このしろと嘘つき

2018 年 5 月 24 日

佃島のタワーマンション

隅田川では珍しく、延べ竿の二間ほどのやつを盛んにしゃくっている人がいました。

隅田川では夏以降にハゼ狙いで何本もの竿を出す年寄りかシーバス狙いでルアーを投げる若者ぐらいなんですが、この人は烏賊でも狙うみたいに盛んにしゃくっていました。

なんでも、「このしろ」を狙っているんだとか。

「ハゼ釣りはよく見ますがコノシロは珍しいですね」と言ったら、「道具立てがハゼ釣りとは違うでしょ。ハゼ釣りなんか、、、」

どういうわけか、ハゼ釣りをバカにしているようでした。

何故だろう?

政治家も官僚も教育者も警察官もこぞって嘘をつくようになっちゃいましたね。

なんだか真面目にやるのが嫌になりそうですが、釣りは真面目にやる人がまだまだ居るようですよ。

 

写真は越中島から佃のタワーマンションを望んでいます。

審判の笛は聞こえていましたか?

2018 年 5 月 23 日

花と蜂

重い質問でしたね。

会見を最初から最後まで見ました。

実に率直で良い青年でした。

そんな良い青年にあんなことさせる、あそこは教育機関では無いですね。

50年前も教育機関ではなかった。

大勢の学生がそれに抗議したんですが、50年経って、何も変わっていない事が露呈しました。

なんと長い空疎か。

最近起きたふたつのこと

2018 年 5 月 22 日

浜町公園のアケビ

日大のアメリカンフットボール部の部員による「悪質タックル問題」ですが、当人の動機や上からの支持に関しては推察でしかものが言えない状況なのでそこには触れませんが、問題は監督やコーチ陣、さらには大学当局のこの問題に対する姿勢ですよね。

この問題に接して最初に思ったのは「日大闘争」以前の古田理事長時代に戻ったような感じがしたこと。

およそ50年前のことなので覚えている人も知っている人も少ないでしょうが、大学は何をしてたのかなあ、という疑問を持ちます。

 

栗城さんが八度目のエベレストで登頂断念して下山途中で死亡の報に接しました。

以前に書いたことがありますが、昔長谷川恒男さんと飲んでいる時、周囲に何人も撮影スタッフやロケスタッフもいたんですが、「風間さん」と名指しされて、「マスコミはよく『引き返す勇気』て言うでしょ。でもね引き返す勇気なんか発揮したら、一流の登山家にはなれませんよ。この一歩、踏み出したら死ぬかもなと思った時、その一歩が踏み出せるのが一流の登山家ですよ」

何故私を名指ししてこの話をされたのか、そこは分かりませんが、長谷川恒男という登山家の山に向かう姿勢は感じられました。

栗城さんが7度の失敗を越えて再びエベレストに入る心境は意地なのか名誉欲なのかそれとも他の何かなのか私には理解できませんが、ただ彼の登山方法からは「緩やかな自殺」という感じを受けてしまいます。

栗城さんを貶める気持ちはありませんが、何故か私にはそう感じられます。

普段は触れない時事ニュースに触れてみました。

 

写真は浜町公園の藤棚に下がるフジの豆鞘に混じってぶら下がるアケビの実です。

早くも秋を待つ植物がいます。

 

絶対非演出の絶対スナップ

2018 年 5 月 21 日

東京スカイツリー

散歩中の写真。

きのうのスカイツリーを撮った場所から振り向いて撮りました。

なんだかニューヨークの摩天楼をダウンタウンから覗き見ているような(行ったことありませんけど映画のワンシーンでよく)絵面になりました。

が、なんか変でしょ。

トンネルビューの向こう側が露出過剰気味だったのでそこだけ明るさを抑え逆に橋桁や手すりの暗いのを持ち上げ、そうしたら当然コントラストがなくなったので、明瞭度を少し上げました。

だから写真が不自然でなんか変。

土門健は言いました。

「絶対非演出の絶対スナップ」宣言の中で。

「絶対非演出が現実そのものに直結し、絶対スナップがカメラとモチーフを直結させる」

フレーミングがそもそも演出ではないのか、という議論はさておいて。

言葉は分析して理解しようとせず、発した人の心情を受け止めるようにすれば、胸に落ちます。

この土門拳の言葉を金科玉条に写真を撮っていた時期があります。

今になってみれば、その時期があってとても良かったと思えています。

同時に母から言われた一言も忘れられません。

「古寺巡礼」写真集を見ていた私の後ろを通り過ぎた母が、ちらっとその写真集を覗いて「あんたにはそういう写真は撮れないよ」

今、親の年齢を越えて思うのは、親は子供をよく見ているな、という思いです。

土門拳は私には巨星です。

やっと

2018 年 5 月 20 日

隅田川

やっとカレンダーと季節がぴったりと合いました。

カレンダーは順を違えずに進んでいたのに、季節が先走ったり後戻りしたりで中々しっくり来ませんでした。

そのせいか、親しくしていた人が亡くなるし、大切にしていたものが壊れるし。

やっぱり、季節とカレンダーはぴったりと合って、有るべきものは有るべき場所に、居るべき人は居るべき場所にいてこそ周りがしっくりと来るものなんですよね。

ものでも人でも、嫌だな、別れは。

元気なのかそうでないのか

2018 年 5 月 13 日

両国橋

両国方面へ散歩。

今日から相撲が始まるので両国は賑やかです。

三年前から目の緑内障発作を避ける為のレーザー手術やジョギングし過ぎて膝をやったり、今年はまた白内障。

循環器と消化器は無事なので健康と言えば健康なんでしょうが眼科や整形外科的には病気状態。

始終どこか悪いところがある状態を年寄りと言うんでしょうか?

深刻な病気と向きあっている人に比べればほとんど息災と言えます。

元気でいれば金も才能も無くてもいいかとも思いますが、ここは中々悩ましいところですね。

元気でただ生きてるだけを選ぶか、才能あふれる病人を選ぶかと言われれば、答えは難しいですよね。

元気で才能あふるる人生が送れればそれに越したことはないんでしょうが。

それでも、アスリート並みに健康なやつが作ったものって、なんか面白くないんですよね。

散歩しながらそんなくだらない事を考えていました。

写真は両国橋を下から。