‘昔のはなし’

今朝の朝日新聞朝刊の記事をちょっと訂正してみたりして

2013 年 8 月 28 日
催涙弾

1969/04/28 沖縄デー 神田

今朝の朝日朝刊10面に「催涙ガスに魔法の一吹き」と言う記事がありまして、先日のイスタンブールのデモの際、催涙ガスに眼や喉をやられた人に牛乳と水を混ぜたものに胃腸薬を溶かし込んだ液体を「シュッ」と一吹きすると、痛みが消えるという記事がありました。

それから、加藤登紀子のご亭主の藤本敏夫が亡くなったとき、仲間から「これを庭に植えてくれ」と檸檬の木を渡されたエピソードが紹介されて、それは「日本ではデモの際、催涙ガスに檸檬で対抗していたから」と言う説明があります。

ここまでは良いんですが、記者はこの後医者の話として「デモのその檸檬の話しはおまじないみたいなものでしょう」 と書き、「実際の効果は疑問です」と結論づけています。

多分この記者も、医者もデモで催涙ガスを浴びた経験は年齢的にみて、ないのでしょう。
デモの現場に出た記者はすでに退職しているでしょうし、残っていても参与室で天声人語かなんか書いているでしょうから。

催涙ガスに檸檬はね、おまじないでもなんでもない、本当に効いたんです!
普段檸檬をしぼってその果汁を目薬みたいに眼に入れろと言われたら、ほとんど拷問ですよね。
私はやる勇気はありません。
が、しかし、催涙ガスを浴びて、眼が痛くて痛くてとても開けることなんかできない時にこの檸檬果汁を眼に注ぎ込むと、それまでの痛みがウソのように消えたんです。
学生だけじゃなく、新聞記者達も、特に写真記者はみんなポケットに檸檬を持っていました。

まあ、大した問題ではないんですが、ちょっとツメの甘い記事がけっこう大きな見出しで載っていたので、小言幸兵衛がちょっと一言いいたくなったのでした。

くれぐれも、ガスを浴びてない眼にレモン汁を絞り落とさないように。

本気

2013 年 7 月 26 日
Honda

Hondaのサイトから

一時は世界を席巻した日本の二大メーカー、ホンダとソニー。

それが元気がなくなって久しいのですが、このところ再びその竜虎が本気を見せはじめたようです。

SONYはカメラでDSC-RX1、HondaはF1参戦。

なんだか嬉しい。

そしてホンダのサイトに、アイルトンセナが世界最速を出したときのエンジン音が聞かれるようになっています。

ステンマルクとアイルトンセナ、ジャンルは違ってもこの二人が王者だと思うのはわたしだけでしょうか。

泣けます、この音!

ここでどうぞ。

陸の孤島

2013 年 2 月 24 日

今日は石原慎太郎前知事が強引に始めた東京マラソンの日です。
もうすっかり定着していて、超大勢参加型お祭として、盛りあがっています。

ただこの日我が家は陸の孤島と化します。
清洲橋通りも市場通り(現新大橋通)も銀座通りも横断できなくなるので、何処にも出かけられなくなります。

日比谷線や都営浅草線で明治座へ行こうと人形町に来た人は明治座まで通りをはさんで目の前まで到達して、明治座へは行かれないということになります。
橘町(現東日本橋)に唯一架かる歩道橋を渡って清洲橋通りを渡ります。
でも、歩道橋は今撤去作業が進んでいますから、いずれこれもなくなるでしょう。
その時明治座はどうするんでしょう?

その代わり、道路に車は居ません。
まるで昔に戻ったみたいです。
信じられないでしょうが、ぼくら小学生の時は市場通りで野球やっていたんですから。

また昔の話しで、恐縮です。

堅気と素人 2

2013 年 2 月 9 日

で、きのうの続きですけど、そんな風にしてしょっちゅう行ってると、当然職人さん達、まあこの場合ほとんどが板前さんでしたけど、とも仲良くなるわけです。
その 頃の㐂代川は、はやっていましたから、職人さん達もほとんど休む間無しに働いています。
店の方の玄関左脇には柳の木があって、 引き戸の硝子格子をはさんで右側には幅の広い縁台が置かれていました。
順番を待つお客さんが座ったり、通りがかりの近所の年寄りがちょっと休んだり、夜はそれを道に出して、縁台将棋をやったりする、まことにもって便利な縁台でした。
私はそこでギターを弾いていたんです。
仕事中の職人さンからリクエストなんかも来たりして。
お小遣いを貯めて買った当時1000円のギターです。
余談ですがそのギターは現在は都内某所でピーターポールアンドメアリーのピーターさんのサインが入って、森田公一さんが弾き語りするような贅沢な余生を送っているらしいですよ。

私は先にも書いたように、長唄の三味線弾きの家に育った子供ですから ギターを持ったって、禁じられた遊びやアランフェスを弾くわけじゃありません。
もっぱら「古賀メロデー」の弾き語りですよ。
何で私がそんなところでギターを弾くようになったのか、どう考えても不思議なんですが、まあ週に二三度、弾いていました。
で、そんな或日、若い威勢の良いお兄さんがわたしに話しかけてきました。
「兄さん、うまいね」兄さん、て呼び方がなんかくすぐったかったので印象に残っています。職人さん達は大体わたしのことを「ぼうや」とか「ぼうず」とか呼んでましたから、そこで「にいさん」なんて声を掛けられて、くすぐったかったのを覚えています。

「今日から先生って呼ぶからな」
その威勢の良いお兄さんにそう言われたのは、その縁台に二人並んで「湯の町エレジー」を教え初めて幾日か経った頃でした。
にいさんでも面はゆいのに先生では却って恐縮ですが、相手は譲らないんだからしょうがないじゃありませんか。

その威勢の良いお兄さんはそのあたりの地回りというかなんというか、有り体にいえばヤクザの二代目だったんですねえ。
私小学校の頃は学校の入り口にいつも大八車を止めて暮らしていたバタ屋さんの車の中で遊んでいたり、中学ではヤクザの二代目のギターの先生、高校大学となったらどうなっちゃうの? というようなところですが、まあこうなったわけです。

それでですね、どこで蛙さんの話に近付くかというと、或る昼下がり、私が鎧橋を渡っていると、向こうからその二代目がやって来るじゃありませんか。間の悪いときに間の悪い場所で会うもんだなあと内心大弱りだったんですが、橋の上では右に曲がることも左に逃げることもできません。ひきかえしたんじゃ角が立ちますしね。
しかたなく「まっつぐ」歩いて行くと、敵は三四人のキレイで派手で騒がしい、若いご婦人を連れています。御婦人連は二代目に絡みつくようにまとわりつくようにして歩いています。
互いの距離がとうとう二三メートルという所で、二代目が立ち止まり、きおつけの姿勢で「先生、どこへいくんです?」だって。
案の定、連れのご婦人方は「あら、せんせいだって」とか「いやだ、なんのせんせ?」だの「ぼうや、わたしにも教えて」だの、良いからかいの相手ができたとばかりです。
ほうほうの体で逃げ出したんですが、まあ、ヤクザに挨拶されて、困ったという話しです。

期待されてた割りには、落ちも何にもない話しなんですが、これ以上話してると際限がなくなりそうなんで、尻切れトンボ気味に終了です。

これ書いてて思いだしたこと結構あります。
乞食の善ちゃんの話、同級生の大将の話しなど、そのうちまた書きますね。
マスコミ禁止用語、自粛用語満載の話しですけど。差別用語はありません。

そのうちね。

東松照明が死んだ!

2013 年 1 月 8 日
1971.4.28 沖縄デー

1971.4.28 沖縄デー

以前にこのブログで「東松さんには謝らなければならない事がある」と書きましたが、東松さんが亡くなった報を受けた今日、それを書くことにします。

今は昔、1970年だったか71年だったかの出来事です。
67年頃から始まった学生運動はそれまでの代々木が指導するいわゆる民青系全学連とは違い、どこの組織にも属さない学生の連合体でした。後にマスコミはこれを称して「ノンセクトラジカル」とくくりました。
が、実際の所はそこにもセクトはなだれ込んできて 俗に三派とも八派とも十三派とも呼ばれる集合体になり、総称して反代々木系全共闘(斗)となるわけです。
そのあたりの経緯は詳しいサイトにあたって下さい。

で、この中に写真をもって参加していた学生、若者も居たわけです。何故、ゲバ棒でなくカメラなのか? そこはにはそれぞれいろいろあると思いますが、そこは省いて、そんな写真家の卵達が五十人ほどはいたでしょうか。
こちらもまとまって組織化を図り、それぞれ取材先を分担するというような、合理性は持たず、それぞれ勝手、銘々の思うがままの取材という形でした。

デモが新宿で流れ解散になると、今もあるかどうかは知りませんが「コーヒータイムス」という喫茶店へ行き、翌日の情報を集めました。そこにはそう言う類の若者と硬派のマスコミ関係者が出入りしていましたから、そこで翌日のデモの情報を仕入れたわけです。

そんなある日、コーヒータイムスで一枚のチラシが配られました。
そこには、コーヒータイムスの近くの町会の集会場に某月某日某時に集まってくれと書いてあり、どうやら「東松照明が我々に話しがあると言っている」 というような文言がありました。

ーー以下は明日

切ない

2012 年 12 月 12 日

横尾忠則さんのサイトに「12/15(土)– 29(土)日替り・2本立で高倉健主演映画30本を新文芸坐で上映される」とありました。

全共闘世代が圧倒的に支持した高倉健ですが、彼もよわい80を越えたそうで、それはなんだか、受け入れがたい気がします。

健さん、といえば「唐獅子牡丹」
この映画のテーマ曲を江利チエミが歌っているのをご存じですか?
高倉鍵自身の歌うそれが記憶にあるので、初めて聞くと違和感があるのですが、これが何度も聴いていると、切ないのです。

こういう歌い方もあるのだなあ、としみじみさせられる。

切なく歌った、名歌唱の曲はいろいろありますが、この江利チエミは切なく歌って居ないのに、切なく聞こえるんです。

わたしだけかな?

「江利チエミ」「唐獅子牡丹」をYouTubeで検索かければ、聴かれると思います。

うまい、という歌い方じゃあないんですが、これが実に切ないのです。

追:あ、今日は12年12月12日 だ!