018 Reuter / Toru Hanai

この写真が普段見る新聞や雑誌の記事中写真に比べて、新鮮な感じを受けた方が居るかもしれません。

これは[東京 12日 ロイター]の記事中の写真です。

例の麻生さんが書き換えを認めた会見で、「佐川、佐川」と官僚を呼び捨てにしていた時の写真です。

撮影したのは日本人のようですが、日本の新聞や雑誌では中々選ばない写真です。

このカメラマンも(本来はフォトグラファーです。カメラマンはムービーの撮影者を指します)この写真以外に寄りや引きなどこの場所で様々な写真を撮っていたはずですが、編集者はこの写真を選んで記事中に入れましたが、これが結構珍しいのです。

日本の新聞、雑誌なら、ほとんど例外なくもっと麻生さんに寄った写真を選んでいたはずです。

麻生さんの周りに二三人の記者を入れた寄りの写真にするでしょうね。

ここまで引きの絵を選ぶことは滅多にありません。

それには理由があります。

日本では報道に限らず記事中や文章中に使われる写真は文章を補完するものであって、それ以上でも以下でもありません。

ですから写真の役割も麻生さんの表情を捉えたものへ収れんしていきます。

したがって署名入りの記事でも写真は匿名のことがほとんどです。(さすがに近頃は写真の下にクレジットを入れたものも散見しますが)

私の経験では外国通信社では文は文、写真は写真、と明確に分かれています。

文が主で写真が従ということはありません。

その顕著な例が写真につけるキャプションです、日本では記者が写真にキャプションを付けますが、外国通信社ではカメラマンがキャプションを付けます。

写真に写っていたその場にいたのはカメラマンなのですからカメラマンがキャプションを付けるのが当たり前になっています。

文は文、写真は写真、ということが徹底していると、カメラマンが写真を撮る時の気概が変わります。

文章を忖度しなくなるのです。

日本ではベテランになればなるほど、記者が書くであろう記事を推し量ってそこに合う写真を狙いますが、文がどうなるかに関係なく写真を撮ろうとすると、写真一枚でその場の出来事をわからせようとする意志が強く働き、一枚で全てを説明できる写真を狙うようになります。

この意志の差が選ぶ写真を変えるのです。

このロイターのToru Hanaiさんの写真はですから、珍しい感じがして当然なのです。

この他にも著作権の扱いでも日本のメディアと外国通信社の間では大きな差がありますが、それはまた機会があれば。。。

 

 

沖縄の緋寒桜

2018 年 1 月 27 日

沖縄から桜の写真が送られてきました。

人形町ではまだ道の角ごとに積み上げられた雪が凍ったまま鎮座してますが、沖縄はもう花見だそうです。

いろは坂と芳野山を混ぜて規模を小さくしたような場所ですが、見事に咲いていますね。

道路の混雑も道を歩く人もなんとなくのんびりした感じがあります。

この日は生憎の雨だったそうですが、なんか霞がかかったようで春の感じがします。

この写真だけ見ると沖縄じゃないみたいです。

東京で見る沖縄の絵は米軍ヘリの写真ばかりですが、別の面の今の沖縄をお届けしました。

写真はすべて粟津さんから送られてきました。

 

長いご無沙汰でした

2018 年 1 月 17 日

皆様、大変ご無沙汰いたして下りました。

ものすごく忙しかったとか、からだをこわしていたとか、遠くへ出かけていたとか、というわけではなく、
いつも通り人形町のあばら家で毎日夜になると現れる猫に餌と水をやりながら、時々は隅田川を散策し、図書館に行き、Abema TVで藤井総太さんの中継を見たりしながら、それとたまには写真のことなども考えながら過ごしておりました。

Facebookに上げる写真もあらかた済んで、なんとなく虚脱状態で過ごしているうちにこんなに間があいてしまいました。

相変わらずのんべんだらりの生活ですが、本年もわたくしをお見捨てなきよう、どうぞよろしくお付き合いくだいませ。

 

皆様、明けましておめでとうございました。

 

本年より思う所あって、年賀状をよすことにしました。

それでもいただくものはありましたので、その方々にはこれから謝りのハガキをお出ししようと思っております。

そんな具合で一から十までいい加減なわたくしでございますが、今年も一年どうぞよろしくお願いいたします。

ウィーンのSchifterさんから写真が送られてきました。

雪に耐える木の実は鳥たちの貴重な冬の食料でしょうね。

2018年カレンダー

2017 年 11 月 20 日

来年のカレンダーが出来上がりました。

例によって、うっかりがあるかもしれません。

お気づきの方はお知らせくださいね。

来年は休日が少ないみたいですね。

写真家・東松照明を見る

2017 年 7 月 18 日

東松照明展

東松さんの展覧会と言うにはあまりにもさみしい展示で、タイトルばかりが仰々しい展示でした。

東松さんとは一度お会いしただけですが、それも今でも思い出す度に忸怩たる思いをいたす出会いでしたが。。。

そのことは私のブログで過去に「東松照明が死んだ1」「東松照明が死んだ2」に詳しいのでここでは省きます。

ただ、人生で悔いが残るとすれば、この東松さんとの出会いだけです。

その出会いで多分、私は写真家を捨てたんだろうと思います。

そこから先の私は写真やであって、写真家ではなくなってしまった。

ただ写真を撮って日銭を稼ぐだけの人生を生きてきたような気がします。

そういう生き方を否定するわけではありませんが、自分が目指したものはそうではなかったはずで、東松さんとの出会いを正しく真面目に受け止めなかった自分は自死に等しい選択をしたのだという思いがいつもします。

普段はお気楽に生きていますが、東松照明という名前を聞くと、いつも青春時代のそこに引き戻されます。

他人の展覧会をくさすのは嫌なので、見て良くないときは書かないでスルーするのが常ですが、この転覧会は駄目です。

言葉で写真を説明するような写真展ならやらないほうがよっぽどいい。