あははは

2019 年 2 月 14 日

USB

長いこと使っていれば、コードのプラグとの接触部分が痛むのは仕方のないことですよね。

それを放っておけばそこから接触不良を起こして使えなくなる、というのが通常なんですが、そこで熱圧縮チューブがあればそれで補修とかするんでしょうが、あいにくピッタリのチューブがない上にUSBプラグ側はコードとプラグの直径の差がありすぎてピシッと決まりそうもありません。

そこであるものでなんとかする、とこういう事になりました。

グルーガンでぐるぐる巻き^^;

見た目はすこぶる悪いのですが、効果は極めてテキメン、非常にしっかりと保護してくれています。

それにしても、もうすこし見た目に配慮できなかったのか、というのが残念なところではあります。

あははははは。

ドンカン

2019 年 1 月 15 日

西新井大師

昨日、散歩がてら西新井大師へ行ってきました。

ついで参りはいけないと言われてるのに、散歩がてらとはなんと罰当たりな。

ついでに言わせていただくと西新井大師は相当に商魂たくましいお大師様とお見受けしました。

草だんご買って、日比谷にまわり、出光へ寄りました。

西新井大師へ行くのに人形町で日比谷線に乗ったとき出光美術館の「染付」展のポスターを見たからです。

染付展

これは良かったです。

入っていきなり一世紀の瓶(アラブ産)が置いてあったのですがこれが素晴らしいものでした。

あと染付は明時代の景徳鎮のものが多く日本のものは江戸のものでした。

日本もですが中国の昔の人は偉いもんです。

本当に素晴らしくて気品がある焼き物ばかりでした。

その後上野に戻って焼肉食べて帰ってきました。

 

そうしたらテレビのニュースで週刊SPAの「ヤレる—-」なんとか言う記事に件の女子学生らから抗議を受けて、はじめは言い訳をしていたそうですがそれに対してもあちこちから抗議を受けて、ついには謝罪したらしい。

その上で抗議を申し入れた女子学生らと面談を持ち、二時間以上意見を交換したそうです。

そしてSPAの編集長がその面談後に感想を述べているんですがこれが極めて鈍感。

「いろいろ気付かされることがあって参考になった、今後の取材、編集に活かしたい」だと。

この鈍感さこそが件の記事を書かせたんでしょうね。

本来、廃刊にするかどうか検討すべきほどの問題に、「今後に活かしたい」とは。

呆れて物が言えない、とはこういう事を言うんでしょうね、どうも馬鹿に付ける薬はない、ですね。

フジサンケイグループで短いとはいえ給料をもらっていた身としては、なんとも穴があったら入りたい気分です。

ウイーンからギンナン

2018 年 12 月 11 日

ギンナン

ウイーンから秋の便り。

毎年書いていますが、彼の地でこれを拾う人は居ないそうです。

でも何故なんでしょう?

確かに処理するまでは臭いんですが、もっと臭い缶詰とか食べてるでしょ。

ギンナン

これを煎って食べさせれば「おいしい」って、言うんでしょうか。

日本食ブームで茶碗蒸しに入っていれば食べるんでしょうか?

人形町のギンナンは今年も粒が小さすぎて、手間をかけても食べた気がしないので拾いません。

一昨年、ものすごい剪定をしたので、多分その影響で粒が小さくなっちゃった、てことでしょうか?

素人考えですけど。

暮になってゴーンさん起訴とか韓国にフッ化水素の輸出停止とか、いろいろ騒がしいようですが、皆様お風邪など召さぬように平成最後の暮をお過ごしください。

私めは未だに足首が完治せず、足を引きずりながらの年越しになりそうです。

年内にはまだ一二回の更新はできそうですから、年末の挨拶はまだにしておきます。

写真はすべてScifteさんです。

α7Ⅲ、α7R Ⅲの不具合報告は?

2018 年 12 月 3 日
明治座の銀杏並木

撮影のままでは見た目のイチョウと違うので、ちょっと色を盛ってます

 

今年の夏は異常でした。

もう日本には四季が失われてしまうのでは、と思わせるほど暑い夏でした。

正確にいえば夏になるまえに異常に暑い夏がいました。

ですが、現在明治座の前の銀杏並木はきれいに色づいています。

どうやら、冬は来ます。

そして早くも今年も師走。

年の終わり頃になると、怪我をすることが二年ばかり続いています。

一昨年は走りすぎて膝を壊し、復旧までおよそ10ヶ月。

それが治ってすぐ今年は自転車で立ちごけしそうになり、勢いよく踏ん張ったらかかとを痛めてそれは未だ継続中。

私の怪我は養生しながら放っておけばいずれは治るからまだいいんですが、このところ聞こえてくるSONYのα7シリーズの不具合は心配ですねえ。

わたしはα7R IIなので不具合の出たことはありませんがⅢの方は7も7Rにも出ているようです。

しかもネット情報によれば、不具合に対するSONYの対応が当初はあんまりいただけないようだったようで、事実とすれば残念です。

C社から割と早く機材変更をしたものとしては不具合とそれに対する木で鼻をくくったような態度は、ちょっと残念です。

書状は把握しているが、復旧は未定だそうです。

再び機材はN社に戻るのか?

そうなると一回りです、Nから始まりCに行き最後はSだったはずが、再びNなのか?

踵と機材が心配です。

Bohemian Rahpsody

2018 年 11 月 26 日
ぼへみあんらぷそでー

映画の宣材から

映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見てきました。

実はこの伝説のバンドをリアルタイムでは知りませんでした。

もちろんクイーンというバンド名や「We will rock you」などは耳にはついていましたが、聞いていたというほどではなかったのです。

1971年に、ずっと毎日のように路上でデモを追いかけて取材していた日常が終わり、これから先の自分の人生をどう組み上げていこうかと模索している頃でした。

音楽は殆ど聞いていませんでした、洋楽もフォークも。

クイーンがデビューした1973年はそんな自分には大きな節目が訪れます。

学生時代の友人で同人誌のメンバーだったUから電話があって「今どうしてる?」と訊かれました。

「デモは撮りに行ってない。ブラブラしてる」

そうすると彼は「ブラブラしてちゃいけない。うちに来ないか?撮影中継部の副部長に話はしてあるから一度来いよ」といいます。

Uはその時フジテレビの報道局で社会部にいました。

ブラブラしている私の心配をしてくれたんだと思います。

デモの写真を100枚ぐらい紙焼きして、それを持って、会ってくれるという撮影中継部の副部長を訪ねました。

彼は写真を見て「いつから来られる?」と。

それで私は今までのフリーで突貫小僧みたいなトップ屋紛いの撮影生活から、報道記者証を持って取材する生活へと変わりました。

その時その副部長から「三年辛抱してくれ、三年経てば悪いようにはしないから」ということと「マスコミには協定というものがある、それに違反すると撮影した写真も使えないことがある。ただ、君にそれを期待しては居ないから、今までどおりできるところは今までどおり撮ってくれ」と言われました。

その日からフジテレビへ通う生活が始まりました。

ムービー取材が主である撮影部でスティル撮影を担当、周りから「パチカメ」と呼ばれていましたが、パチカメの需要はそう多くはないため無駄に遊ばせておくよりはと結局ムービーも回すようになりました。

辛抱してくれと言われた通り、給料は月に五万円。

友達のUがそろそろ年収1千万に届こうかと言う頃です。

その辛抱の二年目に母に胃がんが見つかり、とても五万の給料では治療費が出ないので、やはり同人誌時代の仲間で出版社に居た友だちに頼んで校正の仕事を回してもらいました。

副部長はそれをフジテレビの社内でやることを大目に見てくれました。

そして、約束の三年を辛抱したのですが、その三年目にフジテレビの社長の鹿内さんが急逝。

会社の方針が一気に変わり、わたしはアルバイトや嘱託、契約カメラマンなどはひとまとめに別会社を作ってそこに行くように言われました。

私はそれを断って、再びフリーの生活へ踏み出すのですが、そんな人生の激しく動く時に、クイーンは聞いていませんでした。

映画は彼らの出会いから、成功、成功すると必ず寄ってくる悪いやつ、そして挫折から更にエイズ感染、再結成、で、最後に20分以上に渡る例のライブエイドの場面。

彼らの人生もまた小説にしたらあざといほどの筋書きを実人生で送ったようです。

いくつかの場面で泣かされました。

クイーンを知らない私でも感動を覚えたのですから、リアルタイムで聞いていた人には、これは万感胸に迫るかもしれません。

良かったです。

松本山雅 J2優勝 & J1昇格

2018 年 11 月 19 日

松本城

今シーズン最後のゲームで我が松本山雅が優勝そしてJ1昇格を決めました。

決定力のなさは相変わらずで、上がっても苦労すると思いますが、ともかく昇格おめでとうございます。